表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/170

魔導アーマー その1      

今回からは魔道アーマーが表に出されるまでの話になります。             

  その22



話は、ロスコフが30歳を迎えた頃まで遡る。


現在、リバンティン公国の各地で静かに、しかし確実に広がりつつある不穏な動き。その根源には、東の大国ラガンが仕掛けた巧妙な策略があった。リバンティン公国南部地区に点在する貧しい村々を狙った、組織的な略奪行為。しかし、この目に余る暴挙に対し、リバンティン公国の支配者である『公』、そして王は、驚くほど何の対策も講じず、ただ手をこまねいて事態の推移を見守るばかりだった。


この信じられないような王国の対応に、東西南北各地の領主である諸侯たちは、深い不信感を募らせていた。「もし王が敵に攻撃された場合、我々諸侯を見捨て、何の援助も送ってこないのではないか?」彼らはそう考え始めたのだ。先のことを憂慮した諸侯の中には、もはやこの地に未来はないと判断し、今のうちに領地に見切りをつけ、安全な他国へと亡命するという考えさえ持ち始める者も現れていた。


そして今や、各地の諸侯だけではない。南部地区から辛うじて逃れてきた村人たちが、王都『アンヘイム』で日夜、自らの身に降りかかった、あるいは目の当たりにした数々の残虐な行為を、疲弊した声で街の人々に語り聞かせていた。その生々しい証言は、人々の心に恐怖の種を深く植え付ける。遅かれ早かれ、豊かな王都アンヘイムも、南部の村々と同じような悲劇に見舞われるだろう。街の人々は、拭いきれない不安に苛まれ始めていたのだ。


その不安は、人々の心を蝕み、些細なことでさえ互いに疑心暗鬼になり、怒りを爆発させるような、張り詰めた空気を街全体に漂わせていた。


更に、そのような人々の不安や怒りを巧みに煽る者たちまで現れ始めると、その矛先は、本来守るべき存在であるはずの、アンヘイムの警備に当たっている兵士や、リバンティン公国軍に所属する兵士たちへと向けられ始めたのだ。


南部地区の村々が焼き払われ、無辜の村民たちが次々と襲われ虐殺され、若い女や子供たちは奴隷として連れ去られた…そんな耳を覆いたくなるような残虐非道の数々の出来事が、誇張された尾ひれを伴った噂話となり、兵士たちの間で語られている。彼らは、近い将来、王国から悪逆非道なラガンを討伐する命令が下るだろうと信じて疑わなかった。しかし、現実は違った。いつまで経っても討伐命令は下らず、上層部からの何の指示もないことに、兵士たちの間には深い不信感が募り、抑えきれない怒りを露わにする者も少なくなかったのだ。


そんな怒り心頭の状況下で、またしても東部地区から、焼け出された家を後に、全てを失った避難民たちが、憔悴しきった様子でアンヘイムへと逃れてきた。彼らの絶望的な姿は、既に限界に達していた人々の怒りに、さらに油を注ぐ結果となったのだ。




その者たちは、ラガン王国から来たと自ら風潮する異様な風貌をした集団に襲われ、言葉では言い表せないほどの恐ろしい残虐行為を目の当たりにし、辛うじて命からがらこの地に逃れてきたと、涙ながらに訴えていた。もちろん、背後にはラガン王国の明確な意図があった。彼らは、あえて一部の生存者を見せしめとして逃がし、その悲惨な体験を語らせることで、リバンティン公国とその民衆に恐怖を植え付け、王と『公』に対してラガン王国への報復戦争を起こすよう、強い圧力をかけていたのだ。


何も事情を知らないごく普通の農民たちは、自らの身に起こった、あるいは目の前で見た地獄のような光景を、必死の形相で人々に語り聞かせた。その悲痛な叫びは、怒りの炎を燃やす民衆や、何もできずに鬱積した思いを抱える兵士たちの心に深く突き刺さり、彼らの怒りをさらに増幅させていた。


そんな人々の中から、もはや抑えきれない感情が爆発したかのように、公の場であるにも関わらず、激しい怒号が飛び交い始めた。「王国軍は何をしているのか!」「我々の故郷が蹂躙されているというのに、一体何故、何もしようとしないのか!」「王国軍は、ただ税金を食い潰すだけの役立たずなのか!」等々、その怒りの矛先は、無策な王族だけでなく、事態を打開できない軍へと明確に向けられていた。


このような事態が日常的に頻発していたため、リバンティン公国の国民たちの我慢も、もはや限界に近づきつつあることは誰の目にも明らかだった。


そこで、長年、隣国ラガンとの正面衝突を可能な限り避けてきたリバンティン公国の国王、ルマン・アルフレンドIII世は、差し迫った本格的な全面対決を避けることは不可能であるという厳しい知らせを受け、深い絶望感に打ちひしがれていた。


