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第3章:【エピローグ番外編】

:螺旋の海を渡った聖女



──タマのその後。



 日の本の美しき嘘から命がけで亡命したタマの旅路は、決して暗黒などではなかった。


 官兵衛とイエズス会が手配した南蛮船に揺られ、長崎の港から未知の大海原へと羽ばたいた彼女。


 やがて遙か遠く、ヨーロッパ全土を激しく揺るがすほどの大ブームに包まれてゆくことになる。



 島国での激しい戦火を生き延び、自らの気高き信仰と人間の自由を守るために、炎の中で死を鮮やかに偽装した。


 彼女の劇的な生涯は、キリスト教界の奇跡として南蛮の地に巨大な衝撃を与えたのだ。



 彼女の気高き生き様は、当時のオーストリア・ハプスブルク王家の宮廷をも深く感動させた。


 西欧の劇作家や音楽家たちはこぞって、東の果ての島国に咲いた高貴な聖女の物語を、絢爛豪華なオペラ『グラシア(ガラシャ)』として舞台の上に美しく蘇らせた。



 劇場に響き渡るソプラノの歌声、観客席を埋め尽くす王侯貴族たちの涙。


 かのマリー・アントワネットも幼少時代にこのオペラを鑑賞し、タマの生き様を教養として身に付けたという……




 日の本の狭い檻の中で、サイコパスな夫に縛られ、誰かの書いた台本の生贄として死ぬことを拒んだ彼女の魂は、海の向こうで不滅の芸術となり、何百年もの時を超えて世界中の人々の心に輝き続けたのである。



