番外編:ギスギス夫婦
キラキラした世界にうっとりと見惚れてしまう。
ずっと憧れていた世界だ。
綺麗なドレスに煌びやかな宝石たち。
オーケストラによる演奏は荘厳で、会場中央で優雅に踊る貴人たちは夢見るように美しい。
私もその世界の一員なのかと思うと胸が躍った。
「あら、失礼」
トン、と背中に軽い衝撃を受け振り返る。
貴族の奥方の中でも一層美しい人が、たおやかに微笑んでいた。
「ぶつかってしまったわね。怪我はないかしら」
「あっ、いいえ! 全然です!」
慌てて首を振ると、女性は少し眉を顰めてから苦笑した。
「どちらのお嬢さんかしら? 社交界は初めて? そんなに元気だとみんなびっくりしてしまうわ」
「あ、えーっと、いつも若く見られるんですけどぉ、もう二十歳なんです!」
ニコッと愛想のいい笑みを浮かべる。
男だったら一発で私を好きになる笑顔だ。
学校の女子たちと付き合うメリットはゼロだったけれど、社交界となれば話は別だ。
それに見たところ、このご婦人はかなり地位の高い人だ。
優雅な身のこなしや、たおやかな雰囲気から明らかだった。
これは取り入っておいた方がお得だろう。
夫であるトリスタンのためにも、社交界では顔を売っておかなくては。
そしてゆくゆくは私自身が社交界の華となって注目される存在となるのだ。
「……別に若く見えるわけではないのだけど。あまり遠回しな言い方はお好きじゃないようね」
「いえいえ。誉められるのは嫌いじゃないですぅ。お姉さんもぉ、とぉってもお綺麗ですねっ」
ニコニコと手放しで褒めると、ご婦人は笑顔のまま数秒沈黙してしまった。
どうしたのだろう。あまりにも私が可愛いから気後れしているのだろうか。それとも可愛い私から言われたからお世辞だって思っちゃったかな。まあまあ本気で言ったんだけど。
「あら、ウォルシュ侯爵夫人ではなくて?」
背後からの嬉し気な声に振り返る。
「ハリスン伯爵夫人ではありませんか。随分とお久しぶりですこと」
「ご無沙汰しております。少し体調を崩しておりまして」
「まぁ大変。お手紙くださったら良かったのに。すぐに伺いましたわ」
「お気を遣わせてしまいますでしょう? お優しい方ですもの」
親し気に話し出す二人に、所在なく微笑みを浮かべる。
このご婦人はウォルシュ侯爵夫人というのか。やはり顔を繋いでおいて正解だったみたいだ。
こっちの人は伯爵夫人って呼ばれてたっけ? じゃあ別に仲良くなる必要はないわね。だってうちより格下だもの。
「こちらの方はウォルシュ様のお知り合いですの?」
「いえ、そういうわけでは、」
「私! エステルと申します! トリスタン様に見初められてクロイド侯爵家に嫁いできました!」
水を向けられて、チャンスとばかりに自己紹介する。
第一印象で好感度を上げるためにハキハキと言えば、二人が予想外に顔を顰めた。
「トリスタン……」
「クロイド侯爵家、ね」
「これが例の……」
途端に空気が悪くなるのに気付いて思わずむくれてしまう。
あーあ、また嫉妬か。
これだから女子って嫌なのよね。
ため息が出そうになるのを堪えて笑みを浮かべる。
私はそんな嫌がらせじゃへこたれないのよ。
「本当にご結婚なさったのね」
「冗談だと思っていたわ」
「ええもちろん! 指輪だって高価なものを贈っていただいたんですよ?」
とっておきを見せるために左手を前にかざしてみせる。
サニー・フィルストンの指輪だ。
この国で一番の高級店の、こんなに大きな宝石のついた指輪。
さすがに侯爵家の人間でもそうそうお目にかかれないはずだ。
伯爵夫人程度なら尚更に。
小さなお屋敷なら買えてしまうくらいではないだろうか。
こんな高価なものを貰える私は、つまりそれくらいに価値の高い女だという証明でもある。
「……フィルストン? それが?」