このままでは、単に王都『アンヘイム』がラガン王国の手に落ちるだけでは済まないだろう。もしアンヘイムが陥落するような事態になれば、現王族は皆、惨殺されてしまう。そして、抵抗した貴族たちも、処刑されるか、あるいは奴隷の身分に落とされ、ラガン王国の使い捨ての駒として過酷な労働を強いられるだろう。そんな悲惨な未来しか、彼らには残されていないのだ。


その破滅的な未来が刻一刻と近づいていることを痛感し、焦燥感を募らせ始めた現王、アルフレンドIII世は、何とかしてこの絶望的な状況を打開できるような方法はないかと、信頼できる密偵を秘密裏に各地へと放ち、わずかな希望の光を探し求めていたのだ。



ここはアンヘイムの東部地区、裏路地にひっそりと佇む酒場『パンプキン』だ。夕闇が迫る中、通りを行く人々は、その煤けた壁と傾いた屋根を持つ外観からは、ただの古びたボロ屋としか認識しないだろう。しかし、夜が深まるにつれて、人影が途絶えることのないように、一人、また一人と、用心深く中へと吸い込まれていく。


周囲の善良な市民たちは、「あんな寂れた小屋に、一体何の用があって出入りするのだろうか?」と訝しんでいる。だが、その疑問を口に出す者は少ない。なぜなら、中へ入っていく者たちの多くが、一目でそれとわかるほどに粗野で、どこか人を威圧するような雰囲気をまとった、非常にガラの悪い連中だったからだ。下手に詮索すれば、面倒なことに巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだ。


重い木の扉を開け、薄暗い通路を奥へ奥へと進むと、突如として目の前の景色は一変する。外の陰鬱な雰囲気とは打って変わり、中は意外なほど広く、活気に満ちた空間が広がっていた。薄暗いながらも、壁に掲げられた油ランプのオレンジ色の光が、喧騒の中に浮かび上がる人々の顔を照らし出す。広間の中心では、けばけばしい色の布切れを体に巻き付けただけの女が、妖艶な音楽に合わせて腰をくねらせながら踊っていた。彼女は、踊りの合間に、肌を隠しているわずかな布切れを一枚、また一枚と挑発的に脱ぎ捨て、熱い視線を送る観客に惜しげもなく肌を晒している。客の数は多く、ざっと見ても50人から60人はいるだろう。酒と汗、そして微かに香る香辛料の匂いが混ざり合い、独特の熱気を帯びた空気が充満している。


ここに酒を飲みに来る連中の多くは、表の世界では生き辛い、脛に傷を持つ者たちだ。裏社会を牛耳る反社会勢力に所属する者、追われる身の逃亡中の犯罪者、あるいは素性を隠したい訳ありの者たち。それに、陽の当たる場所では生きられない、一癖も二癖もあるような冒険者の中にも、この酒場の常連は多い。


彼らが何故ここに集うのか。それは、例えば、正規の冒険者ギルドでは資格がないために請け負うことのできない危険な高レベルの仕事や、法に触れるようなアンダーダークな仕事などが、ここでは公然と、しかし秘密裏に違法な取引として依頼され、請け負うことができるからだろう。


中には、成功すれば良い報酬が得られる反面、非常に危険な仕事も多く、文字通り命の保証などない。それでも、一攫千金を夢見て、あるいは他に生きる術を持たない冒険者たちが後を絶たずやって来るのだ。


そんな危険な香りの漂う酒場『パンプキン』に、王都アンヘイムを拠点とする王直属の諜報機関【フィール】に所属する二人の密偵が、ここ一月の間、人目を忍んでちょくちょく姿を現していた。彼らは、酒場の喧騒に紛れ、ここで交わされる何気ない会話の中に隠された真実を探るため、隅の席で静かに耳をそば立てたり、あるいは、それとなく話を聞き出せそうな人物を見つけては、さりげなく接触し、言葉巧みに聞き取り調査を行っていたのだ。


そして、彼らがそこで得た数多くの情報の中に、リバンティン公国の有力貴族の一つ、ワーレン侯爵家の噂話が含まれていた。


それは、確たる証拠があるわけではない、あくまで酒場の客たちの間で囁かれる噂話の類だったが、その中には、


「おい、聞いたか?ワーレン侯爵家の連中ってのは、何時も胡散臭い代物を裏でこそこそと発明してるらしいぞ。」


「ぎゃははは!そりゃ面白れぇ!なあ、俺のアソコがギンギンに勃ち上がるような、そんなとんでもねぇ発明はねぇのか!」


「ば~か、そんな下品な発明じゃねぇっての!どうやら、あの侯爵の屋敷には、毎晩のように人目を忍んで、怪しい物資が大量に運び込まれてるらしいぜ。」


などといった、真偽の定かではない情報が含まれていたのだ。これらの情報を得た【フィール】の密偵たちは、その内容を本部に報告。事態を重く見た【フィール】の上層部は、早速『アンヘイム』の西に広大な敷地を持つワーレン侯爵邸の秘密裏の調査を開始した。



