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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
一章 都市衛生問題
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足元には甘い誘惑

「オヴェェ……」


「だ、大丈夫?」


 ラビンスキーは涙目で微笑んだ。馬車はゆっくりと木製の柵に近づいていく。正面の支柱は足元が半分朽ちて虫に食われており、いつ崩れてもおかしくはないほどだった。運転手が手綱を軽く引くと、馬は減速し、やがて停止した。


 ラビンスキーはふらふらとしながら荷台から降りる。それに倣ってユウキは飛び降りるように降りた。二人は立ち止り、その「集落」を呆然と眺める。


 廃墟。ラビンスキーの脳裏にはっきりと浮かんだ言葉だった。朽木で囲われた道の土壌は舗装されておらず、足を上げるのに苦労するほどのしつこさで出迎えてくる。小さなかやぶき屋根の家を見れば、天井にぽっかりと穴が開いており、酷く藁の容積が少ない。


 所々修繕が必要な家があるにも関わらず、暫く放置されて荒れ放題になっているようだ。雑草はちらちらと顔を出すが、畑らしき場所には枯草しかなく、枯死した様が益々悲壮感を漂わせる。命を感じさせるのは飛び回る羽虫や地を這う蟻、アブラムシの類であり、川の流れだけが変わらずにあることがかえって恐怖を掻き立てる。もともとあまり豊かな村ではないのだろうが、それにしても異様なまでの死の香りに、ラビンスキーは気が滅入りそうになる。


「人が住んでるようには見えないよね……」


 ユウキが呟く。ラビンスキーは黙ってうなずき、村の柵を乗り越えた。運転手は不安そうにあたりをきょろきょろして、馬車をユウキに近づける。ユウキは溜息をついて、運転手に尋ねた。


「ここはいつもこうなんですか?」


「いや、まさか。商売の為に年に一度、冬の一期間だけ巡回していますが、去年はもっと、こう、賑やかでしたよ」


 彼は変わり果てた村をきょろきょろと見回して、中の荷物を見た。そして、小さくどうするかな……と呟いた。


「とりあえず、中に入りましょう。何があるかわからないので、できる限り慎重に」


 ユウキはそういって少し離れた入り口らしき柵の途切れた場所から村へ入る。運転手も頭を掻き、馬車を動かした。



 ラビンスキーは一足先に村の広場に辿り着く。泥沼の道で立ち止まり、明かりの灯った大きな家と重厚な教会が、かろうじて人がいることを教えていた。ユウキと運転手が遅れてやってくると、ラビンスキーは眉間にしわを寄せながら呆然と立っていた。運転手は、足に絡みつく土に不快感を露わにしながら、不安そうにその横顔を眺める。ユウキは畑の様子をひどく気にしており、川からの引水が囲い込む巨大な畑の中の、ほんのわずかな緑を凝視している。


「あの、お客様……?どうしましょうか?」


 運転手が尋ねると、巨大な建物の扉が開いた。そこから現れたのは、殺気立った老人だった。


「何をしとる!?ここには麦も金もないぞ!」


 険しい言葉に覇気はないが、白く長い眉や髭が、その険しさを際立たせている。目は空いているのかどうかも判然とせず、木の靴は泥まみれだった。あまりの剣幕に運転手は飛び上がって震えだしたが、その様子を見た老人はきまりが悪そうに咳払いをした。


「……失礼。貴方でしたか。しかし、残念ながら、ここはもう……」


「その様ですね……いい小遣い稼ぎと役人を乗せたのがあだとなりました」


 運転手は老人に耳打ちをする。あからさまに二人に聞こえるようにしながら、恨めしそうにラビンスキーを睨んでいる。ラビンスキーは呆然と、なされるがまま視線を受け入れている。


「役人?ここに税を払う余裕などありませんが……」


 老人はあからさまに警戒をした。畑を見ていたユウキは、ラビンスキーの手を軽くつつく。ラビンスキーは我に返り、上ずった声で答える。


「いえ、今回は調査なんです。肥料を売れそうな近場の集落を探していまし、て……」


 ラビンスキーは途中で口を噤む。老人は悲しそうに畑を一瞥し、肩を落とした。


「肥料は必要ありません……ただ、滅びるだけです」


 ジュクジュクとした泥の上に、老人の木靴が埋まっている。広場には興味本位で騒ぎを見に来たようには見えない乞食のような姿の農民たちが集まってきている。烏合の衆は虚ろな目でラビンスキーを見つめ、娘の咽び泣く声が響く。ユウキは目を逸らすように空を見て、ラビンスキーの手を再びかるくつついた。ラビンスキーは周りを見回した後、意を決して老人に言う。


