第一話 没落令嬢、魔王城を買う
「――却下だ、却下! こんなふざけた設計図が通るか! 依頼人は王都のまっとうな商人なんだぞ。誰が酒場の裏口に『緊急脱出用跳ね出し床』なんて物騒なトラップを仕掛けろと言った!」
「トラップではありません、緊急避難経路です。法規を無視して客席を詰め込むから、火災時の避難動線が死ぬんです。私は正しい防音施工と安全基準を提案したまでで――」
「うるさい! お前はいつもそうだ、理屈ばかりこねおって! だいたい建築魔法の腕は良くても、その愛想のなさは何だ? 職人なら少しは客の機嫌を取れ!」
怒号が響く王都の工務店から、十六歳の建築職人アルカは、叩き出されるようにして通りへ放り出された。
手元に残ったのは、突き返された羊皮紙の図面と、わずかな手切れ金代わりの銀貨だけ。
アルカは短い黒髪をがしがしと掻きむしり、大きなため息をついた。
「……はぁ。私はただ、『世界意思』の定めた安全基準に従って、百年持つ建物を建てようとしただけなのに」
アルカには、生まれつき特殊な才能があった。
この世界のあらゆる構造物を数値や法規として視覚化し、魔力によって瞬時に補修・構築する『建築魔法』の資質だ。
だが、職人としての腕は一流でも、妥協を許さない頑固な性格と無愛想さが災いし、冒険者ギルドの宿舎の雨漏り修理や、安酒場の壁の穴埋めといった、その日暮らしのドブ板仕事ばかりが回ってくるのが現状だった。
今日も今日とて食いぶちに困り、王都の裏通りを歩いていた、その時だった。
「――そこのあなた。いいえ、建築士アルカ。あなたね?」
頭上から降ってきたのは、場違いなほどに凛とした、鈴を転がすような美しい声だった。
振り返ったアルカは、思わず目を丸くした。
そこに立っていたのは、十七歳ほどの息をのむような美少女だった。縦ロールに美しく結われた、陽光を溶かし込んだような金髪。気品に満ちた青い瞳。身にまとっているのは、仕立ての良さが一目でわかる、しかし随所が擦り切れて色褪せた漆黒のドレス。
没落、という言葉がこれほど似合う人間を、アルカは他に知らなかった。
「……誰ですか、あなたは」
「私はエレノア。エレノア・フォン・ローゼンバーグよ。腕は確かだけれど、融通が利かなくて干されている天才建築士を探していたの。まさにあなたね」
エレノアはふんぞり返るようにして胸を張り、不敵な笑みを浮かべた。
「単刀直入に言うわ。私の新居をリフォームしてほしいの。全財産を叩いて、買い取った『領地』があるのだけれど……少しばかり、手入れが必要な状態でね」
それが、アルカとエレノアの、すべての始まりだった。
☆
「……ねえ、エレノア様。一つ確認させてください」
「何かしら、アルカ。改まって」
「町外れというのは聞きましたが……この、明らかに人間の領域を外れて、不気味な魔霧が立ち込めている森の奥にある、あの巨大なトゲトゲした建造物は一体何ですか?」
「あら、見えなくて? 私の新居よ」
王都から馬車を乗り継ぎ、さらに徒歩で数時間。
案内された場所にそびえ立っていたのは、町外れどころか、人類の防衛線の遥か外側に位置する、漆黒の巨城だった。
天を突くような尖塔、ねじくれた城壁、そして門の前に漂う、禍々しい魔力の残滓。
それは、百年前に勇者一行によって滅ぼされたとされる、かつての『魔王城』そのものだった。
「これを家にするんですか!?」
アルカは大声を上げた。
いくらなんでも、まともな人間の住む場所ではない。
「正確には、私の『領地』にするのよ」
エレノアは寂しげに、けれど毅然とした態度で周囲の荒野を見渡した。
「私はね、王都の卑劣な政治闘争に敗れて、家も、名誉も、財産もすべて失ったの。親族一同から見捨てられ、唯一、手放されずに残っていた私名義の資産が、この『旧魔王城周辺の永久放棄領土』だけだった。皮肉なものよね。でも、私は諦めない。ここを再建して、私の新しい城を築くのよ」
絶望的な状況であるはずなのに、エレノアの青い瞳は、決して折れない不屈の炎で燃えていた。
その気高き野心に、アルカは一瞬だけ、胸の奥を強く打たれた。
しかし――プロの建築士としての本能が、すぐにそれを上書きした。
「……なるほど。エレノア様の覚悟はわかりました。では、さっそく物件の査定に入ります」
アルカは腰の工具ベルトから、魔導メジャーと羊皮紙のカルテを取り出すと、魔王城の巨大な城門へと歩み寄った。
城門の石材をコンコン、と拳で叩く。
