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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
三章 聖俗紛争
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継ぎ接ぎの剣2

 廊下のシャンデリアが揺れるほどの振動が、とある部屋から飛び出す。怒号と共に出てくるのは、家庭教師だ。彼女がガニ股で廊下をかけて行くときに、私はちょうど入れ替わるようにその部屋を目指していた。


「ルシウス!また怒らせたのか!」


 私がノックもせずにドアを開けると、カビ臭い書斎にルシウスはいた。積み上げられた植物図鑑、干しマンドラゴラの薬品漬け、凶暴な魔法生物の図鑑、そして何より罰点の書かれた錬金術の関連書籍……。綺麗とは程遠い文献の並びに、思わず顔をしかめた。


「やぁ、姉さん!……さっき誰か来た?」


 周囲を見回してとぼけたように答える。まるで散らかったのは家庭教師のせいだと言わんばかりに、悪びれる様子もない。呆れて物も言えない。


「……何故そんなに本が好きなんだ?鍛錬はさぼる、マナーは守らない、乳母殿も呆れていたぞ?」

 私の言葉に、彼は眩い笑顔を見せる。


「僕より賢い人にしか、マナーを教わりたくないね!」


 紙の擦れる音。此の期に及んでまだ本を読むらしい。読書台には動物図鑑が乗せられ、隣には神聖文字の辞書があり、机の上には数学の本が山積していた。


「お前が本が好きなのはわかった。しかし、男子たるもの、心身共に健全でなければならない……。わかるな?あまり父上に心配を掛けさせるな」


 私より一回り小さいルシウスが頬を膨らませる。それに対して私が眉を寄せると、今度は面白そうにくつくつと笑った。それはもう、下品極まりない笑いだった。


「姉さんの論理は破綻している」


「なに?」


 私は父の言う事を聞くのが、立派な貴人になるには近道だと信じている。何故なら彼は立派な貴人であり、王の側近だからだ。


「姉さんは、男子たるもの、と言った。ならば女子たるもの、もっとおしとやかであるべきだ」


「……なにが言いたい?」


「『男に混ざって男らしい遊びをするべきではない』し、『男に混ざって騎士の鍛錬を積むのも間違っている』」


「私は父の言うことも聞いているし、その上で嗜んでいるつもりだが?」


 ルシウスの屁理屈は聞き飽きた。これはいつでも人に反論しなければ気が済まないらしいのだ。ルシウスは椅子を回して私と向き合った。満面の笑み、厄介な議論を始める合図だ。


「成る程。つまり『父がこうするべきだ』と言ったことをすれば、『女はこうするべきでない』と言われている事をやっても構わないわけだ」


「女だからとバカにするのは感心しないぞ?紳士たるもの……」


 ここで私が言葉に詰まったのは、ルシウスの発言の意図に察しがついたからだ。もしここで反論しなければ、この議論に私は負ける。しかし、〜たるもの、と言う言葉を使えば、それは私自身が満たしていない条件までをも含めて反論することになり、反論の余地を与える。ルシウスは言葉の続きを待っている。


「兎に角、立派な貴人には体力も必要だ」


「じゃあ立派な貴人じゃなくていいかな」


「ああ言えばこう言うなお前は!いいか?べき論と言うのはあくまで大枠だ!全てがそれに含まれる訳ではない!」


 一瞬でも思索の時間を加えれば、私でも反論はできる。


「で、その大枠はどこまで?一般に言われているところ?一般に言われているところとはどこかな?統計?アンケートをとったの?」


 回答を曖昧にするとこれである。我が弟ながら心底腹立たしい。


「屁理屈はよせ、見苦しいぞ?」


「無理屈よりは屁理屈の方が説得的だと思うけどね?」


 流石に頭にきた私が前のめりになると、ルシウスはすかさず机上の辞書で顔を守った。


「どうどうどう、待って待って、姉さん。僕は別に姉さんの考え方に反対している訳ではないんだ!男はこうあるべき、貴族はこうあるべき、女はこうあるべき、と言うのは実にナンセンスだ。それは認めよう!ただし、そうであれば姉さんも僕の行動を認めないと破綻する!そう言うことさ!ね!」


 気の毒なほど狼狽して見えるのは、彼は貧弱そのものだからだ。肉も食べずに持ち帰っては、なにやら怪しげな実験を行っている。貴族はより空に近い食べ物を食べたがる傾向にあり、腹の突き出た男が多い。ある意味では実に健康的だ。一方、彼はとにかくひょろ長い。もやしという表現が実に当てはまる。