「あなた本気で言ってらっしゃるの?」
けれど二人は驚くどころか、嘲笑混じりに顔を歪めてみせた。
なんだろう、すごく嫌な感じだ。
「もう少し見る目を養われた方がいいわ。本物のフィルストンは見ただけで格の違いが判るものよ」
「ええ本当。ホラ、ちょうどあの方みたいに」
なんたら伯爵夫人が得意げに会場内のひときわ華やかな集まりを指差した。
そちらを見て言葉を失う。
そこには美しく着飾ったイルゼが立っていた。
艶のあるワインレッドのドレスを無理なく纏い、綺麗に髪を結い上げ、私でさえ名前を把握している高位貴族たちと楽しそうに談笑している。
あらわになった首許にはうるさくならない程度のネックレスが。
細い手首、それに薬指にも。
美麗なデザインの宝飾品たちはキラキラと輝いて、そこまで主張が激しくないのに彼女の美しさを絶妙に引き立てていた。
ああいうのを本物というのだろう。
もちろんイルゼのことではない。宝飾品のことだ。
自分の手元を見る。比べるまでもなく別物に見えた。
イルゼの身に着けたアクセサリーはキラキラと見惚れるような輝きを放っているのに、私の指輪はなんだかギラギラしている。
もらった時はあんなに素敵に見えたはずなのに、イルゼのものと比べると霞んで見えてしまった。
「ますますお綺麗になられて」
「ええ本当。どんどん遠くに行ってしまうわ」
「旦那様も素敵よね」
「従者だった方でしょう? 私、失礼な話だけれどあんなに麗しい方だと気付かなかったのよ」
「ふふ、実は私も。あの方、目立たないように気配を消すのがお上手でしたもの」
「ご結婚されてからさらに輝きを増されたのは旦那様のおかげかしらね」
「お二人で並ばれたときのお幸せそうなお顔といったら」
「それにさすがというか、お二人とも最新鋭のデザインを見事に着こなしてますわ」
「素敵よねぇ」
「あっ、あんなの!」
すっかり会話に置いて行かれていることに気付いて無理やり割り込む。
二人は不快そうに眉を顰めた。
「真っ赤なドレスなんて下品だわ。それに従者と結婚だなんてみっともない。手近で間に合わせただけじゃない。どれだけお相手探しに苦労したんだか」
イルゼばかり褒められるのは面白くない。
学生時代は私の方がずっとモテていた。イルゼなんて、怖いだの生意気だの言われて男子は近寄りもしなかったのに。
「……そりゃあなたが着たら下品でしょうけど。あの方のお顔立ちにはよく似合っているわ」
「それにお相手探しに苦労? 笑えるわ。並みいる貴族たちからの結婚申し込みを片っ端から切り捨てていった方なのに」
「あの日のパーティは爽快でしたわよね」
「本当。高慢ちきな古参貴族たちの動揺する様といったら」
クスクスと笑って、ご婦人たちがおかしそうに肩を叩き合う。
そんな話、私は知らない。
ムッとして黙り込む。
こうやって自分たちの知る話題だけで盛り上がって、他の子に気遣わない仲間意識も女子の嫌いなところだ。
「……ご存知ですかぁ? 私、イルゼさんとお友達なんですよぉ」
だけどイルゼのことなら絶対私の方が詳しい。
だって三年間も同じ学校に通っていたのだ。
今年に入ってからようやく社交界デビューして、何度か参加して分かったこと。
イルゼの名前には価値がある。
家柄以上に、手広くやっているらしい商売が女性向けのものばかりのため、社交界では有名なのだ。
だから彼女たちもまるで知り合いみたいに話すのだろう。
私がイルゼの友人だと知れば、うらやましがるに違いない。
「はぁ? あなたが彼女と?」
「おかしなことを。私達があなたのしてきたことを知らないとでも?」
二人が強張った顔をして、何故か険悪な空気が漂い始める。
「レイラ様、キャロル様」
凛とした声が、一触即発の空気に割り込んだ。
私への視線が逸れて、二人が嬉しそうな顔で声のしたほうを見る。