その頃、王都『アンヘイム』では、酒場『パンプキン』で得られたワーレン侯爵家に関する噂が、【フィール】を通じて王宮にもたらされていた。元々、「ワーレン侯爵家の者は昔から無類の発明好きが多く、何時も何かを研究している」という程度の認識はあったものの、具体的な研究内容までは掴めていなかった。しかし、今回の不穏な動きを受け、本格的な調査も完了しない段階で、『公』の地位にある『ホフラン・ルクトベルク公爵』が、国王の命を受け、直接ワーレン侯爵家との交渉役として派遣されることになったのだ。


その日も、アンヘイムには何事もなかったかのように、穏やかな朝の陽光が降り注いでいた。


「ロスコフ様、朝ですよ。良い天気ですね!」


「ん……アンナ、もう少しだけ……ほんの少しだけ寝かせておくれよ……」


「だめですよ、ロスコフ様。もう朝食の準備もできていますし、今日は大切な日ではありませんか。」


「う……あと五分だけ……いや、三分でいいから……」


「んもう、本当にいけない人ですね、私の可愛い旦那様は♫」


そう言って、アンナはベッドの中で毛布を頭まですっぽり被り、まるで幼子のように駄々をこねるロスコフに対し、優しく微笑んだ。そして、そっと抱き寄せるように毛布をめくり、彼の額に温かいおはようのキスを贈り、目覚めさせたりは、彼の愛妻であるアンナ夫人だった。


これが、ロスコフ家のいつもの朝の光景だ。アンナの優しい声と笑顔、そして愛情たっぷりのキスで、ロスコフは一日の始まりを迎える。


まるで新婚夫婦のような甘いやり取りを今でも続けている二人だが、実はロスコフの年齢は既に30歳、アンナも31歳となっている。二人の間に子供はいないが、その絆は非常に深く、周囲の人々からは、いつまでも仲睦まじい理想の夫婦、いわゆる鴛鴦夫婦として温かい目で見守られていた。


そのように見られるのには、もちろん理由がある。例えば、ロスコフの日常の着替えは、専属の侍女ではなく、必ずアンナが手伝う。温かいお茶を淹れるのも、彼女の役目だ。朝食はもちろん、昼食も夕食も、可能な限り二人は一緒に食卓を囲む。更には、一日の疲れを癒すお風呂の時間までもが一緒だ。ロスコフの背中を優しく洗い流すのは、アンナの変わらぬ務めなのである。これらの習慣は、二人が愛を誓い合った結婚式のその日から、今日までずっと大切に守り続けられている。


もちろん、これらの全てはアンナが心から望んで行っていることであり、むしろロスコフの方が、献身的な彼女に対して常に感謝の念を抱き、気を遣っているほどなのだ。


ロスコフが地下に作った秘密の研究室に籠っている時を除けば、その殆どの時間をアンナはロスコフの傍にぴったりと寄り添い、まるで影のように彼の身を案じ、守っている。


通常であれば侍女たちが担うような細々とした仕事も、それがロスコフに関わることとなると、その殆どをアンナが率先して行ってしまうのだ。彼女にとって、夫であるロスコフの存在そのものが、何よりも大切だった。

この日も、朝食後、穏やかな日差しが降り注ぐ庭園を、二人は手をつないでゆっくりと散歩していた。色とりどりの花々が咲き誇り、鳥のさえずりが心地よい調べを奏でる、平和なひとときだった。そんな中、庭の奥から、慌てた足音と共に駆けて来る門番の姿が、ロスコフの目に飛び込んできた。


「ロスコフ様~っ!」


門番は息を切らし、肩で息をしながら、ロスコフの元へ辿り着いた。額には汗が滲んでいる。


「何だ、一体何をそんなに慌てているんだ?」と、ロスコフは穏やかな声で問いかけた。


「は、はい、大変です、ロスコフ様!只今、屋敷の玄関に、『公』がお見えになりました!」


「『公』が、だと?」ロスコフは驚きで目を丸くした。まさか、この静かな朝に、

王から行政を任されている、〖公が〗自ら訪ねてくるとは思ってもいなかった。


「はっ、侯爵様にお会いしたいとのお越しでございます。」門番は恭しく頭を下げた。


「本当か……一体、何の用事があったのだろう?」ロスコフは訝しんだ。この時の彼には、『公』がわざわざ自分を訪ねて来る理由など、全くと言っていいほど思い当たらなかった。