「……しかし、お前の意見は一理あるな。男たるものと女が要求することもまた、女たるものと男が要求しているに等しい。すまなかった。が、ちゃんと教育は受けるべきだ。それはわかってほしい」


「はぁい」


 彼は空返事で机に向き直る。私はため息をついて、再度周囲を見回してみた。身の毛もよだつラットや双頭の猫のホルマリン漬け、父上が狩った鹿の頭蓋骨、兎の骨。山積した図書は脈略がなく、我らの聖典、スコラ学の書籍、異端の聖典、哲学書、数学の指南書から医療に関するものまである。そのくせ父上から賜った騎士道物語は埃をかぶり、カビ臭い。かと思えば乳母から貰った虫の図鑑は大切に書架に置かれ、整然としている。羅針盤、定規は芸術品のように積み上げられ、大きな窓もこれでは光を切り取ることができない。ルシウスの側にある眼鏡は何となく焦げ臭くもあった。


 ……よくもまぁ、これだけのものを集めたものだ。


 父上との喧嘩は常々聞かされているが、これでは黒魔術でも研究していると言われても仕方ない。母が涙を流すのは喧嘩を聞かされて辟易しているというよりは、息子が異端の道に走ってしまったことを悲しんでいるのだろう。


「もう少し綺麗にはできんのか?」


「ん?う〜ん。できるかも」


「えらく曖昧だな」


「例えば、体積を変化させる魔法を使い、これらの本の体積そのものを小さくするアプローチ、あとは使わない文献を姉さんに預けるアプローチ。……そうだ、こいつらのタイトルと場所が全部観れる目録を作ればいいよ!あぁ、でも面倒だね!却下!」


 何事かを考えている時だけは目を輝かせている。こういう時は可愛いのだが、可愛げがないのだけは変わらない。


「あまり教会を怒らせるようなことはするなよ。父上にも、お前の将来にも影響が出る」


「ねぇ、姉さん。どうせ僕が政治をしても、国が滅びるだけだとは思わない?僕は天才だが、万能ではないからね。だったら、僕じゃない誰かが政治をするべきだと思うんだよ」


「……」


 言い返せないのは、ルシウスが政治に向いているとは思えないからだった。確かに彼は賢いが、経済感覚は皆無に等しい。それだけは間違いなかった。


「最近は何の研究をしているんだ?」


「魔法だよ。法陣術さ」


「それはいい。魔法は戦略において重要なものだ」


「僕は魔法を一般化する事を目指している。その為には、あらゆる事を解き明かさなければならない。即ち、現象だ。色々試してはいるんだけどね」


 この窮屈な部屋の中に目一杯の知識を詰め込んだのだろう。どのアプローチから解決するのがいいのかもわからないのかもしれない。


「魔法と宗教は密接に関係していると聞く。教会法などを勉強してはどうだ?」


 もちろん思惑があった。教会法を学べば、とりあえず聖職者の道がある。ルシウスは議論は嫌いではないので、彼にとっても選択肢としては面白いのではないだろうか。骨と骨をぶつけて組み立てる音がする。頭蓋骨を持ち上げた時、その手が止まった。


「……それは無理だね。それは無理だ。教会法は僕らの文化しか表さない。魔法の一般化のためには、不十分だ」


「一般化、か……。そうか。まぁ、頑張れ」


 それ以上何も言わなかったのは、思いつく限りのものはやった、というのが容易に理解できたからだ。彼の趣味は理解しかねるが、それを否定して止めるほど彼は良い子ではない。


 頭蓋骨を眺めていたルシウスは、自分の首筋に触れた。


「……うん?うーん……」


「どうした?」


「首のつき方が違うねぇ」


「は?」


 理解を超えた回答に、一瞬戸惑う。ルシウスは楽しそうに自分の首をベタベタと触る。


 確かに人間の首のつき方は他の動物と違う。しかし、それがどうしたというのだろうか。神は自分に似せて人間を作ったというが、特別なものとして他の動物と区別し、特別視したのかもしれない。


「首のつき方が違う……何故違うのか……。……歩き方?獣は四足歩行、人は二足?……いや、鳥は二足だ。猿も立てば二足……。そういえば猿は顎が突き出て見えるけど、どうなんだろう?ドラゴンの中に二足はいたかな……」


 こうなると人の話を聞かない。私は彼の思索の邪魔をしないように、ゆっくりと後ずさりしてその場を立ち去った。

クッソ長い回想、恥ずかしくないの?

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