4-25 この身に刻まれていた名は
生まれつき二の腕の内側に奇妙な痣を持って生まれた和音は、その痣ゆえに両親から疎まれていた。
また両親の虐待に等しい躾によって、人に二の腕を、ひいては身体を晒すことに嫌悪にも似た苦手意識を持ってしまう。その結果、学生生活すらもうまくいっていなかった。
ある雨の日、乱暴な運転をする車が跳ね上げた雨水に何故か飲み込まれてしまう。
気が付けばそこには見覚えのない光景が広がっていた。
異世界だと認識する間もなく、和音は逆境に曝される。親切な商人に拾われた和音は、自らの二の腕にある痣がこの国の文字だということを知る。
その文字が示すのはこの国で英雄と称えられている騎士団長の名だということも。そして……この世界では運命の相手の名が身体に浮かび上がる世界であるということも。
運命に導かれた二人は今、世界を越えて巡り逢う。
※この作品はBL作品です。一部残酷な表現があります。
僕の身体にあなたを刻みつけてください。けっして消えないように。あなたの運命だとわかるように。
僕の二の腕には生まれつき奇妙な痣がある。
ミミズののたくったようなと称される悪筆にも似た線状のソレは、何をしても消えることはなかった。
『気持ち悪い。まるで呪われてるみたいだわ……。こんなのが自分の子だなんて……本当に嫌になる』
『まったくだぜ。こんな気味悪ぃガキが息子だなんて……。お前どっか別の男の種でも貰ってきたんじゃねぇの?』
吐き捨てるような母の言葉と、嘲るような父の台詞。
父の言葉はただでさえ僕のことで苛立っている母を怒らせるには十分な破壊力を持っていた。
金切り声が部屋に木霊し、母が父に食って掛かる。
へらへらと嗤いながら母を躱し、父はどこぞへと出かけていった。
そして残されたのは……。
気持ち悪い痣を持つ息子を生んだことで、浮気を疑われ激高している母と……。
気持ち悪い痣を持った僕だった。
そして嵐のような暴力が僕を襲う。
痣を消そうとでもいうのか、母親が熱したフライパンを持ち出した。
じゅうと水分が蒸発する音と、肉の焦げる臭い。
限界を超えた痛覚は既に麻痺していた。
悲鳴を上げれば上げるほど、この躾は続いてしまう。
必死に唇を噛んで悲鳴を押し殺す。
パッと口の中に広がる金気の味はもう慣れ親しんだものだ。
『っ! どうして! どうして消えないの! 本当に……気持ち悪い!!』
ドンと突き飛ばされ、壁に頭をぶつける。
じわじわと痛む後頭部より、焼け爛れた二の腕が痛む。
だけど動かない。動けない。
ここで動けば、何か言葉を紡げば、嵐のような暴力の中へと逆戻りだからだ。
肩を怒らせたままの母親だという女性が部屋を後にして、やっと息を吐くことができた。
ずきずきと痛む全身をおして、キッチンへと向かい、じくじくと痛む二の腕を流水にさらす。
本来であればこんなことをすれば、焼け爛れた皮膚がはがれて酷いことになるだろう。
だけど……。
しばらくして腕を見れば、そこにはつるりとした皮膚と……ミミズがのたくっているように見える黒い線状の痣。
何をしても消えないコレは、まるで呪いのようだった。
母親の、両親の気持ちもわからないでもない。
何をしても消えないこの痣。
まだ赤ん坊の頃は、これを消そうと母親は色々な病院を巡ってくれたらしい。
レーザーで消す方法を試したりもしてくれたらしい。
だけど何をしても消えないこの痣は、いつか彼女にとって己の無力さを突き付けるだけの存在になってしまったのだろう。
結果、躾と称した暴力と、治療と称した痣への暴力は絶えることなく僕に襲い掛かることとなった。
家の中で気が休まるのは両親が二人とも出かけている間だけ。
そんな状態が続けばまともな人間になれるわけもない。
人とのコミュニケーションを取ることに怯えるようになってしまった僕は、学校でもどこでも一人だった。
「……この痣が呪いだっていうなら……とっとと僕を呪い殺してくれればいいのに……」
諦めにも似た呟きは、誰に拾われる事無く消えていった。
***
「おい! たなかぁ! ……お前の傘寄越せよ」
放課後。
僕は滅多に話さないクラスメイトから声をかけられた。多分。田中和音。それが僕の名前だった。
田中って名字は日本全国にたくさんいるし、このクラスにももう一人いるが、きっと彼女のことではないだろう。
現にもう一人の田中を冠しているはずの女子生徒はこちらに微塵も関心を向けていない。
「おい! 聞いてんのか? 傘貸せってんの!」
僕が返事をする前に、僕の手から傘が奪われていった。
クラスメイトは僕の傘を差して、他のクラスメイトと楽し気に雨の中を帰っていく。
……まぁ、いいか。
一声かけてくれるだけ、あのクラスメイトは優しい。
傘なんて勝手に持ってかれるのがいつものことだったから。
……貸せってことだったけど、返してくれるのかな?