強いて関連付けるとするならば、以前、自分が研究している魔晶石に関して、

ルクトベルグ公爵の耳にも入ったという話があっただろうか……。

そんな思考が頭を駆け巡り、ロスコフは隣にいるアンナに、不安と疑問を混ぜたような表情で問いかけてみた。「アンナ、一体何の用だろうね?」


突然の『公』の訪問の知らせに、アンナも一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにその顔は喜びの色に染まった。自分の夫が、『公』のような行政のトップを担う者から、直接訪問を受けるほどの人であるという事実に、彼女は抑えきれない誇らしさを感じていたのだ。「まあ、素敵です、ロスコフ様!『公』がわざわざあなたを訪ねていらっしゃるなんて!わたくしの夫は、本当に世界一の夫ですね!」


ロスコフが本当に聞きたかったのは、そんな賞賛の言葉ではなかったのだが、アンナの純粋な喜びの表情を見ていると、彼の心に湧き上がっていた不安もどこかへ吹き飛んでしまった。「ははは♫、そうだね、私は凄い男なんだぞ。」と、彼は冗談めかして笑い、先程までの心配そうな思考をあっさりと手放し、アンナの楽天的な考え方に意識を切り替えたのだ。


そうこうしているうちに、門の外で待っているという『公』の元へと二人は向かった。


屋敷の正面玄関には、威厳のある佇まいの男性が立っていた。豪華な装飾が施された外套を身につけ、その顔には知性と貫禄が漂っている。ロスコフは恭しく一礼し、「ようこそワーレン侯爵邸へ、『公』。私がロスコフ・ワーレン侯爵でございます。」と挨拶した。


「すまんな、ワーレン侯爵。突然の訪問で。」『公』は、穏やかながらも重みのある声で答えた。その表情には、わずかに疲労の色が見える。


「いえ、滅相もございません。『公』にお会いできるとは、光栄の至りです。ですが、今回の訪問は、一体どの様なご用件でお越しになられたのでしょうか?」ロスコフは、丁寧に問い返した。


「そのことなんだが、少し込み入った話になりそうだ。できれば、屋敷の中に入れていただけないだろうか。」『公』は、周囲を気にしながらそう言った。


「勿論でございます。どうぞ、こちらへ。早速、執事に案内させます。」ロスコフは快諾し、付き従ってきたワーレン侯爵邸の者たちに目を向けた。


すると、その中から、執事の肩書を持つ、冷静沈着な雰囲気を漂わせる老齢のエスターが、一歩前に進み出た。


ロスコフ夫妻は、『公』がエスターに案内されて屋敷の中へ入っていくのを見届けてから、自分たちもすぐに『公』のいる場所へと移動できるよう、準備を整えながら屋敷の中へと足を進めた。

通常の客であれば、執事の案内で応接室に通すのが礼儀だが、今回の相手はリバンティン公国の行政を司る最高位の貴族、『公』ホフラン・ルクトベルク公爵だ。その重要性を理解している熟練執事シークレットのエスターは、迷うことなく、ワーレン侯爵邸で最も格式の高い広間である大広間へと一行を先導した。


エスターの長年の経験から、主であるロスコフ侯爵が『公』と重要な話をするであろうことを察していた部下たちは、エスターの指示を待つまでもなく、大広間に侯爵邸の中でも最も豪華で格式のある椅子を運び入れ始め、同時に立派な装飾が施された重厚なテーブルも手際よく設置していった。


『公』がエスターに案内されて大広間に到着した時には、既に椅子とテーブルは完璧に配置されており、『公』をもてなす準備は万全に整っていた。


ほんの僅かな時間差で準備は間に合い、大広間の奥にある控え室では、重いテーブルを運んだ若い荷物持ちが、額の汗を拭いながら、侍女に向かってホッと安堵のセーフのポーズを決めていた。「へへっ、間に合ったぜ。」


そんな舞台裏での慌ただしさを知る由もないロスコフ夫妻は、別室にて静かに『公』からの呼び出しを待っていた。


『公』が重厚な椅子に深く腰掛け、案内役を務めた執事のエスターに向かって、静かに、しかし威厳のある声で「ワーレン侯爵を。」と求めた。


エスターは、恭しく一礼してから、ロスコフ夫妻が待機している控え室へと速やかに向かった。扉を静かに開き、「ロスコフ侯爵様、アンナ夫人、『公』がお呼びでございます。」と丁寧に告げた。


