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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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悪魔卿

 早朝、ラビンスキーに言い渡されたのは、余りにも唐突な移動先だった。


「ラビンスキーさん、今日は、これを」


 ラビンスキーの出勤と同時に、ハンスは一枚の紙切れを差し出した。いつもの通り指示書を受け取る。外の喧騒を時折映し出す部屋は、暖炉で温められていて、微かな熱量を弄るアレクセイが大きな欠伸をした。窓には結露がついており、見事なミラーボールのように朝の薄ら白い陽光を反射していた。


「今日は王宮へ向かうんですか」


 ラビンスキーは口の中で欠伸を噛み殺しながら、指示書の中身を複唱する。ハンスは丸い眼鏡を掛けながら、微笑んだ。


「はい、よろしくお願いします」


 暫くぼぅっと紙を眺めていたラビンスキーだったが、二、三度瞬きをした後で、目を見開いた。


「え。王宮?」


 呆気にとられたラビンスキーは、眼前の紙片を何度も確認した。ずっと事務処理を続けていたルカが顔を上げると、釣られたようにアレクセイがふり返る。


「はい、ロットバルト卿の指示です」


「ロ、ロットバルト卿ですか!?」


「出世コースか?羨ましいなぁ」


 ルカはニヤリと笑った。アレクセイは嬉しそうに手を叩く。和やかな雰囲気の中で、表情が穏やかでないのはラビンスキーだけだった。


「あの……なんで……?」


 ハンスは眼鏡を外す。瓶底のような厚い硝子から、それが老眼鏡であることが分かる。ラビンスキーは息をのんだ。


「ロットバルト卿から直々に命令を頂きました。ご多忙な方ですから、絶対に、時間に遅れたりはなさらないように」


 ラビンスキーはもう一度息をのむ。ひどく唇が渇いているのが自覚できた。ルカが「手ぇ、動かせ」とアレクセイを諫めると、アレクセイは焦って薪を暖炉に放り込んだ。木の弾ける音と同時に、ラビンスキーはコランド教会を見る。グォン、くぐもった音が反復する。


「今すぐ支度なさい。卿に目を付けられたらたまったものではありませんよ?」


 ハンスはラビンスキーに入城許可証と親書の入った封筒を手渡した。ラビンスキーはなされるがまま、それを受け取った。


「い、行ってきます!」


 ラビンスキーは、昨日の夕食で感じた、未知のものへ対する恐怖が再び込みあがってくるのを感じる。町の往来の始まりとともに、ラビンスキーは都市衛生課を飛び出した。


「ははん、ラビンスキーさん、相当緊張してんなぁ」


 ルカが楽しそうに呟く。薪を補充し終えたアレクセイが、手桶と火ばさみを持ち上げて扉の方を見る。

「はは、そりゃあ、ロットバルト卿から、突然のお呼び出しですからねぇ。僕も、外回りしてきます」

「おう、行ってらっしゃい」


 アレクセイが手を振って部屋を後にする。暫く黙々とプレゼン用の資料を作成していた二人であったが、落ち着かずに同時にため息を吐く。


「ロットバルト卿か……。直々に動くんだから吉報だとは思うが……」


 ルカが呟くと、ハンスは老眼鏡を資料の上に置き、インク壺に羽ペンを置く。


「ラビンスキーさんなら、うまくやってくれますよ。彼はもう、20年来の社会人ですからね」


 ルカが大きく鼻から息を吸った。


「そうだといいがなぁ」


 中年のビール腹が椅子を軋ませる。暖炉から香る木のほのかな香りが、部屋中を霞ませるようだった。



 ムスコール大公広場にある荘厳で古風なコランド教会の西側には、貴公子通りと呼ばれる高級住宅街が広がっている。古典的な漆喰の木製の柱を支えにする由緒ある大邸宅から、近年、高額納税によって貴公子通りに居を構えることになった新興貴族の煉瓦造りの大邸宅まで、様々な建築様式が乱立する不可思議な城下町だ。この道は大公通りの約半分の道幅を持ち、豪奢な王宮のある大公領へとつながっている。

 ラビンスキーはあちこちに聳え立つ壮大な胸像と、誇らしげに門前に掲げられた紋章に終始物怖じしながら真っ直ぐに王城を目指す。


 朝の往来が落ち着き始めた貴公子通りは、あちこちに着飾った貴婦人が歓談しており、時折可憐な宝飾具を売る行商人達が彼女たちの歓談にずかずかと割り行っていた。まばゆいシルクの服飾が光を反射し、町の彩を一層引き立てる。えもいわれぬよい香りが道を漂い、背筋をピンと立てて通り過ぎる人の気品ときたら、立ち止まり見惚れるほどである。整然とした旗のなびくバルコニーの扉は堂々と大きく、どの家のものも銀細工が施されている。顔を下ろせば強面の兵士が目深に兜を被り、槍を突き立てて道行く浮浪者を睨み付けている。人種から宗派まで終始ごった煮の大公広場とは異なり、貴公子通りの街並みは暖かく楽園然としていた。


 おっかなびっくり道を歩く四十の男は、道行く貴婦人の視線を酷く気にしながら二頭立ての馬車の通る中央の道を無意識に歩いていた。ガラガラと車輪の音が地面を鳴らした時、ラビンスキーは焦って道を開ける。育ちのよさそうな栗色の馬が二頭、颯爽と王城を目指していく。ラビンスキーはその後姿を眺めながら、呼吸を整えた。


 その動きが酷く目立ったためか、途端に周囲の人々がラビンスキーの服装について色々な評価を下し始める。小心者の中年の男は、ひそひそと声を掛け合う様を避けるように、速足で王城へと消えていった。

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