「……話を聞かせてください。私はこの村を救う理由があります」


「……なんと?部外者が?」


 老人は重そうな瞼を持ち上げる。目は鋭角を作り、村の雰囲気に酷くなじんでいた。


「我々の住むムスコールブルクは、人糞の処理に困り切っています。人糞は肥料として使えますから、それを恒常的に買ってもらえるような村を探していました」


 ユウキは血相を変えてラビンスキーの袖を引く。ラビンスキーはちょっと、と言おうとするユウキを遮り、強い口調で言い放った。


「本当は人糞であることも、隠す気でいました。ですが、この村の惨状を見て、気が変わったんです。ここは地獄だ。人の住める場所じゃない。我々としては、人糞もタダでもいいわけですから。ですが、村が消えるのは見ていられません」


 村の人々がざわつく。老人は静かに目を閉じて唸る。ユウキは不安そうに周囲を見回し、息をのんだ。ラビンスキーだけが変わらず堂々としている。その視線は真っすぐ、老人に向けられていた。


 しばらく沈黙が支配する。廃墟となった村を烏の群れが囲う。空腹でうずくまるやせた少女を狙うようにその頭上を回っている。


「……入りなさい。諸君、この件は私が責任を持とう」


 老人は静かに背中を見せる。ラビンスキーはその後を追った。ユウキと運転手が顔を見合わせる。村人は見る見るうちに散開し、各々の家へと戻っていった。



 案内された部屋はひどく殺風景で、家具も何もなく、作業用の机にいくつかの紙が乗っているだけだった。大切に保管されていたらしい積まれた紙には、どれも嘆願書と書かれており、ムスコールブルクの商館宛のものもあった。老人は積み上げられた無駄な努力を一瞥し、小さくため息を漏らす。ラビンスキー一行は扉の前で立っていたが、やがて老人の作業机の周りに通された。


「すまないが、家財は全部売ってしまったのです」


「いえ……」


 老人は静かに深呼吸をし、しわがれた声で話し始めた。


「……申し遅れました。私はこの村の村長、マルコフです」


「ラビンスキーです。こっちがユウキ、そしてここまで連れてきてくださった……」


 マルコフは手で制する。ラビンスキーは彼が運転手と面識があることを思い出し、咳払いをして短く失礼、と続けた。マルコフはラビンスキーとユウキに丁寧に頭を下げる。頭髪のない頭が光を反射していた。


「それで、なぜこのような事態に……?」


 運転手が尋ねると、マルコフは乾いた唇を口内にくぐらせてから、重い口を開いた。


「この村はもともと生産能力が低かったのです。それでも秋になれば麦穂は生い茂り、収穫祭の日には皆強い酒を飲んで呑気に騒いでおりました。ある時、ちょうど一年前の事でしたかな。この村に勇者を名乗る男が現れました。我々に困っていることを尋ねるので、ちょっとした不安要素として収穫高を上げたい、と答えました。するとその男は我々に栄養のあるという粉を見せました」


 ユウキはきょろきょろと部屋の中を見回している。天井の隅にある蜘蛛の巣の上に、巨大な蜘蛛が足を滑らせている。


 マルコフは首を垂れ、みるみる弱々しい声になっていく。前を向いた頭頂が、窓から差す光を反射して輝いていた。ラビンスキーは目を細めながらマルコフの言葉に耳を傾けている。マルコフはその様をみて顔を上げる。すると、自然と声が大きくなった。


我々も軽率だったのでしょう。勇者の言うことなら、と信用して大金を出してしまった。勇者たちはすぐに村付近に出没するようになったというドラゴンの群れを退治するために出ていき、連れ添っていた賢者に水で薄めて畑に撒くようにと指示されたので、言われるがまま畑に撒いたのです。ところが、それからというもの虫が湧き出てくるようになり、既に旅立っていた彼らに何も言うこともできず、村の畑は荒らされてしまいました。奇形になったり枯れてしまったり……。もう、成す術がありません……」


 ラビンスキーの脳裏にシゲルの影がよぎる。蜘蛛が騒がしく揺れ動いて巣を揺らすと、虫に食い荒らされた天井から羽を擦る音がかすかに聞こえた。ユウキは思わず天井を見上げた。


「ねぇ、子供が異様に少ないのは、もしかして……」


 ユウキが尋ねると、マルコフは苦虫を噛みつぶしたように顔をゆがめる。


「……えぇ。借金が返せず、勇者が「保護」していきました」


 マルコフはその結末を知っているのか、泣き出してしまう。ラビンスキーはもらい泣きしそうになるのをこらえながら、部屋を軽く見まわした。


「あの、その実物は……?」


 村長は何とか顔を上げる。くしゃくしゃの顔と真っ赤な鼻が痛々しい。ユウキは耐えきれずに目を逸らした。村長は静かに立ち上がり、部屋を出ていく。暫くすると、巨大な麻袋を抱えて戻ってきた。


