出張
馬車がカラカラと音を立てて揺れる。城壁の真下にある雑草は、一層深い緑色をしていた。
精々1週間ほどしか暮らしていない街が遠ざかるのを見て、ラビンスキーは何となく名残惜しいような気持ちになっていた。
ユウキとの食事は、その衝撃的な結末を最後に、お開きとなった。ラビンスキーは彼に何と声をかけてよいかわからなくなったし、ユウキも同じようにきまりが悪くなったらしかった。とはいえ、ラビンスキーはユウキの告白に心を許した相手にだけ見せる「弱さのようなもの」を垣間見て、二人の仲はかえって深まったと感じていた。
会食翌日からの仕事はとても骨の折れるものだった。トイレの場所を確保するための市内調査は勿論だが、ルシウスの案を採用した時にかかる経費、乞食への褒賞をどのようにするかなど、兎に角検討すべき事項が山積していた。現在はハンスが関係各所への挨拶と、報告用の書類まとめを、ルカが市内の調査を続行している。そしてラビンスキーは、アレクセイと手分けして、肥料を売ることを検討している村の調査を指示されたのだ。
糞を肥料として売りたいと考えている村はムスコールブルクからそれほど離れてはおらず、往復するだけなら馬車で1日で確実に帰ることができる。ラビンスキーは先日親交を深めたユウキと共に、アレクセイはルシウスと共に、ムスコールブルクをあとにした。
「うぅ……」
ラビンスキーは荷台の隅で項垂れながら、顔を青くしていた。
「大丈夫ですか……?」
ラビンスキーが馬車の揺れにやられているのを気にして、運転手が声をかけてくる。ユウキは平気な顔で視線を地図におろしている。ラビンスキーは憔悴しきった顔で微笑んで見せた。
「えぇ、申し訳ありません。こういうのは苦手でして……」
「それはまた……。ご自愛ください……」
運転手は前を向きながら心配そうに声をかける。道端の石を踏みつける度に、木製の車輪がガタガタと揺れた。その度にラビンスキーのえずく声が聞こえ、馬車の中は葬儀場のような静けさで満たされていた。
草原の香りを楽しむこともうまくできないラビンスキーは、溜息を吐きながら遠ざかる城壁を眺めた。
灰色に聳え立つ城壁は、草原の中にしっかりと輪郭を残しながら遠ざかっていく。よく聞けば馬の鼻をすする声が聞こえ、通り過ぎる者たちの中には車輪に付け替えた犬ぞりをひく者もあった。踏み固められて草の生えていない道は、二頭立の馬車がすれちがえる程度に広く、北へ向かう人々がこの町を目指してきたことがよくわかる。すれ違いざまに親しげに挨拶を交わす馬車の主人などは、それをよく示していた。行き交う人々は誰しも荷台にいっぱいの荷物を積み、城壁の中に吸い込まれていく。ラビンスキーは再びえずいて、遠ざかる荷馬車の群れを眺めていた。
やがて城壁が見えなくなると、ラビンスキーを乗せた馬車は主要道路を外れ、緑だけが広がる道を車輪をがたつかせながら進むことになった。ざぁ、と風が草木をゆらし、ラビンスキーの顔色もいくらかよくなったところで、ユウキが突然小さな声を上げた。
「待って、止まって」
運転手は馬を止める。停止の振動で再びラビンスキーの顔が青くなる。恨めしそうにユウキを見たラビンスキーだったが、ユウキの険しい表情を見て重大な事態だと察した。
「何かあったの?」
ラビンスキーが尋ねると、ユウキは地図を見下ろしたまま静かに頷く。
「少し向こうに狼の群れがいるみたい。少し道を変えよう。南に大回りに抜ければ、大丈夫だと思う」
「え?狼ですか……?」
「今、地図の上で魔法を使って周囲の索敵してる。熱源の形状、温度が明らかに人じゃない。人の熱源も近くにないから、多分犬ぞりでもない。大事を取って大回りしよう」
ユウキは下を向いたまま言った。運転手はラビンスキーの方を見る。ラビンスキーが頷くと、運転手は前に向き直った。
「わかりました。大回りになるのでしたら、少し急ぎで行きましょう」
「お願いします」
ラビンスキーが答えると、ユウキが鼻を鳴らした。
「大丈夫?酔わない?」
「大丈夫。これ以上は酷くならない」
ラビンスキーはそう言って、地面に向かって吐瀉物をまき散らした。
「あっ……」
馬車は先ほどより速度を緩めながら、道の途切れた草原を走り出した。