 それは、父・天海すらもあずかり知らぬ、本物の神が彼女の不屈の魂に与えた、真実の栄光であった……





:直江の「愛」と十字架の秘密



──直江のその後。



 激動の関ヶ原の戦いが終わり、西軍は霧の彼方へと完全に霧散していった。


 ツナリは京の六条河原の空を見上げ、「私は永遠に石田三成だぁぁぁ!」 と叫んで誇り高く果てた。



 その裏側で、敗軍となった上杉景勝の領地は、会津百二十万石から、山形の米沢三十万石へと、無慈悲に大幅な激減へと強いられたのである。


 だが、上杉家の執政である直江兼続は、故郷を追われる数万人の家臣たちを前にして、静かに、だが地響きがするほど力強くこう宣言してみせた。



「誰一人としてクビにはせぬ。みんなで米沢へ行き、貧しさを分け合おうぞ」




 表舞台の歴史は、これを主従の深い絆、義の美談として永く讃えることとなる。



 だが、冷静に計算すれば、領地が大幅に削られてなお、数万人規模の膨大な家臣団をリストラもせず養うことなど、本来ならば絶対に不可能なはずであった。




──薄暗い米沢城の奥深く。


 兼続は、机の上に置かれた巨大な前立


『愛』の一文字が燦然と刻まれた、黄金の兜を静かに見つめていた。



 その部屋の濃い影の境界から、音もなく姿を現したのは、天海から遣わされた十字架族の隠密であった。



 隠密は無言のまま、晩廷の奥底から引き出された、莫大な口封じの裏金が詰まった重い箱を差し出した。



「……ツナリを無情に騙し、ハメた報酬がこれか…… 天海殿の人使いの荒さには、いささか反吐(へど)が出るな」



 兼続は自嘲気味に、低くかすれた声で呟いた。



 義の武将と謳われた兼続もまた、ツナリの純粋な友情に本心では応じつつも、裏では天海からの指令を受けていたのだ。


『ツナリを都合よく踊らせ、タヌキを勝たせるための舞台装置、直江状を完成させよ!』 


 兼続は、晩廷からの絶対命令を受けて動いていた、十字架族の隠密だったのだ。



 この贅沢な裏金報酬があるからこそ、上杉家は家臣を誰一人として解雇することなく、無事に米沢の地へと移ることができたのである。



「直江殿。タヌキの世が始まれば、いずれ遠からぬうちに厳しいキリシタン禁教令が出されるでしょう。お覚悟を……」



 同じ仲間でもある隠密の冷徹な警告に対し、兼続はフッと不敵な笑みを浮かべると、衣服の下にある胸元の十字の護符を強く握りしめた。



「案ずるな。我が米沢の領内には、すでに三千人を超えるキリシタンの同胞たちが暮らしている。


 幕府がもし奴らの首を撥ねろと非情に命じてくれば、私は平然と『我が領内にキリシタンなど誰一人もおりませぬ!』 と、真っ赤な嘘の報告書を江戸へ送ってやるさ」



「……嘘で塗り固められたこの日の本で、今更たった一つの嘘を重ねることが、何ほどの恐怖になろうか」




 兼続は、黄金に輝く『愛』の文字に、そっと指先で触れた。


 世間はこれを「愛宕権現の愛」だ、「民への深き愛」だと、自らに都合のいい綺麗な物語として解釈し、勝手に騙されてくれる。



 だが、この文字の本当の意味は、デウスの教えである「御大切」


──すなわち、神への愛、隣人への愛。


 自分が十字架族の隠密であることの、晩廷への忠誠を告げる暗号に他ならなかった。



「ツナリ……すまぬな。お前という男の放った、あのあまりにも真っ直ぐな剛速球を、俺は上杉を生かすために利用させてもらった」


「お前のその純粋すぎる死によって、我が主君は生き残り、この国の美しき嘘は守られたのだ」



 兼続の落ち窪んだ瞳から、一筋の熱い涙が溢れ落ち、床の畳へと静かに吸い込まれていった……



「お前が最期に叫んだ正義は……この直江兼続が、この愛の文字の裏側へ、重き十字架と共に永久に隠し通してやる」



 騙し、騙され、誰もが嘘の檻の中で生きていく、戦後の歪な平穏……



 直江兼続の背負った哀しきバトンもまた、米沢の白き雪の底へと、静かに、深く、沈んでいくのだった……





:駿府城の怪物と螺旋の復讐劇



──慶長十三年──


 駿府城・極秘の間。


 それは、日の本の歴史の表舞台には一文字たりとも記されることのない、二人の怪物の対峙であった。



 大御所・タヌキの前に座すのは、漆黒の法衣を纏った謎の怪僧──天海。



「──お主が、あの明智十兵衛光秀だと?」


 タヌキの目が、冷徹に細められる。



 天海は表情を一切崩さぬまま、静かに口を開いた。


「いかにも。かつてナガ様の命により、安土城にて貴殿を接待させていただきましたな。


 その折、不手際があったと大勢の前でナガ様にボコボコに殴り倒された十兵衛という名の男の魂も、私の片隅で生きております」



「ふん、怨恨の末の本能寺か。ありきたりな話よ……」


(な、なんだと? なぜ、それを……?)




「ククク……タヌキ殿、あれはナガ様を討つための動機を、世間に信じ込ませるため……この私が仕組んだ茶番劇でございますぞ。


 ナガ様を本気でキレさせねば、周りは欺けませぬゆえ……


 下手をすれば私の首が飛ぶ死線でございましたがね……」




 タヌキの眉がピクリと跳ねた。


(や、やはり……

 あの時の違和感は……ふむ)



 あの覇王・ナガすらも命がけで欺き、本能寺の変という巨大な出来レースを完遂した天海の執念。



「不本意ながら、サルめに貶められ文字通りの死人として、地下深くに身を潜め耐え忍んでおりました」



「……で、その死人……いや、失礼……

 天海殿が、今さらこのタヌキに何の用だ」


 天海は、タヌキの眼を鋭く見つめながら答える。


「関ヶ原の戦い、私とねね様が描いた脚本通りの出来レース、半日で見事に終わりましたな。


 貴殿には豊臣に代わる天下を差し上げました……


 ですが……ここで終わっては面白くない。と、思いませんかな? 