「こちらです」


 ラビンスキーは中身を覗き込む。白い粉で、ところどころに塊があるのが分かる。農業の知識のないラビンスキーではわかるはずもなく、二人の方を向く。運転手は面倒くさそうに立ち上がり、ユウキは座ったままでゆっくりと床を滑る。二人がのぞき込むと、運転手はあっ、と小さく声を上げた。


 村長とラビンスキーがものすごい形相で運転手を見る。運転手は黙ったまま袋の中に視線を逃す。ユウキは袋の中に手を突っ込み、それを触ると、口に含んだ。マルコフは思わず叫び、慌てて吐き出させようとする。ユウキは口に含んだ粉を舌で動かして吟味すると、ぽつり、と呟いた。


「これ、砂糖じゃない?」


「はぁ?」


 ラビンスキーも試しに口に含む。砂糖特有の胃にもたれるような甘みが口の中に広がった。思わず麻袋の中を確認しなおすと、時折光を反射し、固まるその様は確かに砂糖のように思われた。


「砂糖!そんな馬鹿高いものを売りつけたのか!?くそっ!」


 マルコフは思わず机を叩く。鈍い音が部屋中に響き渡った。天井の蜘蛛がパニックになって糸の上を右往左往していく。


「砂糖って、畑仕事で使うの……?」


 ラビンスキーはユウキに尋ねる。ユウキは眉をひそめた。


「いや、分かんないけど。砂糖は結構大きいから、植物が吸収できないかも……」


「無意味だったってことか!」


 マルコフは取り乱して机の上の紙を床にまき散らした。怒りに歪んだ顔はその皺を一層深くし、白い髭が乱暴に揺れる。


「……うん、肥料として使うのであれば、一度分解するとかしないとね……。詳しくはわからないんだけど、ただ撒けばいい、というものではないと思う。むしろ蟻が来るから……」


「蟻、ってことは、アブラムシが……」


 蜘蛛がかさかさと動く。ユウキは少し考えた後、麻袋の口を丁寧に縛った。


「これ、いくらぐらいになる……?」


 運転手が答える。


「正確には言えませんが、砂糖ならば大袋一つで銀貨5枚分程度かと」


 ラビンスキーは思わず絶句した。銀貨五枚分と言えば、ラビンスキーの月収の半分強である。まさか食費を砂糖だけで済ますことなどできないのだから、とても手が出せない。ユウキは黙り込んで、砂糖を眺めている。ラビンスキーもどうしようもなく、黙ってしまった。


「三月、三月でどれだけあれば暮らしていける?」


 ユウキが尋ねると、マルコフは荒い息遣いを整えて答えた。


「ここには店はありません。自分の家で畑が取れなければ、死ぬしかない」


「運転手さん。荷物の中に、安い食料とか積んでる?」


「えっと、ここではブリキの鍋が飛ぶように売れますので、余り食料は……自分用の干し肉があるぐらいです」


 先ほどまでのびくびくした様子ではなく、商談に赴くときのような鋭い目つきでユウキを見ている。


「……砂糖、買い取ってくれないかな?とりあえず、三月食べていける食料が欲しい」


「この村を?食べていけるだけ買うなど、どうしてできましょう?私も商売を生業にしている。この程度の量では、せいぜい銀貨二枚分、頑張って一世帯が3週間です」


 ユウキが黙ってしまう。ラビンスキーは必死に頭を回し、代わりになるものを探した。


「この町が限界なのはわかっています。どうしようもないんです。やはり彼らと同じように町を目指して彷徨うしかない……」


「彼ら?」


 ラビンスキーが聞き返すと、マルコフは青い顔で頷く。


「えぇ、村の若い衆はとっくに村を捨てて新天地へ旅立っています。……もっとも辿り着いているとは到底思えませんが……?」


 強い風が吹き抜けたのか、隙間風が酷く寒い。部屋中の空気がまるで冷蔵されたかのように一同の肌を刺し、紫色の唇が歯をガチガチと鳴らし始める。マルコフは静かに目を瞑り、疲れた笑みを見せた。


「この町の宿は一つだけです。案内しますので、今日はどうかお休みください。もてなしもできませんで、本当に申し訳ない」


 怒り、猛り、嘆いたマルコフの顔は疲れ切っており、紫色の唇からは白い吐息すらほとんど出ていなかった。

砂糖は大きいので一度ブドウ糖に分解してから撒くといいらしいですよ。

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