第7話(最終話):完璧な孤独
窓の外が、うっすらと白み始めていた。
私は床に膝をつき、固く絞った雑巾で、フローリングの最後の一角を拭き上げた。
何度かの水換えを経て、床からは血の痕跡も、あの男の不快な臭気も、完全に消え去っていた。バケツの中の水は濁りきっているが、私の心はどこまでも透き通っていた。
部屋の中央には、厚手のビニールシートで何重にも厳重に包まれた「長細い荷物」が転がっている。
私は立ち上がり、壁の穴――男がこの部屋を覗き、侵入に使っていた押し入れの奥へと視線を向けた。
ビニールの束を引きずりながら押し入れへ向かい、男の死体を元々彼がいた「二〇一号室」の側へと押し込んだ。
ドサリ、という鈍い音が壁の向こうから響く。
私はベニヤ板の隙間に強力な木工用接着剤を流し込み、男が作った穴を、あらかじめ用意しておいた防音性の高いウレタンフォームと新しい合板で完璧に塞いだ。
ビスを打ち込み、隙間をパテで埋める。
表面に同系色の壁紙を貼り付け、その前に衣装ケースをキッチリと隙間なく並べ直した。
作業を終える頃には、押し入れの中に「境界」があった痕跡など、微塵も残っていなかった。
「……終わった」
深く息を吐き出し、私は台所へ向かった。
返り血のついた服はすべて細かく裁断し、ゴミ袋の底へ押し込んだ。新しい服に着替え、顔と手を無香料の石鹸で丹念に洗う。
いつものようにケトルで湯を沸かし、ステンレスのマグカップに紅茶を淹れる。
カップの持ち手は真東、九十度の角度に正確に合わせる。
椅子に深く腰掛け、温かい紅茶を一口すすった。
静寂。
ああ、なんて素晴らしい静寂だろう。
壁の向こうからは、もう男の湿った呼吸も、ブツブツという気味の悪い独り言も聞こえてこない。私の生活を侵蝕する者は、この世界から完全に消滅したのだ。
男の死体が隣室で腐敗していく過程で、いずれ異臭騒ぎになるかもしれない。あるいは、いつか壁の修繕の際に何かが発覚するかもしれない。
だが、その時はその時だ。
少なくとも今の私には、そんな未来のことはどうでもよかった。
他人に踏みにじられる怯えの中で生きるくらいなら、私は殺人鬼としてこの完璧な静寂の中に身を沈めることを選ぶ。
社会から永遠に断絶された犯罪者。
だが、それは私が心底望んでいた「真の孤独」の完成でもあった。
「……私の部屋は、私だけのもの」
誰にも聞こえない声で呟き、私は微笑んだ。
腕時計を見る。午前七時半。
出勤の時間だ。
私は鞄を持ち、何事もなかったかのように玄関のドアを開けた。
外は、よく晴れた冷たい秋の朝だった。
道行く人々は今日も足早にすれ違い、誰一人として私の内側に潜む「完璧な闇」に気づくことはない。
私は深く息を吸い込み、冷たい空気で肺を満たした。
これまでで一番、生きている実感がした。