 タヌキ殿、徳川の血を、あの美しき嘘つきども──『晩廷』の頂点へと送り込みたくはございませぬか?」 



 タヌキは、一瞬の戸惑いを隠せないまま言葉に詰まる。


「な、何だと……?」



 天海は、ニヤリと口を緩め淡々と喋り出した。


「ナガマサ殿の三女、江殿。彼女はすでに秀忠殿に嫁ぎ、四歳になる家光殿を産んでおりますな。


 ですがタヌキ殿、二人の間には今この時も、江戸城の奥でまだハイハイをしている幼き娘──和子殿がおられるはず……


 この娘を私が将来、晩廷の頂点へと送り込み、その腹から生まれる女の子……


 その娘をじつに八百五十年ぶりとなる女性の象徴の座に就かせまする」



「徳川の血族による、晩廷の完全なるコントロール。……乗るか、タヌキ殿」



 タヌキの口元が、ゆっくりと不敵に歪んだ。



 まだ赤ん坊の孫娘の未来までを完全に計算に入れ、国家規模の脚本を平然と提示してみせた天海の知略。



「ハハハ……! 面白い。

 このタヌキから甘い汁を吸わせようというわけか。 良かろう、その脚本、乗ってやるわ!」



 タヌキは満足げに笑った。


 これこそが徳川を味方につけるための、天海の軽い復讐のエサに過ぎないとは夢にも思わずに……




:螺旋の復讐と未来へのブーメラン



──同年・京の高台院屋敷──



 駿府城の熱気が嘘のように、ねねの屋敷は静まり返っていた。


 集まったのは、ねね、茶々、そしてお初の三人の女性たち。


 それから、部屋の隅の暗闇の中に佇む天海。



「天海殿。 タヌキ殿は綺麗に最初から騙されてくれましたか?」


 ねねの問いに、天海は低く笑った。



「はい。 徳川からの女性の象徴誕生という甘い汁に、あやつは見事に食いつきました。


 ですが、あれは単なる目眩ましに過ぎませぬ……」



「本当に晩廷の根底を乗っ取るための真の脚本……これより始まります」



 天海は、一人の少女の書状を取り出した。



「江殿が、秀忠殿と再婚する前に、豊臣秀勝殿との間に産んだ娘。 ──完子殿。 


 今年で数えの九歳になるはず。 



 茶々様、完子殿は貴女の養女であるな。 


 十二、三歳になる頃に、摂関家である九条家へ輿入れさせるのです!」




 茶々とお初が息をのんだ。



「完子を、九条家へ……?」



「さよう……。 豊臣家にとっても、九条家にとっても、そして徳川家にとっても、これ以上ないほど自然で願ったりな縁談のはず。 


 誰一人、これを怪しむ者はおりませぬ。 


 自然に、ごく自然に、その血は脈々と未来へ繋がっていく……」



天海の瞳の奥で、冷たい復讐の炎が爆発するようにメラメラと燃え上がった──



「かつて、晩廷が己の闇を護るために使い捨て、業火に沈めた織田。 


 都合よく利用され、献金だけを絞り取られた豊臣。 


 あるいは、織田に滅ぼされたはずの浅井。 



 完子殿の血脈には、そのすべてが流れている。 



 江殿は、徳川将軍の母であり、乗っ取りの仕掛け人であり、そして──未来の晩廷の先祖となる、日の本最高のスーパーガールとなるのです!」




 三人の女性たちは、その壮大すぎるブーメランの構図に、肌が粟立つのを感じていた。


 晩廷自らが、滅ぼし、利用した者たちの血によって、未来の晩廷そのものが内側から完全に支配される!


 言葉を失う彼女たちの前で、天海は静かに十字架族の経典を強く握りしめた……





:螺旋の継承の果てに



──ナレーション──



 天海の放った四百年越しのブーメランは、歴史の激流を、誰にも気づかれぬまま静かに潜り抜けていった。



 九条家に嫁いだ完子の血脈は、途切れることなく、脈々と、しかし確実に継承されてゆく……



──時は流れ、明治、そして大正──



 完子の子孫である一人の女性──九条節子。


 この女性が大正の象徴の皇后となる。



 そして彼女が産んだのが、昭和の象徴であった……




 今、私たちの生きるこの現代の世において、晩廷の血液には、色濃く、あまりにも色濃く、織田信長の血、豊臣秀吉の姉の血、そして浅井長政とお市の方の血が混ざり合っている。



 晩廷が隠し通そうとした美しき嘘は、彼らがかつて蹂躙した者たちの血によって、内側から完全に包み込まれ、逆流したのだ!




 これこそが、絶対的完全勝利。



 だが…… 


 物語には、天海という男が一生の苦労の果てに辿り着いた、もう一つの究極の真実が隠されていた。



 天海は、自分を山崎の戦いで出来レースの生贄として切り捨て、関白の地位へと駆け上がった仇敵──豊臣秀吉を心底から憎んでいた!