「分かった。」ロスコフは落ち着いた声で答えた。


呼ばれたワーレン侯爵夫妻は、共に控え室を出て、格式高い装飾が施された大広間へと足を踏み入れた。中央付近に座っている『公』の元へゆっくりと進み、その数メートル手前で立ち止まると、揃って膝を折り、深々と頭を下げた。「改めまして、『公』、この度は遠路はるばるワーレン侯爵邸へお越しいただき、誠にありがとうございます。」ロスコフは、礼儀正しく挨拶した。


「うむ、堅苦しい挨拶はこのくらいで良いだろう、ワーレン侯爵。今日は、私の方から頼みがあって来たのだ。」『公』は、軽く手を上げてロスコフに立ち上がるよう促した。


「畏まりました。それでは失礼いたします。」ロスコフはそう言うと、アンナと共にゆっくりと立ち上がり、用意された椅子に腰を下ろした。


すると、間髪入れずに、熟練の侍女長であるモーレイヌが、湯気の立つ上質な茶葉で淹れた温かいお茶を、手際よく運び込んできた。「どうぞ、お召し上がりください。」と、まずは『公』の前に丁寧に茶器を置き、続いてロスコフ侯爵、そしてアンナ侯爵夫人の順に静かに茶を注ぎ、優雅な所作でその場を後にした。「失礼いたします。」


『公』が一口茶を啜るのを見計らい、ロスコフは改めて問いかけた。「それでは『公』、本日はどのようなご用件でお越しになられたのでしょうか。私に何かお手伝いできることがございましたら、何なりとお申し付けください。」


公は静かに頷き、少し低い声で言った。「これは内密の話なので、決して他言はならん。同意できるな、ワーレン侯爵。」その言葉には、尋常ならぬ重みがあった。


いきなり核心に触れてきた。これは、ただ事ではない、かなり危険な話なのかもしれない……。しかし、この状況で『公』の言葉を拒否することなどできるはずもなく、ロスコフは覚悟を決めて頷くしかなかった。

ロスコフは、『公』の言葉を聞いた瞬間、まるで冷水を浴びせられたように、自分が既に避けることのできない危険な渦の中に巻き込まれてしまったことを悟った。彼の頭の中で、様々な可能性が高速で駆け巡るが、現状を打開するような妙案はなかなか浮かんでこなかった。


「はい、仰る通りです。『公』、この話の内容は決して他に漏らしません。つきましては、念のため、この場にいる者たちの中で、この後の話を聞かせない方が良いと思われる者たちを、一旦他の部屋へ下がらせてもよろしいでしょうか?」ロスコフは、慎重に言葉を選びながら提案した。


「うむ、人払いはこちらの理にも適っておる。」『公』は、ロスコフの提案に深く頷き、同意を示した。


「と言う事なので、アンナ、申し訳ないが、この後のご客人達への対応を任せても良いだろうか?」ロスコフは、隣に座るアンナに優しく声をかけた。


「はい、承知いたしました、ロスコフ侯爵様。」アンナは、夫の言葉をしっかりと受け止め、立ち上がると、『公』に丁寧な礼をし、にこやかな笑顔を湛えながら、静かに大広間から退出していった。その立ち居振る舞いは、普段と変わらず優雅だったが、その瞳の奥には、夫を案じるわずかな憂いが宿っているようにも見えた。


「それでは『公』、これで心置きなくお話いただけます。」ロスコフは、改めて『公』に向き直り、促した。


「うむ、ワーレン侯爵、私が本日こうして貴殿の元へ参ったのは、実は王のご命令なのだよ。」『公』は、低い声で、しかしはっきりと告げた。


「えっ……!おっとっと……。」ロスコフは、思わず驚きの声を上げそうになり、慌てて口元を押さえた。危ない、軽率にも「王」という単語を口に出してしまうところだった。


ロスコフはここで、この話が想像を遥かに超えるほど重要な事柄であることを改めて強く認識したのだ。すると、彼はすぐに最善の策を講じることを決意した。


「『公』、このような重大な話は、ここではなく、私の地下にある研究室でしたほうが良いかと...。念には念を入れ、情報漏洩を防ぐ万全の措置を講じるべきかと存じます。」


そう言うと、ロスコフは立ち上がり、『公』を促した。そして、地下研究室へ向かう際には、護衛や従者などの同行は全て遠慮してもらい、『ルフトベルク公爵』ただ一人を伴い、二人だけで秘密の階段を降りて行った。静かで厳重な雰囲気の研究室に到着すると、そこで二人は腰を下ろし、じっくりと話を始めることになった。


