77.余韻
パーティーの余韻を胸にいだくブロード。ふと故郷のことを思い出す。バーリントンと連絡を取ろうとアンカーの指輪を使う。
ここまで余韻を残すような会合はブロードにとって初めてだった。明かりを消す気にもなれず、ベッドに横たわり、スマホのSNSアプリを開いてタイムラインに投稿されたパーティの様子を収めた画像や動画をながめる。歌を歌ったり、感想を述べたり。食事やミリアにあげたプレゼントを写した画像もある。
――まさかこの世界で得難い友人に出会えるとは。
朽ち果てて死のうとしていたのに。
あれもこれもミリアのおかげだった。
にゃーん。
枕の横で体をまるめるギリアンが、鳴き声を上げた。ブロードはその背中をなでてやった。
――うん、お前のおかげでもあるな。
さっきミリアと総司が話しているのを見た。どうやら二人のわだかまりは解消したようだ。その二人の笑い合う顔を見ていると、ふと故郷のことが思い出された。
向こうのミリア、ギリアン、父、母、学友たち。
バーリントンからもらった指輪の存在を思い出し、クローゼットの奥の化粧箱を開いた。指輪はそこにあった。黄銅の台座にガラスのような半透明の丸板を埋め込んだシンプルな作りの指輪――これだけは売らずに取っておいていたのだ。
凍結マナの使用方法も覚えた。ということは、指輪を使うことができる。バーリントンとも通信ができる。向こうの近況を聞くのもいいかもしれない。
右手の人差し指を指輪に通した瞬間に、反応があった。
『ブロード? ブロードかい?』
懐かしの故郷の言語。数ヶ月ぶりに聞いたというのに何十年も経っていた気がした。
「久しぶり、バーリントン。そっちは元気にしていたかい?」
積もる話がやまほどある。バーリントンが今のブロードの格好をみたらどう思うだろうか。Tシャツとチノパン姿のブロードを。
『ああ。ブロード、本当によかった。連絡がつかないから君はもう亡くなってしまったと信じる者たちだっていたぐらいだ』
「すまない。わけあって魔術が使えなくなっていた。マナが凍結していてね。そっちはどうしてる?」
『ブロード。落ち着いて聞いてくれ。王国の危機だ。蛮族たちが攻めてきたんだ』
「蛮族だって?」ブロードは叫んだ。「あいつらに何ができる。王の魔術軍はどうしている」
『敵軍に押されている』
「まさか」
『そのまさかなんだよ。やつら、地下から兵器を掘り出したんだ。人型の巨大鎧だ。火を吹き、電撃を浴びせる。動きも素早い。名うての魔術師たちが何人も殺されてしまった。ブロード、このままでは王都にまで敵が攻め込んできてしまう。頼む、戻ってきてくれ。君の力が必要なんだ』
「少し時間をくれ。こちらで片付けなくてはいけないことがある」
『分かった』
バーリントンとの通信が途切れた。
ブロードはテーブルに両手をついた。帰る。王国に帰るのだ。今こそ。
よほど思い詰めていたのかもしれない。
ノックの音に気づかないほどに。
「ブロード?」
少しだけ開かれたドアから、ミリアが視線をのぞかせていた。
「誰かいるの?」
「うるさくしてしまったみたいだ。ごめん」
「いいの」
ドアを開けるとミリアが入ってきた。その表情は晴れやかとはいえなかった。まるで今までの会話の意味が分かっているかのようにブロードには感じられた。
「魔術を使って通信した。元の世界の人間とだ」なぜかミリアと目を合わせられなかった。声は震えをかくせなかった。「王国は危機にある。僕は必要とされている。元の世界に戻らなくてはいけないんだよ」
「戻るの……?」
ミリアの顔は、天井の白色灯を浴びて、青白く輝いていた。
「そうだ」
「でも、またここに来られるわよね?」
「おそらく無理だ。アラバードは、僕の世界では二千年も前の人だったけど、この世界にたどり着いたのは百年ほど前のことだ。僕の世界とこの世界とでは時間の流れ方が違うんだ。一度向こうに戻ってしまえば、二度と今この場所に来られることはないだろう」
「それじゃあ」ミリアの両目は大粒の涙をたたえた。「永遠のお別れってこと?」
ミリアの体がよろめいたので、ブロードは両腕で支えた。洗い髪からシャンプーの匂いが漂ってきた。
「そんな悲しいことは言わないでほしい」
「でも、そうなんでしょ」
「ミリア……」
しばらく二人は無言でいた。密着したミリアの体からは確かに体温が伝わってきた。映画のようにロマンティックなふれあいを夢見ていたけど、現実は苦味であふれていた。
永遠のお別れ。
そう、その通りだ。今この場で元の世界に戻ることは、この世界のミリアと死に別れるのと同等の意味を持つ。
「あなたの祖国、アラバード国っていうところなんだっけ」ミリアが口を開いた。消え入りそうな声でそう言った。「とても大切な場所なんでしょう」
「そうだ」
「行って。戻って。あなたの世界を救って。それがあなたの使命なんでしょう」
「ミリア。お別れにおまじないをしよう。僕の故郷でよくやるおまじないだ。魔術未満の業で、感情を伝え合うんだ。いつまでも一緒にいられるよう親友同士がかけあうおまじないなんだ」
――両手を差し出して。ミリアはその言葉に従った。
ミリアの細い両手の指を軽く握ると、ブロードは目を閉じた。その両手にマナを注入した。
「あなたの感情。流れてくる」ミリアは自らの胸を抱きしめた。「とても熱くて、寂しい」
ふたりでもう一度抱きしめ合い、それから離れた。
「もう行くよ」
ブロードが言うと、ミリアは無言でうなずいた。
ふと気がつくと戸口に総司が立っていた。
「行くのかよ。明日とかじゃダメなんだな」
総司は言った。
「今行かなくてはいけない。総司、ミリアを頼んだぞ」
「言われるまでもねえよ」
二人は強い握手を交わした。
「達者でな」
「君も」
ブロードはバーリントンを呼び出した。
「準備ができた。僕を引き上げることはできるか」
返事に答えるように、ブロードの目の前にぽっかりと虹色の空間が広がった。
「なんだよこりゃ」
総司が驚いた声で言った。その空間からは風が吹き込み、総司とミリアの頭を揺らした。
ブロードは赤いマントを一枚羽織ると、まっすぐ扉へと向かった。
「さようなら」
その一言を残して。
王国の危機を知ったブロード。異世界に返らなくてはいけなくなる。この時代・この場所に二度と戻れる望みはない。ミリアと総司に背を向け、異世界の門をくぐった。




