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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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アツシの就職先

  乞食の手を引く男を見た人々には、盗人を連行する様にでも映ったのだろう。訝しむ顔やしたり顔を浮かべる商人達、ゴミでも見る様な学生と小間使いの視線が、ラビンスキーにはとてつもなく痛いものだった。途方もない差別の視線はアレクセイがしていたそれと等しく、手を引かれる敦が責任を感じて俯いている。


 どの様な世界でも差別は不可避の歴史として刻まれているものの、「現代」を生きたラビンスキーにとっては耐え難いものでもあった。ゴミは一層綺麗に片付けられたムスコール大公広場であっても、ゴミを見る目だけは消える事はなく、ムスコール大公の記念柱さえ、敦を見下す始末だ。


 霜の降った教会に背を向けて歩くこと暫く、ラビンスキーは大公広場を後にして、大公通りのビフロンス公証人館を目指す。大公広場にはある程度見知った顔の商人が多いが、大公広場は行き交う荷馬車の男たちの服装に驚かされることがある。不格好な狼の毛皮のコートの男や、長い髭を生やした男の姿は、長旅を犬ぞりで駆け抜けた歴戦の行商人だ。町に来てすぐに宿を取り、自らの姿を整えて商談に赴くのだろう、吐き出された白い息の行先は、まっすぐ宿屋に向けられている。ラビンスキーはのほほんと生きているのが何となく恥ずかしくなり、顔を伏せる。すると、見上げる敦と目が合う。行く当てのない視線を前に向けると、検閲を終えた新たな行商人達が近づいてくる。ガタガタと車輪の音が近づくと、彼は何となく目を逸らしてしまう。


 城壁にいくらか近づいた大公通りの一等地に、公証人館が顔を出し始める。ラビンスキーは胸をなでおろし、自然と歩幅が広くなる。敦が小走りに手を引かれる。町の至る所にあった糞尿は、未だいくらか残っているものの、随分と姿を消したようだった。


 立派な書斎の中には、ルシウスの部屋に負けない程大量の書籍が丁寧に書棚に片付けられ、木彫りの熊が置かれたキャビネットには、文字の数だけ引き出しがある。レトロで趣味のいい置時計がカチ、カチ、と鳴けば、ラビンスキーも懐かしい故郷の景色を思い浮かべた。作業机の上に並べられた書籍と用紙の数々は、あらゆる人の名と保証金が丁寧に並べられており、今まさに仕事の最中であることが分かる。


「ラビンスキー様と、敦様。今日はどのようなご用件で?」


 枝分かれした白髪が、丸眼鏡に軽くかかっている。貴族然とした伸びた背筋や、変わらず立派な燕尾服は、ラビンスキーを安心させる。敦がラビンスキーの手を強く握ると、恨めしそうな視線をビフロンスに向ける。ビフロンスは努めて笑顔を作る。二人の顔を見回した後、ラビンスキーはビフロンスに用件を伝えた。


「何か、この子が出来そうな仕事、ないかな?」


「適正を検討した結果、聖職者が向いているとは思うのですが……。その、誠に申し訳ないのですが、聖職者は斡旋できないんですよね……」


 ビフロンスは一番近くにあるキャビネットの中から敦の適性試験の結果が記された用紙を取り出しながら言う。ラビンスキーは頭を下げる。


「そこを、なんとか!その、家とかは私が探すから……」


 ビフロンスは徐に右手の人差し指を立てて、空中で書棚から本を出すようなしぐさを取る。一瞬陽炎の様に空間が歪むと、何もない空間から分厚い書籍が現れた。驚く二人をよそに、ビフロンスはさくさくと書籍の頁をめくる。時折目を細めて何かを確認するが、暫くすると首をかしげて頁を送る。