「イルゼ様!」
二人の声が弾んで、いつの間にか近付いてきていたイルゼがそれに応えるように微笑んだ。
「お久し振りです。お元気そうで安心しましたわ」
「あ、いえ、ごめんなさい。イルゼ様なんて昔の呼び方」
「気になさらないで。そのままの方が嬉しいわ」
「まぁ。いつもその寛大さに甘えてしまいます」
「寛大なつもりはないわ。二人はお友達だもの。名前で呼び合うのが普通でしょう?」
「うふふ、嬉しいわ」
「イルゼ様、病気の際にはお見舞いの品をありがとうございました」
「気に入っていただけたかしら。うちの開発した商品ですの。もし良ければ継続して送らせていただくわ」
「そんな、きちんと購入させていただきます。本当に素晴らしいものでしたもの」
「ではお友達割引きで。いつも本当にありがとう」
「なにをいただいたの? 私も気になるわ」
堂々たる態度で話の輪に加わって、あっという間に主役の座をかっさらっていく。
また私への嫌がらせだろうか。
卒業してからもこんなふうに邪魔してくるなんて、嫌な人だ。
どうせこの会話が終わったら私に意地悪なことを言ってくるんだ。
ずっとそうだった。
私が憎くて羨ましくて仕方ないのだろう。
トリスタンと別れなくちゃいけなくなったのは私のせいじゃないのに。
トリスタンが勝手に私を好きになっちゃっただけなのに。
私に非なんてない。
すぐにでも言い返せるように、イルゼを睨むようにして身構えた。
「イルゼ、あっちに商工組合の会長さんいたよ」
「っ、そう、ありがとう。すぐ行くから捕まえておいて」
ひょいと姿を現したヨシュアが、イルゼの耳元で自分の得た情報を伝える。
イルゼはなぜか少し頬を赤らめて、動揺したようにヨシュアから目を逸らした。
「……もしかしてイルゼ様、名前呼びに慣れてらっしゃらない?」
揶揄うように侯爵夫人が言うと、イルゼが沈黙して俯く。
それからみんなの視線に耐えきれなくなったように小さく頷いた。
「うちの奥さん超可愛いでしょ」
「ええ本当に。意外な一面を目撃してしまったわ」
「うううるさい! 行くわよヨシュア! みなさん失礼しますわ! また今度お茶しましょうね!」
焦ったように言って、強引にヨシュアの手を引きその場を去っていく。
彼女は一度も私の方を見ることはなかった。
拍子抜けしてぽかんと立ち尽くす。
二人が嘲笑交じりの視線をこちらに向けた。
「……イルゼ様のお友達、でしたかしら」
「あれでお友達? 一度も話しかけられなかったじゃない」
「憧れて妄想するのは勝手だけど、よそでお友達と嘘をつくのはやめた方がいいわね」
「彼女の恩恵を受けようったって無駄よ」
「全く相手にされていないものね」
そんなの、言われるまでもなく理解していた。
今のは完全なる無視だった。
ちくちく嫌味を言われるよりもよっぽどダメージが大きい。
「さ、これ以上は時間がもったいないし、私達も挨拶周りに行きましょうか」
「そうですね。……それにしてもあれがフィルストンって。面白い方だったわね」
愕然とする私の前から去りながら、馬鹿にしたように思い出し笑いをする伯爵夫人にギリリと奥歯を噛みしめる。
たかが伯爵家の嫁のくせに、侯爵家の妻を馬鹿にするなんて。
握り締めた拳が震えたけれど、振り下ろす先は見つからなかった。
* * *
「どういうことよ! トリスタン!!」
屋敷に戻るなりトリスタンに怒鳴りつける。
彼はうるさそうに顔を顰めながら「急に何の話だよ」と首許を緩めて言った。
パーティではずっと放っておかれたから、ようやく文句が言える。
「指輪よ! 偽物なんですってね!? 恥をかいたじゃない!」
どうしてくれるのよと責めると、トリスタンがしまったという顔をした。
彼は良くも悪くも嘘がつけない性格で、だからこそ指輪が本物だと信じてしまったのだ。