話の内容はこうだった。現在、リバンティン公国の南部国境地帯では、南の大国ラガンが、これまで以上に挑発的な行動をエスカレートさせている。国境付近での小競り合いは日常茶飯事となり、更に、その残虐性において悪名高い【ブラッドレイン】等という狂人部隊を送り込み、国境を越えてリバンティン公国の農村部では、想像を絶するほどの残虐の限りを尽くしていると言う。

村人は皆殺しにされ、家々は焼き払われ、財産は略奪され、その惨状は目を覆うばかりだと。『公』は、重い口調で語る。

そして、この状況が放置されれば、ほぼ間違いなく2年から4年以内には、リバンティン公国とラガン王国の間による全面戦争が勃発するという、もはや回避不能な状況に陥っていると、強い口調で断言されたのだ。


「回避不能だって、どうしてですか?」ロスコフは、率直に疑問を投げかけた。彼には理解できなかった。長年、王家は莫大な富を築き上げてきたはずだ。その資産を使えば、周辺諸国からの支援を取り付けることも可能だろうし、あるいは、他国に仲介を依頼し、和解金を支払うことで戦争を回避するという道も考えられるのではないか、と彼は思ったのだ。だが、公爵の口から語られたのは、彼の楽観的な見方を打ち砕く、冷酷な現実だった。


「ラガンの真の狙いは、『アンヘイム』、そしてリバンティン王族そのものの討伐だからだ。」公爵の言葉は、重く、そして断定的だった。


「えっ、首都と王が狙いなのですか!」ロスコフは、思わず声を上げた。まさか、一国の首都と王族を直接的に狙うなどとは、想像もしていなかった。


「そうだ、ロスコフ侯爵。ラガンはアンヘイムを徹底的に破壊し、瓦礫に変えるか、あるいは完全に服従させ、ラガン王国へと併合するつもりなのだ。」公爵は、苦渋の色を浮かべながら続けた。「そうなれば、当然、王家の者は皆殺しにされるだろう。他の抵抗する貴族たちも、死罪は免れない。運が良ければ奴隷の身分に落とされるか、国外追放となるだろうな……。」


「それはかなり大変な事態と言うか、もはや一国の存亡に関わるほどの重大な事案じゃないですか!」ロスコフは、事の重大さを改めて認識し、顔を引き締めた。


「その通りだ、ロスコフ侯爵。」公爵は、深く頷いた。「我々は、まさに崖っぷちに立たされていると言っても過言ではない。」


「その危機的な状況は理解いたしました。それでは、『公』がわざわざ私のところに、王からの使者としてやって来られたという経緯について、詳しくお聞かせください。」ロスコフは、核心に迫るべく問いかけた。


「うむ、ここからが本題なのだ。」公爵は、少し身を乗り出し、低い声で言った。「ワーレン侯爵家の者は、昔から無類の発明好きが多く、常に何かを研究しているという話を、王も私もかねてより耳にしておってな。」


公爵の言葉を聞いた瞬間、ロスコフの頭の中で、これまで点在していた情報が線で繋がった。ああ、そういうことか……全ては繋がった。


「つまり、ワーレン家の発明の力が必要なのですね。」ロスコフは、静かに、しかし確信を持って言った。


「その通りだ、ワーレン侯爵。」公爵は、彼の言葉を肯定した。「と言っても、具体的にどのような発明をしているのかまでは、我々も把握できておらんのだ。本日、こうして私が直接お伺いしたのは、差し迫った戦に役立つような、何か画期的な発明はないかと、貴殿に直接お話を伺うためなのだ。」


「そのような曖昧な情報だけで、『公』自らがお越しになるとは……。余程、王都の状況も逼迫しているのですね。」ロスコフは、公爵の焦燥感を察し、そう指摘した。


「分かって貰えたかな、ワーレン侯爵。」公爵は、苦笑いを浮かべた。「一見、平和に見えるこのリバンティン公国だが、実は今、未曽有の危機に追い込まれていたのだ。」


(以前からその事に気づいていた王や『公』たちは、その窮地を認知してただろうけどねぇ……)ロスコフは心の中でそう呟いた。表面上は平静を装いながらも、彼の頭の中では、公爵の言葉を受けて、自身の研究が急速に整理され始めていた。(戦に役立つ研究か……あれとあれは、まだ実用化には時間がかかるしなぁ……。)

「う~~ん、役立つと言えば、役に立つ物もあるにはあるんですが、まだ、半分も完成していない代物なので、残念ながら、たった3~4年程度の時間では、とても実用化には間に合いませんね。それに、研究資金も潤沢とは言えませんし。」ロスコフは、率直に現状を伝えた。


