15.考察
池田首氏。
池田郡の名の由来となったこの氏の出自は記紀にまで遡る。
いわく、景行朝の頃、帝は双子の皇子を連れて濃州へと行幸したことがあった。
その際、帝はこの地で美人姉妹の噂を聞きつけ、兄皇子に彼女たちを連れてくるように命じる。
しかし、兄皇子は姉妹を訪ねた先で姉妹たちと恋仲となり、父の元へ戻らなかったのである。
それを知った帝は弟皇子を呼んで、兄のもとへ行って叱って来いと命じた。
弟皇子は、兄のもとへ赴き、兄を襲って捕まえ、暴行を加え、手足をもぎとり、簀巻きにして投げ捨て、そのまま帰っていった。
このとき惨殺された兄皇子を大碓皇子。
惨殺した弟皇子を日本武尊と呼ぶ。
こうして兄皇子は殺されたが、件の姉妹はそれぞれ皇子の子供をもうけることになる。
その末裔が濃州に繁茂し、内の一族が池田首を称してこの地に池田郷を拓き、今にまで続く豪族となったのである。
そして今の池田家の当主である池田公貞は、この日も、夕餉をさっさとすませると宵頃より書院に篭り、ここ最近起きた出来事や知りえた情報を整理しながら紙につらつらと書き連ねていた。
家人からはあまり良く思われていないのだが、彼はこうやって書院の中で百家の漢籍を読み漁り、思索を書きつけることに楽しみを感じる性分なのである。
伯父に河内源氏の棟梁を持つ身の上としては、やはり戦働きで功名を得るべきなのであろうし、彼自身、奥州十二年合戦への参陣など、ことあるごとに弓馬の才を期待されている。
だが生れつき要領が良いことに自負があるが、それは結局最初だけであって、従兄弟たちのようにまさに「天賦」というような武の才が自分にあるとは思えなかった。
そんな彼にとってここ最近の滾山の蟒蛇に関する出来事は良くも悪くも注目するものだった。
彼自身、証拠を積み上げ事実を証明していくという性分から、昔から領民達の話題に上がる、この見えない蛇の話を真に受けてはいなかった。
夜な夜な人が消えるなど、夜逃げの常套手段だとしか思えなかった。
しかし、あの下文を受け取ってから二月半。
聞けば聞くほどに、調べれば調べるほどに、滾山の大蛇の実在を信じずはいられなかった。
まず知るべきは霞谷和比人の行動である。
彼は若いころから大蛇退治に何度も挑んでいたようだが、その全てが失敗に終わっている。
普通に考えれば、年に四度、どの村のどの家に現れるかわからない霞と消える蛇など退治できるはずもない。
次に霞谷和比人は、浪人・葛貫九郎に助力を求めた。
この人物は長元の乱で武名を轟かせた兵のようである。
この葛貫という男は、霞谷和比人が殺された時に大蛇と遭遇して一戦交えている。
驚くべきことに、霞谷郷の領民達はこの際、葛貫と戦う黒霞の大蛇をその目で見たのだという。
これは大蛇の実在を信じざるをえない出来事である。
さらに驚くことは、葛貫九郎はこの戦いで、大蛇から霞谷の姫を助け、大蛇の胴に一太刀浴びせたのだという。
流石は霞谷和比人が見込んだ男というべきか。
この後葛貫は霞谷郷の人に二つの指示を出した。
霞谷の姫を京へ送ること、そして霞谷の領民全員を避難させること。
領家の下文があれほど早く届いたのは、都で霞谷の姫が動いたからだと考えられる。
そして霞谷の領民全員避難させた葛貫の意図を想像すると、この葛貫という男が、ただ力任せに大蛇と戦おうとしていないことがわかる。
大蛇が次に狙う相手を自分一人に絞らせ、襲ってきたところを村の中で迎え討つ。
村を戦場にする理由は、おそらく蛇を捕らえる罠を張り巡らせるためだ。
霞谷郷での蛇退治は、今までに見たこともない戦いになりそうである。
かたん
と硯に筆を置くと、公貞は今まで書き溜めた記録を見返してみる。
面白い。そして見てみたい。
遠く山々を越えた先で、一人の男が知略の限りを尽くして、伝説の蟒蛇と戦おうとしている。
どのような戦いが繰り広げられているのか興味深く、それが見れないことは残念であった。
そう思いながら、ふと霞谷郷のある山並みへと視線を向ける。
部屋の窓の先、いつもなら月夜に照らされてうっすらと見える滾山とその山並みが今日は見えない。
「そうか。今日は、新月なのか」
公貞がつぶやいた。そのとき――
どおおおん
と霞谷のある方の暗闇から、大きな地響きが轟いた。




