第二十六話 もふもふ
苦しそうにしていた獣もだんだんと静かになっていく、体表のまだら模様が薄れて純白の毛が輝いていくような気さえする。美しい毛並みだ。なんというか、森の中で生活していれば当然つくであろう土汚れやホコリなんかも一切ない、純粋な白。
むしろ森で生活する生物としてはデメリットになるだろう純白の被毛、しかし、その非現実的な輝きが、何よりも美しい……
抵抗していた力も抜けてきた。
一応こういう状態で油断すると急に暴れることもあるので保定の力は緩めない。
もう大丈夫だろうと油断して傷ついた動物病院関係者の数は計り知れない……
締めるつけること無く固定する。動かせないけど、押さえつけない、押さえつけると不快感から暴れるし、本人も抑えている方も疲れていく。
魔素を完全に吸い込んだ白衣からマナが溢れ出している、周囲に濃厚なマナで満たされている。
大量の魔素がこの魔獣だった獣に入り込んでいたことを意味している。
当の本人というか犬は気がつけば、俺に身体を預けて寝息を立てている……
ようやく保定をといて、その毛並みを味わうように撫でてあげる。
「ふひひ、ふかふか、ふわふわ……」
極上の撫で心地だ。
高級なシルク、いや、この軽さと手触りを表現する正しい言葉が生まれてこない……
手触りを堪能しながらマッサージをしていると、もたれかかる重量がまして、完全に俺に身体を預けて眠っている。
サモエドよりも大きな犬が自分の腕の中で寝ているというのは、動物好きの夢のひとつだな。
気がつけば診察をしてしまっている。獣医師あるあるだ。
小回りから頸部、胸部、腹部、四肢といつもの流れで診察していく。
特に外部からの触診視診で異常は見当たらない。
聴診上でも特異所見はない。それにしても全身が筋肉の塊だな。
しかもしなやかで美しい、狩猟犬などのそれに近い。
撫でくりまわしているとお腹を出して身体を寄せてくる。可愛いやつだ。
調子に乗って口の中も診させてもらう、牙がエグい……これに咬まれたら、潰されて引きちぎられるな……爪もまぁ大きくて鋭い……飼われた犬とはまるで異なる。
女の子みたいだけど、若いんじゃないかな? と歯垢とかの付き具合で思うけど日本の犬と同列に考えるのはナンセンスなんだろう。
それにしても、流石に重い。
すでに地べたに座って撫で回しているが、お腹を出してだらしなく俺にもたれかかっている。
大木を背にしているので、このワンコと挟まれると流石に少し苦しい……でも、この重量感がなんとも言えず気持ちいいけど……温かいし……温かいなぁ……
一定のリズムで呼吸するワンコの温もり、これは……麻酔みたいなものだ……
気がつけば、大きなワンコと身を寄せ合って眠っていた。
「……寝てしまっていたか……」
ん? 重量感が無い……
「あれ!?」
気がつけば、普通の柴犬くらいの大きさの真っ白な犬が俺の膝の上で丸くなっていた。
とにかく撫でるとゆっくりと顔を上げてきた。
「貴方が助けてくださったのですね。ありがとうございます」
なんともきれいな声で流暢に話してきたので、随分と慣れてきた俺でも少したじろいでしまった。
「ああ、君は喋れるんだね」
「はい、どうやら色々と迷惑をかけてしまったみたいで……記憶は朧気ですが、他にもたくさん傷つけてしまいました……」
「穢に囚われかけていたんだよな?」
「はい、母が命をかけて私を逃してくれたのですが……」
「……他にも同じ境遇の奴がいるのか?」
「いえ……母は、完全に取り込まれて、父と壮絶な相打ちを遂げました……
全ては山を超えてきた魔人のせいなのです……!」
その言葉には哀しさと悔しさがにじみ出ていた。
「とりあえず、詳しく話を聞きたいから、俺達の村へ行こう」
「わかりました。大恩ある貴方様に従います」
「いや、別に俺はそういうわけでは……」
「いえ、あのまま暴れまわれば、父と母の名を汚す生き方を強いられていました……
そこから救っていただいた貴方様には命をかけて恩をお返しします」
何を言っても無駄だろう。その瞳はそう語っていた。
その場で問答していても仕方がないので、村に向かって移動を開始する。
始めは様子を見ていたが、どうやら俺が本気を出しても簡単についてこれる事がわかったので、出来る限り村へと早く戻る。
「それにしても、身体が小さくなっていてびっくりしたよ」
「少し苦しそうになさっていたので……あの辺りはとても空気が良くて、私も力を使いやすくて助かりました」
「しかし、やっぱり手加減してたんだな」
「……抵抗はしていたのですが……すみません……」
「いや、いいんだ……」
ただなぁ……村には両親をたぶん、彼女に殺された子供が居るよなぁ……
どうなるか……
とりあえず、村への速度を早めていくことにした。