決して私の見る目がないわけではない。
私はトリスタンを心から信用していただけなのだ。
「……別に偽物ではないよ。ちゃんと本物の宝石だし、有名なとこのだし」
「でもフィルストンじゃないんでしょう!?」
「フィルストンだとは言ってないだろう」
「そんなっ、」
そんなはずはない。
そう言おうとして言葉に詰まる。
指輪を買ってもらった経緯は確かこうだ。
卒業間近でプロポーズをされて、私は迷っていた。
トリスタンのことは嫌いじゃないけれど、まだ上を狙える気がしていたからだ。
侯爵家嫡男。
あの学園内では間違いなくトップクラスだった。
学園を卒業したら貴族との繋がりは切れてしまう。受けるのが正解だろう。
だけどトリスタンと付き合っているままなら、もっといい男に彼女として紹介されて、その男と付き合える可能性もあるのに。
今プロポーズを受けてしまえば、トリスタンが着地地点になってそれ以上を望めなくなる。
けれど断ってしまえばきっとすぐに別れることになって、その後の出会いの場も失ってしまう。
八方塞がりだ。
だから迷っていた。
それでダメもとで言ったのだ。
「フィルストンの指輪とかぁ、そういうのがあったら考えちゃうかもぉ」
実際本当にフィルストンの指輪があればトリスタンで妥協してもいいと思えた。
それだけの財力があれば将来は安泰だと思えたから。
腰を落ち着けてしまえば、火遊びだって気軽に楽しめるだろう。
そう思ったのだ。
「キミはあの時、フィルストンの指輪「とか」と言ったんだ。だから僕は、フィルストンと同格以上の大きさの石が、半値程度で買えることで有名なスタージュエル宝飾店に行ったんだ。女性は石が大きければ大きいほど嬉しいっていう話だったし。エステルだって喜んでいただろう?」
「それは、たしかに……っ、けど、でも」
フィルストンだと思ったからだ。
そこの指輪をプレゼントできるくらいの財力だと思ったから、頷いたのに。
「どうせ判らなかったんだろう? だったらエステルにとってそれはフィルストンってことだよ。価値が分からないんだったら文句言わないでよ」
「そんなぁ……ひどぉい……」
じわりと涙を浮かべる。
けれど彼は疲れたようなため息をついて目を逸らし、恥じらいも慎みもなく私の目の前で平気で着替えていく。
最近トリスタンは冷たくて、私が泣いても前みたいに慌ててフォローすることがなくなってしまった。
どうしてそんなひどいことが出来るのだろう。
私を手に入れるためにあんなに必死だったくせに。
「ま、イルゼだったらすぐに見抜いただろうけどね」
まるで面白い話でもしたかのようにトリスタンが笑い声を上げる。
それがスイッチだった。
手元にあった置時計を掴む。
「……っ、あんたのせいで、」
ずっしりと重いそれを持つ手が震える。
拳を振り下ろす先。
それはここにあったのだ。
「あんたのせいでこの私が恥をかいたじゃないの!!」
「ひぃっ!」
トリスタンが情けない声をあげてそれを避ける。
鈍い音がして置時計が壁にぶつかった。
か弱い女の力では威力なんてたかが知れているのに、トリスタンは大袈裟なくらいに顔を引き攣らせた。
「逃げるんじゃないわよ!」
「無茶言わないでくれ!」
そのせいで余計に腹が立って、また別のものを掴んで投げる。
その日の晩、投げるものがなくなるまで夫婦喧嘩は終わらなかった。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
わかりやすく性格の悪いヒロインを書くのは初めてでしたが楽しかったです。
皆様にも少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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