「そこを何とかしてくれぬか、ワーレン侯爵!国の存亡が掛かっておるのだ!ワーレン侯爵家、そして貴殿らの存命そのものも、等しく掛かっておるのだぞ!」公爵の声には、切実な願いが込められていた。


つい今朝までは、遠い国の出来事のように、そんな国の存亡などとは無関係に、平和な日常を送っていたロスコフだったが、公爵から直接その危機を知らされた今、彼の胸には、代々祖父から受け継がれてきた発明家としての熱い魂が静かに燃え始め、この危機を乗り越えるために、自分にできる限りのことをしようという強い意志が湧き上がってきた。


「分かりました……。では、完成にはまだ遠い代物ですが、一応、どのようなものかご覧になってみますか?」ロスコフは、意を決したように言った。


「おお!実物を見せてくれるのか!それは願ってもない。是非、それを拝ませてくれたまえ!」公爵の顔に、かすかな希望の光が灯った。


「どうぞ、こちらへ。」ロスコフは公爵を促し、薄暗い研究室の奥へと進んでいく。やがて、巨大な金属の塊が、天井から吊り下げられている場所へと二人は辿り着いた。それは、複雑な機構と無数のシギルが描かれた、異様な形状の物体だった。


そして、ロスコフはそれを公爵に示した。


最初、目の前の物体が何なのか理解できなかった『公』こと『ルクトベルク公爵』は、訝しげな表情でロスコフに問いかけた。「これは……?」


「これが、私が研究している魔導アーマーです。」ロスコフは、誇らしげに答えた。「まだ開発工程では半分程度しか達成していませんが、基礎研究の方はかなり進んでおり、目標としている性能値がクリアできれば、間違いなく戦局を大きく左右するほどの戦力になるはずです。しかし、あまり過度な期待はしないでください。あくまで、現時点では理論値通りの数値が出せたらの話ですから。」


公爵は、目の前の巨大な鎧をまじまじと見つめ、その重厚感に圧倒されながら尋ねた。「この、かなりの重量があるであろう鉄鎧が、本当に動くのかね?」


「はい。中に人が乗り込み、この魔導アーマーを動かして、敵と戦うのです。」ロスコフはそう説明した。


「人が動かせるような軽い代物には見えぬが……?」公爵は、その巨大な質量に疑問を呈した。


「勿論です。『公』。何の補助もなければ、人間が動かすどころか、魔導アーマー自身の重さで押し潰されてしまいますよ。」ロスコフは苦笑しながら答えた。


「補助……?」公爵は、興味深そうに聞き返した。


「はい。この魔道アーマーは、特殊な魔晶石から魔法力を引き出し、増幅させながら同時に発動させ、そのエネルギーによって魔晶石が壊れるまで駆動する仕組みとなっております。」ロスコフは、核心部分について説明を始めた。


「マナを使用して動かすのか……。アンデッドなどを操るネクロマンサー系の魔法と同種の、原理としては似たようなものなのだろうか?」公爵は、自身の知識を照らし合わせながら推測した。


「ええ、概ねその通りです。『公』。根本的な理屈で言うと、かなり近いと言えるでしょう。流石は『公』、魔法の知識も大変お深いですね。」ロスコフは、感嘆の声を漏らした。


「いやいや、それほどでもないが……。しかし、もし本当に魔法の力でこの重たそうな鉄の塊である鎧が動くというのなら、それはかなり有望だと思う。魔法の素人である儂から見ても、十分に戦力として期待できると分かるぞ、ロスコフ侯爵。」公爵の表情には、先程までの疑念の色は消え、代わりに明確な期待感が宿っているのが分かる。


「ありがとうございます。『公』。ですが、正直申し上げて、開発は難航しておりまして、現状の進捗度合いで言うと、まだ目標の半分にも満たないというのが実情です。」ロスコフは、改めて現状の厳しさを伝えた。


「うむむむ……難しい状況であることは良く分かった、ワーレン侯爵。」公爵は、腕を組み、深刻な表情で頷いた。「だが、何としても完成させて欲しいのだ。大国ラガンとまともに戦えば、我々に先ず勝ち目はないと言わざるを得ん。」


公爵は、重々しい口調で続けた。「事前に綿密な戦力分析を行った結果でも、リバンティン公国の全体的な戦力比は、ラガン王国のおよそ5倍から8倍。彼らは50万から80万もの兵力を有しておる。そして、『アンヘイム』を攻略するために実際に動員してくるであろう兵の規模は、30万から、我々が辛うじて準備できるであろう12万の、ざっと3倍にもなると想定しておる。」