そんなどうしようもないことを思いながら、僕は雨が降り注ぐ中へと一歩を踏み出した。
春のぬるい雨はあっという間に僕の身体をびしょ濡れにしてしまう。
痣を気にして年中着ている長袖のシャツもあっという間に濡れそぼり、中に着ているインナーの形を浮かび上がらせた。
そして、二の腕に浮かぶ黒い痣もうっすらと浮かび上がらせる。
反対の手で二の腕を掴んで、他の人の視線に映らないようにする。
気休めだとわかっていても、反射的にそう動いてしまうようになっていた。
誰にも見られませんように。
そんなことを願いながら歩く道は、遅々として進まない。
それはひとえに僕があの家に帰りたくないからだ。
帰れば襲ってくるのは、終わりない暴力。二の腕だけは傷一つ残らないとはいえ、他の部分の傷は残るし、そもそも痛みだってある。
嵐のように与えられるソレに慣れる日が来るとは思えない。
だからこそ、歩みも遅くなる。
あぁ、いっそ。
家の手前の路地で立ち止まる。
あぁ、いっそ。このまま消えてしまいたい。
そんな僕の願いが通じたのか、けぶる雨を車のヘッドライトが切り裂いた。
物凄いスピードで現れた車は、僕をひき殺さんばかりの勢いで近づいてきて……。
僕の目の前にあった水たまりを大きく跳ね上げた。
点き始めたばかりの街路灯の明かりを受けて、大きく跳ね上がった水しぶきがキラキラとオレンジ色に輝く。
あぁ、綺麗だな、なんて呑気なことを考えた瞬間、煌めく飛沫が僕に降り注いで……何故か僕の意識は闇に包まれた。
***
「……い! お……! おいっ! おいっ!! 起きろっ!」
「っ!?」
父親とは違う男の怒鳴り声に、僕は慌てて目をあけた。
「……え?」
「怪しいヤツだな! 見たこともない服装もしてやがるし……。お前……どこから来た?」
「怪しいも何も僕は……この先の高校の生徒で……」
言いかけて思わず僕は押し黙る。
だって、僕の前で仁王立ちになっている目の前の人は……明らかに僕の常識の範囲外の人だったから。
くすんだ茶色の髪に、琥珀みたいな目の色。まぁ、そこまではよくいる。カラーリングもカラコンもあるんだ。よくいるよくいる。
だけど男の服装は……僕の日常には不釣り合いだった。
「あ……の……? 近所でコスプレイベントでもあったんですか?」
そう聞いてしまうくらいには男の格好は現実離れしていた。
まるでゲームやファンタジーの世界に出てくる騎士みたいな恰好。
腰に佩いた剣は重そうで、まるで本物みたいだ。
「お前……何言ってるんだ? 俺たちは見ての通りこの辺りを管轄している第三騎士団の者だ。それくらい見ればわかるだろう?」
「第三……騎士団?」
僕の頭から疑問符がどんどん沸き上がる。
だってもう、わけがわからない。
「……怪しいヤツだな。詰所にこい」
「ひっ!」
男に腕をとられ、無理やりに引き上げられる。
抵抗したつもりはなかったが、何せこの状況が全く理解できていない。
思わずと腰を引いてしまったことが抵抗と見做されたのか、男からの扱いがさらに乱雑になる。
「逃走すれば斬る」
「ひぃっ!」
これが殺気というものなんだろうか。
今まで受けたことのない圧に膝から崩れ落ちそうになる。
男に掴まれたままだった腕がピンと伸び、ビリリと肩口から布が裂けた。
「ん……? ……お前……これ……は……?」
破れた袖が男に掴まれたままの手首の辺りに蟠る。
剥き出しになった肩に、冷たい外気が触れた。
そして男の視線の先には……。
生まれつきある、何をしても消えない痣があった。
「この……名は……っ! 貴様っ! よりによって彼のお方の御名を! 運命を謀るとは!」
「ひぃぃ!」
男の怒気に当てられて、腰が抜けた。
ずるずると座り込んでしまった僕を、まるで敵でも見るように睨みつけてくる男。
「こんなもの! 我が手で消してやる!!」
男の手が腰の剣に掛かり、すらりと引き抜かれた。
周囲の光を浴びてぬらりと不吉に光る剣先に、カタカタと震えが止まらない。
「彼のお方を謀ろうなど! 死をもって償えっ!」
男の剣が振り下ろされた。
顔を庇ってあげた腕にまるで焼けたフライパンを押し付けられたような熱が走った。
「う、あ、あ……」
「っ! なっ!?」
だけど、腕はあっという間に治っていく。
シャツに散った血飛沫はそのままに、二の腕は痣ごと何事もなかったかのようにそこに在った。
だけど焼けつくような痛みがなくなったわけじゃない。
なのに……。
「そこまで! そこまでして謀りたいかっ! この無礼者っ!」
何度も何度も僕の腕に剣が振り下ろされる。
いつしか痛みは消えていて、男の姿もぼやけていく。
辺りに血の匂いが充満し、血を吸ったシャツが重くなる。
切られた腕は何事もなかったように元に戻るとはいえ、流れ落ちた血液はそのままだ。
いつしか僕は……意識を失っていた。
そして次に目覚めた時も、世界が、僕の人生が終わっていなかったことに僕は静かに絶望する。
この世界では運命で結ばれた相手の名が身体のどこかに痣となって浮かび上がることを、僕の二の腕にある痣がこの国で英雄のように慕われている騎士団長の名であることを、僕が知るまであと少し……。