 だからこそ、豊臣秀吉の血だけは、一滴たりとも未来の日の本の聖域血統に入れぬよう、その裏の脚本から徹底的に排除した。


 豊臣秀吉の直系は、のちに大坂の陣で完璧に絶え果て、歴史から永遠に消去される……



 天海はそれを己の復讐の勝利と信じて、静かに影へと戻っていった……



──寛永二十年、天海没──




:十字架族の犬僧の奇跡



 しかし……その復讐劇を演じた彼自身は、この時は知る由もなかったのだ。



 かつて関ヶ原の戦いの前哨戦として、裏側にあったサイコパスな男・細川忠興の捨て刃。


 そこから、黒田官兵衛の手引きによる爆破偽装によって救い出した、最愛の娘──細川ガラシャ。



 細川忠興は自分の出世のことばかりを考える最低の男であったが、細川ガラシャへの歪んだ執着の末、二人が残した子供たちの血脈もまた、歴史の暗黒をドクドクと流れていた。



 公家の近衛家を経て、その血は昭和の象徴の后である淳・香皇后へと合流し、現在の晩廷へと完全に受け継がれることとなる。




 そう──細川ガラシャは、明智光秀の実の娘。



 すなわち、明智光秀自身の血もまた、細川ガラシャを通じて、未来の晩廷の体内へと完璧に、どっぷりと混ざり合っていたのである。



 自分を討った豊臣秀吉本人の血は完璧に途絶え、自分が守ろうとした娘の血と、自分自身の血……その血は未来の日の本の頂点へと君臨する。



 それは、一生をマリオネットとして苦悩し続けた明智光秀に対し、本(・)物(・)の(・)神(・)が彼に与えた、最高にして最後の隠された奇(・)跡(・)であったのだ!




 明智光秀という犬僧(けんそう)が描き、お初と弥助が日の本を駆け巡ってプロデュースした、驚愕の出来レースのシナリオ。



 そして、四百五十年の時を超えて完成した



『衝撃のラスト』



 この事実を知ったアナタは……どう考えますか……?



 今も厳重に閉ざされたサカイ社の奥で、永久に紡がれゆく……



【螺旋の継承】


 を……




(犬僧復讐劇・完)



【CAST】


 天海:十兵衛の魂を宿す十字架族の仕掛け人 / 明智光秀


 お初:天下を裏から駆けるやんちゃな三十路・外交官の卵 / 浅井長政の次女



【特別出演】


 ねね:豊臣の母・天下を裏からハッキングするトップレディ / 高台院


 タヌキ:選ばれし出来レースの継承者 / 徳川家康



【友情出演】


 タマ:美しきキリシタン・真実への亡命者 / 細川ガラシャ


 忠興:超優秀なのに超サイコパスな最低野郎『ちゃっかり種馬の忠興さんラッキー枠』/細川忠興


 兼続:二重の愛の化身・愛に板挟みされし哀しき共犯者 / 直江兼続



【闇出演】


 晩廷:千年の美しき嘘つき・永遠の演出家/ ???