「……針子の仕事ですとか、処刑の手伝いの仕事が余っていますが」


 ラビンスキーは敦に視線を向ける。敦は申し訳なさそうに首を横に振った。


「……経験がないということですか」


「はい、ごめんなさい……。針子の仕事なんて、分かりません……」


 ビフロンスは首をかしげて見せると、再び書籍に目を落とす。分厚い表紙は奇妙な色の皮でできているらしい。ラビンスキーは祈るように目を伏せる。ビフロンスはゆっくりと本を閉じる。彼は本に目線を向けたまま、首を振って見せた。


 ラビンスキーは屈み込み、自分の目線を敦の目線に合わせて、尋ねてみる。


「アツシはやりたいこととか、ある?」


「……やりたいこと、ですか?」


「そう、好きなこと、楽しいこと、昔やってみて面白かったこと」


 ラビンスキーが笑顔を見せると、敦は空を見つめて何かを考えているらしい。暫く置時計の音が部屋に響く。耐えかねたラビンスキーは敦の頭を撫でてやる。


「なんでもいいんだよ?ほら、自分らしく生きられるなって、ものをさ」


「自分……自分は……ありません」


 ラビンスキーは眉を顰める。敦は顔を伏せて、涙ぐんだような声で囁く。


「ない、ないです。自分は」


 ビフロンスは静かに書籍を机の上に置き、インク壺のインクが揺れるのを眺める。異様に静寂した圧迫感のある部屋は、一層空気を深刻にさせる。長机が同情するように佇んでいる。


 ラビンスキーは再び敦の頭を撫でてやる。


「じゃあ、今日から、君は自由だ!」


 敦は顔を上げる。輝く瞳から何かが一滴零れる。


「自由……?」


「そう、君がしたいことを、これからはすればいいんだ」


 敦が涙をぬぐう。ラビンスキーは体を起こし、ビフロンスに向けて苦笑する。ビフロンスは見透かしたような笑みで、取り出した書籍を静かに仕舞った。


「その本、変わった装丁だね」


 ラビンスキーが何気なく言うと、ビフロンスは空間のどこかに仕舞われた本を弄ぶように指を動かしながら答えた。


「人皮装丁本ですからね」


「人皮?」


 敦は顔を上げると、壁際の書棚が揺れるほど激しく長机を震わせて立ち上がった。


「人間の魂について記した本の表紙は、人間の皮膚で作るのが相応しい……と言ったところですか。実際は、地獄の亡者からいくらでも取れるから使っているだけですけどね」


 ラビンスキーは思わず息をのむ。その緊張した面持ちに、ビフロンスは意地悪そうに笑った。


「ふふっ……人間だって、動物ですよ。人皮で本を作ったところで、ぱっと見ではわからないでしょう?」

 ラビンスキーは怯えつつひきつった笑みを見せる。


「う、まぁ……。アツシ、今日のところは、帰るとしようか」


 敦は恍惚として表情を浮かべながら、頷く。ラビンスキーは意味が分からないまま首を傾げ、置時計の方を向く。昼食には少し早い。


「では……後日、希望が決まり次第、敦様お一人で、またお越しください」


 ビフロンスは敦の表情を見て咳払いをすると、すまし顔で言った。ラビンスキーはビフロンスに丁寧に礼をして、公証人館を後にする。手を引かれる敦の顔はほんのりと熱く、未だ熱っぽい顔をしているようにも見えた。


 ビフロンスは二人が外に出ていったのを見計らって、再び敦に関する資料に目をやる。置時計が一定の間隔で時を鳴らす。刻まれた時を吸い込むような、壁際の古本がビフロンスを見おろす。窓の向こう側には、日中の忙しない人々の往来の中に二人の影が映る。そこから射す光の軌道が、書斎の細々とした埃に反射し、光となって部屋を舞っている。


「人皮装丁本に反応し、高い魔法適性をもつ。さて、どれほどの狂気か」


 ビフロンスは真剣な眼差しで資料をめくる。机上の銀貨が次々に射しこむ光を反射し、鈍色に輝く。蝋燭立ての火が静かに揺れ動いた。

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