「30万もの大軍が、本当にアンヘイムにまでやって来ると?」ロスコフは、その数字の大きさに改めて息を呑んだ。


「それは断言はできんが、アンヘイムを確実に陥落させるには、それだけの規模の兵力が必要になるとの調査結果が出ておるのだ。」公爵は、厳しい表情で答えた。


「しかし、それほどの数の兵を『アンヘイム』まで長距離を移動させていては、相当な数の餓死者が出るでしょうし、そのような状況で戦況が長引けば、兵の士気もかなり低下し、ラガン兵の方が逆に危険な状況に陥る可能性もあるかもしれませんよ。」ロスコフは、兵站の観点から疑問を呈した。


「うむ、その通りなのだがな……。」公爵は、苦々しそうに言った。「ラガン兵の半分近くは、捕虜や属国の民からなる奴隷兵士で成り立っておるのだ。いざとなれば、食事も満足に与えずに酷使し、使い捨てにしても構わないと考えている連中なのだ。」


「それは……酷い。」ロスコフは、その非人道的な扱いに眉をひそめた。


「それでは、『公』、我々としては、攻撃的な魔導アーマーよりも、防御能力を重視した魔導アーマーの方が、今の状況では使い勝手が良いということですね?」ロスコフは、戦略的な視点から確認した。


「そうだな、その通りだよ、ロスコフ侯爵。」公爵は、力強く頷いた。「我々は、初戦から約一カ月間、徹底的に防衛に徹し、被害を最小限に抑えられれば、自ずと勝利への道が開かれるだろう。その間、リバンティン公国の兵士たちに極力損害を出さずに持ちこたえられねばならんのだ。」


「ふむ……そのお話を聞くと、最低でも500体、できればそれ以上の防御能力を重視した魔導アーマーが欲しいところですね……。それは、とんでもない予算が必要になりますよ。」ロスコフは、具体的な数を挙げ、現実的な問題点を指摘した。


「それは重々承知しておる。」公爵は、真剣な眼差しで言った。「だが、もし我々が敗れた場合、この国の民や兵士たちは奴隷となり、ラガンの尖兵として、今度は他国へ攻め込まされるという悲惨な未来が待っておるのだ。我が国の民をそのような目に遭わせないためにも、どうかこの魔導アーマーを、出来る限り早く完成させ、リバンティン公国軍のために使用して欲しいのだ。」


「分かりました。そのお気持ち、しかと受け止めました。」ロスコフは、決意を込めて頷いた。「ですが、もう一度申し上げますが、研究開発を大幅に早めるためには、相当な資金が必要になります。それと、魔導アーマーの動力源となる純度の高い高品質な魔晶石が必要です。


税として王家に納めている分を免除、始めるなら直ぐに研究に必要になるので、これまで王に収めた分からも取りあえず300、できれば600個、純度の高い魔晶石をご用意していただくことは可能でしょうか?」


「即刻、王に掛け合い、手配しよう。」公爵は、迷うことなく約束した。


「ありがとうございます。『公』。それと、魔導アーマーの数ですが、最低でも500体、できればもっと多く揃えなければ、戦力としてすぐに消耗してしまい、役に立たなくなります。どんなに魔導アーマーが強力だとしても、敵軍1万の中に100体程度の少数を投入していては、簡単に各個撃破されてしまうでしょう。」ロスコフは、量産体制の必要性を強調した。「量産するための設備や、魔導アーマー一台あたりにかかる資金などは、どのようにお考えでしょうか?」


「それも問題ないと思う。」公爵は、力強く言った。「これは王のご命令なのだ。必要な資金は全て、王家の方へ請求することになるだろう。どれだけの予算がかかるか、年度単位で詳細な見積書を作成し、至急提出してくれ。」


「分かりました、『公』。そういうことでしたら、私も微力ながら、できる限りのことをさせていただきます。」ロスコフは、公爵の言葉に安堵し、協力を約束した。


「おお、やってくれるか!本当に感謝する、来たかいがあった!私の方からも、できる限りの支援を約束しよう。何か困ったことがあれば、遠慮なくすぐに報告してくれ、ワーレン侯爵。」公爵は、満面の笑みでロスコフの手を握った。


「わかりました、『ルクトベルク公爵』。」ロスコフは、力強く頷いた。その時、彼の心の中には、研究資金が豊富に使えるようになることへの素直な喜びが湧き上がっていた。この魔導アーマーの研究は、想像以上に資金を必要とするものであり、これまで資金が不足するたびに、費用のかからない基礎研究に時間を費やし、結果として開発が遅れていたのだ。今回、王家の資金で思う存分研究を進められることになり、ロスコフは内心、少し多めに予算を請求し、その一部を他の研究にも回せないかと、企んでいた。


最後まで読んで下さりありがとう、まだ続きを見かけたら宜しくです。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