参事会の魔物1
参事会……そこは君主院の会議なんかよりもずっと恐ろしい、まさしく地獄そのもの……。金、寄進、特権、市政のあらゆる運営を決定する、陰謀と裏切りに彩られた、恐るべき合議体である。
「なぁんで、あんなに参事会嫌がんのかねぇ……」
ルカは無邪気に頭を掻きながら、資料を読み込んでいる。ハンスとアレクセイは逃げるように外回りに繰り出していた。室内は少し寒いが適温で、ラビンスキーは服装に気を遣うという様子もない。ルカに至っては半袖で、幅の利く二の腕が貫禄を与えている。
空は澄み切った快晴で気持ちがよいものだが、参事会のことを思うと胃がキリキリと痛む。ラビンスキーの顔は、快晴の空と同化して見えた。
うたた寝が捗る春の日差しに、ルカは鼻歌を歌いながら椅子を揺らしている。体重をかけられた椅子がギィギィと悲鳴を上げるたびに、彼の体が机から遠ざかっては近づいた。シゲルの残した資料の中から詳細なグラフを作成する。予算のために一枚の紙にみっちりと詰められた資料は、ミニアチュールも裸足で逃げ出す細密さだ。
ルカがふと、天井を見上げ、あっ、と声を出す。妙に神経質になっているラビンスキーはピクリと体を動かした。
「そうか、ラビンスキーさんは参事会はじめてか……」
「そうですよ」
ラビンスキーが身を乗り出して答えると、ルカはどうどうと手で制止する。ラビンスキーは乗り出した体を再び椅子につける。ほんのりと熱のこもった椅子が、久々に煩わしく思えた。
「じゃあ、まぁ、基本だけは押さえといてくれ。……この国は三権分立制を採っていて、君主院、枢密院、審問院に分かれているのは知っている?」
「えぇ、アレクセイさんから聞きました」
「うっす、わかりました。国の立法行政、司法ならばこれで解決するが、実際はもっと細かいところで問題が発生するでしょう?例えば都市ごととか、そんな感じで」
ラビンスキーは頷く。
「都市の行政を司るのが、参事会ということですか?」
ルカは楽しそうに歯を見せて笑った。
「そうそう。ここが出す法令は国王の出す勅令と区別して都市法令なんて言われてます。国ほど幅の利く大規模な政策は出せませんが、都市内部の秩序の維持については殆どがこの都市法令によるわけですよ。成功すれば、国が勅令の参考にすることもあります」
「なるほど……」
ラビンスキーは声を漏らした。無論それがうまくいくことを証明しなければならないが、実際に実行までの速度が勅令とは段違いなのがわかる。しかし、アレクセイのただならぬ反応を見て、この質問をしないわけにはいかなかった。
「それで……その、構成員は?」
ルカはラビンスキーの方に椅子を回し、前のめりになって答える。
「都市内部の高額納税ギルドのトップ、司教座、領主、大学の教授……最後に立案担当者」
「そうそうたるメンバーですね……」
ルカは手近な書類で仰ぎながら答えた。
「まぁ、そりゃあそうですよ。仮にも都市の運営を決めるんですから。もっとも、最終的な決定権限は聖職者と領主なんですがね」
ラビンスキーは納得して二度頷いた。ルカの放つ仄かな風に心地よさを感じながらも、運ばれる汗の臭いに少々鬱陶しさを覚える。二人だけのはずの部屋は何故か密度が大きく感じられ、部屋の暖炉が燃えカスの臭いだけを漂わせている。しんとした灰被りの煙突に物悲しさを感じていると、ルカが小さな欠伸をする。間抜けな声であっても、下品でないように気を遣っているらしい。ラビンスキーは書類のまとめに取り掛かる。参事会への資料の提出期限は会議の半月前、要するにあと二週間後だった。
「アレクセイさんは何故あれほど……」
ラビンスキーはごく自然に独り言を呟いた。役目を終えた上衣掛けが見下ろす中、ルカはうぅん、と唸り声をあげてしばらく考え込む。ルカは思い当たる節があったのか、あっ、と声を上げた。
「そういやあいつ、カルロヴィッツさんにさんざん言われてたっけなぁ」
「えっと、それは……」
ルカは眉を寄せ、頭を掻く。唸り声は長く細々と続き、ラビンスキーは緊張の為に体を強張らせる。
「そうだ、あいつはあそこで親父と喧嘩したんだっけか。それでカルロヴィッツさんに追い出されたんだったな」
「えっ……」
ラビンスキーはハンスが言った言葉を思い出した。厳格さ故に家族との接点を失ったアレクセイは、一体どのような気持ちでその会議を取り仕切ったのだろうか。考える程、胸が苦しくなった。
「あぁ……まぁ、過去のことはいいじゃんか!ホラホラ、仕事仕事!」
急かされたラビンスキーは机に向かう。ルカも又それに倣って作業を再開した。教会の鐘がくぐもった音を立てる。嫌らしいほどの快晴とは裏腹に、ラビンスキーの心には靄の様なものがかかったままだった。




