魔女の足枷6
かつかつと、木靴を鳴らす音六つ。赤い帽子に白い衣装。体の線は見えないままに、重厚な石の狭間を歩く。半分陰で隠れた顔、もう半分は、蜜蝋の明かりでよく見える。
よく肥えたイヌもついてきて、後ろをタヌキが追いかける。告訴状には名前が二つ、嘆願書には朱印が一つ。ガベルの落ちる音がして、ヒツジは戸惑い立ち止まる。赤い帽子は澄まし顔で、いつの間にやら角を曲がる。
やれ推し倣え、頭垂れ。腹を揺したタヌキの掛け声。
やれパンを、ワインを、ナプキンを。白と深紅と茶の楽園。
沈黙する学堂、ヒツジたち。
タヌキは訴状を突きつける。パンもワインも舞い上がる。赤と茶色は血肉の匂い。ヒツジ自慢の毛も血の匂い。
タヌキもイヌも、キツネを崇め、ヒツジはざわめき、ネズミは囁く。
赤い帽子のキツネは告げる。
「ヒツジに紛れた、ヤギを探せ」と。
その一報がラビンスキーの耳に届いたのは、真昼の空に腹を鳴らした頃だった。ロットバルトの使者と名乗る男が、突然駆け込んできたのだった。
どこか浮ついた午後の執務室が凍りつく。荒い息遣いの使者が鎧を着ている事に、ただならぬ雰囲気を悟ったのだ。
ラビンスキーは招かれるまますぐにロットバルト邸に向かう。壁の紋章をのんびり眺める暇もない。それは下手をしたら、彼の命にも関わるからだ。
「すいません、有難うございます」
ロットバルトの部屋までは優雅に歩く事がマナーとされていた。ラビンスキーは早足で歩くスミダの後を追う。ロットバルトは床一面に書簡を散りばめていた。其の光景たるや、ドラマによくある売れない作家の部屋に近しいものがある。
「それはいい、兎に角始めよう」
ロットバルトの言葉にラビンスキーも頷く。不思議な事に、二人はシゲルと対峙した時よりずっと冷静でいる事ができた。
「……やはり私の件が原因でしょうか?」
「いや、それは判りかねる。もともと異端の研究者だ。あれが大学という権威に落ち着いたのも、異端を隠す為の手段に過ぎない。文字通り、我々二人は互いが足を引っ張らぬように気をつけて来たつもりだ。それでも起こるときは起こる」
ロットバルトは書簡がふわりと浮かぶのを、手で押さえつける。「悪魔卿」という渾名には、そういった教会の非難の意味合いもあったのかもしれない。
「まぁ、今まで教会が黙認して来たのは、私との関係からだろう。これでも毎年の寄付金は国内で二番目だ。然し、教会の側も寄付金で賄うには限界がきたのだろうな」
「どういうことですか?」
前のめりになるラビンスキーを見て、スミダが咳払いする。ラビンスキーはそれに気づき、姿勢を正した。
「貴族の聖職離れと言えばいいか……。我々は徐々に教会から隣人へと関心を移しつつある」
「つまり……どういうことですか?」
ロットバルトは一瞬考えた後、真摯に答えた。
「貴族にとって、もはや教会は権威ではなくなってきているのだろう。私自身感じる事があるよ。商売人は金も嗜好品も落としてくれるが、教会が我々へ落とすのは安息。無論必要なものだが、ずっと必要なものではない。西では王が勝手に新たな教主を立てたなんて話もある。そしてイグナート、あれが契機だろう。俗語翻訳が大成すれば、教会も行いを改めざるを得ない。民衆の心が離れる前に、潰すしかないのだ。もっとも……」
「それはリスキーな選択ですね」
ロットバルトは頷いた。
「権力は決して完全無欠のものではない。信仰なくして権威はなく、金貨なき信仰は脆弱だ。切り崩すのは難しくない。但し、それは我々が「権威を崩す気概」を見せられる時に限られる。そしてそれは、我々にとってもリスキーな選択なのだ」
保身、という言葉がラビンスキーの脳裏に浮かぶ。ロットバルトにとって保身の価値はどれほど高いものなのだろうか。ラビンスキーは思い切って切り出した。
「ロットバルト卿は、教会を倒せるとお考えでしょうか?」
「滅多なことは言うべきではないよ。君の目的はあくまで、職業安定所の建立だ。不要な権力への干渉は死を招く。私自身、なんとかしてルシウスを救う策を考えている。あれは魔法生物学の権威だが、それは最上の異端でもあるのだ」
太陽はまもなく真正面を通り過ぎる。ラビンスキーは息を呑んだ。異端と言う言葉から見出されるニュアンスはただ一つ。処刑だ。
「すまないがユウキは見捨てる気でいる。罪をユウキに被せ、ルシウスには研究から身を退かせる。無論、どちらも助けられる状況であればどちらも助けるべきだろうが、教会というやつは金貨さえ持たずに権勢を振るえるらしいからね」
ラビンスキーは思わずロットバルトの胸ぐらを掴んだ。立てかけられたシターンが倒れ、酷い音を鳴らす。弦が一本切れてしまった。
責めるようなラビンスキーの視線に、ロットバルトは表情一つ変えずにその腕を握り返した。ラビンスキーは良質のシルクを、貝で出来たボタンを掴む。
「……離せ。君の気持ちは察している。しかし私にはこの椅子が惜しいのだ」
ラビンスキーは益々彫りを深くする。先程とは違う類の嫌な空気が漂っていく。ロットバルトはラビンスキーの腕を一捻りする。手首を貫く鈍痛がラビンスキーを襲う。ラビンスキーの腕は、簡単に引き剥がされてしまった。
「……わかって欲しい。決して安易な保身ではないのだ。安易な、保身では……」
ラビンスキーはロットバルトから視線をそらさない。互いの視線は常に噛み合っていたが、それらが譲歩することは決してなかった。