そして、指先から魔力を流し込み、城全体の構造ログへとアクセスした。
次の瞬間、アルカの脳内に、世界意思が管理する建築基準――『迷宮建築法』の膨大なエラー警告が、真っ赤な光となって溢れ出した。
「……ひどい。ひどすぎる。これは人道に対する冒涜、いいえ、建築に対する冒涜です」
アルカは深く、深いため息をつき、頭を抱えた。
「どうしたの、アルカ? やっぱり、素人目に見ても手の施しようがないほどの廃墟だったかしら?」
エレノアが不安そうに覗き込んでくる。
アルカは短い黒髪をがしがしと掻きむしり、エレノアを振り返った。
「エレノア様。廃墟だとか、お化けが出そうだとか、そういう情緒的な話をしているのではありません。……この物件、完全に『迷宮建築法』に違反しています。
一発で営業停止、いえ、ダンジョン閉鎖レベルの違法建築です!」
「め、めいきゅう……けんちくほう?」
エレノアが美しい眉をひそめて小首を傾げる。
「ご存知ないのですか!? どんなに凶悪な魔王が作った迷宮であっても、この世界のシステムが定めた【迷宮建築法】には従わなければならないのです! 冒険者の安全、および迷宮内生物の最低限の労働環境を守るために!」
アルカは激昂し、手元の魔導カルテをバシバシと叩いた。
「まず、この玄関口である『城門』! 門扉が完全に歪んでいて、緊急時の有効開口幅が足りていません! 法第十一条『ダンジョン進入路の主要な出入口は、侵入した冒険者および迎撃する魔物双方が円滑に避難できるよう、一定以上の幅員を確保すべし』。これでは有事の際、中で詰まって将棋倒しになります!」
「まあ……」
「さらに、この城門の防護術式! 属性抵抗の計算がめちゃくちゃです。耐火等級がまったく足りていません! こんな薄い術式一枚じゃ、上級冒険者の『爆炎魔法』一発で門ごと消し飛びますよ! 魔王城だろうが何だろうが、避難経路と構造の安定性だけは法律上、絶対に確保しなければならないと定められているのに……!」
アルカの熱弁は止まらない。
城門の敷居の隙間を指差した。
「極めつけはここです! 門の下部、スライムの生息区画と繋がっているにもかかわらず、床に防水・防粘液施工が一切施されていません! 粘液が門の基礎石に染み込んで、内部から風化が始まっています。百年前に滅びた原因は勇者じゃなくて、この基礎の老朽化による構造計算ミスによる自壊ですよ! よくもまあ、こんな欠陥住宅で世界征服なんて企めたものです。前魔王の神経を疑いますね!」
「待って。魔王って世界征服する前に、役所へ建築確認を出していたの?」
「当然です」
「当然なの!?」
あ然としていたエレノアだったが、やがて、くすくすと鈴を転がすような声で笑い始めた。
「ふふ……あははは! 面白い子ね、あなたは。誰もが恐れる最凶の魔王城を見て、まさか『法律違反だ』と怒る人間がいるなんて」
エレノアはアルカに歩み寄ると、その細く白い手で、アルカの作業着の襟元を優しく整えた。
ふわりと、没落してもなお気品のある、薔薇のような香りがアルカの鼻腔をくすぐる。
「でも、安心したわ。あなたがそれほどまでにこの城の『欠陥』を見抜けるのなら――リフォームして、完璧なものに作り直せるということでしょう?」
「それは、まあ……私の建築魔法と、私の知識があれば、どんな違法建築でも超優良物件に再生してみせますが」
アルカは少し顔を赤くしながら、視線を逸らした。
「決まりね。アルカ、あなたを私の『お抱え建築士』として正式に雇うわ。報酬は……今はこれだけしか払えないけれど、この城が蘇った暁には、最高の地位と富を約束するわ」
エレノアが差し出してきたのは、数枚の金貨と、彼女の全財産が入っているという古びた革袋だった。
(王都の商人たちの、ご機嫌取りのためのくだらない仕事とは違う……)
アルカは、エレノアのまっすぐな瞳を見つめ返した。
この少女の突拍子もない、けれど誰よりも熱い夢の、最初の基礎(土台)を築いてみたい。
職人としての血が、激しく騒いでいた。
「……仕方がありませんね」
アルカは不器用な笑みを浮かべ、腰の魔導木槌を引き抜いた。
「私のプロとしてのプライドにかけて、この違法建築だらけの魔王城を、建築基準法、いえ、『迷宮建築法』を完全クリアした、世界一安全で快適な場所に劇的ビフォーアフターして見せます。まずは第一工区、この『玄関・城門』の違反是正工事から始めましょう!」