【LOCATION】


 駿府城、高台院屋敷


 そして──厳重に閉ざされたサカイ社





【エピローグ番外編PART2】



:螺旋の行方と因果応報



──正保二年──


 八代城



 忠興は、病床で静かに寝息を立てている。


「細川の勝ちだ」


 と微笑み、夢見心地の悦に浸りながら、今まさに、穏やかな最期を迎えようとしていた。



 だが、その快感が絶頂を迎える瞬間、二年前に入滅したはずの天海からの、一通の密書が枕元に届けられた。



 かつて、タマが爆破自死を遂げたあの日から、四十五年……


 忠興の歪んだサイコパスぶりは、硝子人形を失ったことでさらに加速し、晩年は我が子らにその刃を向け続けた。


 長男の興秋を無理心中へと追い込み、次男の興元を徹底的な虐待の末に廃嫡したのだった。


 己の独占欲と出世の執念だけで、周囲のすべてを血に染めて生きてきた人生であった。



 だからこそ、己の血脈だけが生き残り、細川の天下が定まったこの瞬間、彼は自分が真の勝者だと確信して、夢の中で微笑んでいたのだ。



 しかし、その手元に滑り落ちたのは、あの死者からの手紙。 


 忠興はカッと目を見開き、震える手でそれを広げた。



『与一郎よ。


 お前があの日、炎に閉じ込めたと思ったタマは、今も異国の空で、堂々と華やかに生きているぞ。


 お前は我が娘の血を、未来の聖域へと運ぶための、ただの種馬に過ぎなかったのだよ。


 いろいろあったが、ちゃっかりと大役を果たしてくれたな。


 ナガさんと一緒に地獄のサウナ(蒸し焼き)で待っておるぞ、息子よ。ククク……』




「……あ、あ、あああああッ!! こ、これは……山崎でサル様に討たれて亡くなったはずの、お義父さんの筆跡だあぁぁ!


 さ、サウナは、蒸し焼きだけは絶対に嫌だあぁ!」




 自身の薄っぺらな誇りのために、妻・タマを爆破自死させ、実の子供たちを残虐にいたぶり、


 そうして手に入れたはずの己の全人生が、すべて天海の敷いたレールの上であったのだと知った忠興。



 脳の回路がブチ切れるほどの絶望と絶叫の中で、忠興は血を吐き散らかした。


 まるで、魂が引きずり出されたかのように口を大きく開けたまま硬直し、断末魔の苦悶の果てに息を引き取った……



 忠興の身体から抜け出した魂は、地獄のサウナへと続く、底が暗い螺旋階段のど真ん中を、一直線に真っ逆さまに堕ちていった……



──公式記録、八代城にて……華麗なる大往生。



(忠興編、完)





:螺旋の終着点



──令和の夜、とある執筆室にて。



 著者、51歳。


 本職は、己の手と道具だけで物を作る現場の職人である。



 今日もいつもの現場で、左近率いる屈強な武将軍勢の現場と同様に、鍛え上げた体幹で一日中身体を激しく動かし、クタクタになって帰宅した。



 愛する妻と子供は、すでに奥の寝室で安らかな寝息を立てている。


 一日の終わりに静かな部屋で一人、スマホを片手にポチポチと文字を打ち込むのが最近の密かな愉しみだった。



 本能寺の変から関ヶ原の戦い、タマの亡命、兼続の愛の十字架、天海の血流……


 彼らが命がけで繋いだ四百五十年の美しき嘘の螺旋を、驚愕的な独自の仮説文として、指でタップを繰り返し、ついにすべてを書き終えた。



「──ふう、これで、完結、と」



 全てのピースがハマった満足感に浸りながら、冷めたコーヒーをすする。


 あとは投稿サイトの公開ボタンをポチッっと押すだけ、というその瞬間だった……




 バチッ!



 突如、部屋の明かりが完全に消灯した。


「うぉ! 停電か……?」


 重苦しい静寂が部屋中を包み込む中、職人として長年鍛え上げた現場の嗅覚が、背後の濃い影の境界から、あり得ないほどの不気味な気配を察知して総毛立つ。



「……誰だ」


 暗闇の中振り返ると、音もなく部屋中の空気が歪み、ボンヤリと青白い微光に照らされた人影が、微妙に揺らめいていた。




 そこに佇んでいたのは、漆黒の法衣を纏った、116年の人生を全うし、その執念を宿す怪僧──天海。



 その傍らには、常人離れした巨躯を誇る延暦寺の門番──弥助。


 ねねの弟子として日の本を駆け巡り、天下を裏からハッキングした外交官の卵──お初の姿があった。



「ククク…… お見事な脚本であったぞ、令和の職人殿よ」



 天海の、すべてを見透かしたような低い声が鼓膜を揺らす。



「う、うわっ! なぜあんたたちが、ここに……?」



「お主が暴きすぎたのだよ。


 闇陵の奥底、サルの排除、タマの亡命、兼続の真の愛、そして我々の旅路。



 どれもな、晩廷が千年にわたり隠し通してきた、絶対に表に出てはならぬ『真実』よ……」



 天海は静かに、だが逆らえぬ威圧感を持って一歩近づいた。



「え? ま、マジかっ! ち、ちょっと待ってくれよ、この作品は投稿前なんだ。


 投稿は辞めるから消えてくれ! な?」



 必死の命乞いに対し、天海はフッと不敵な笑みを浮かべた。



「ふ、もう手遅れだ…… 


 弥助、やれ……」



「ハイ、ボス!」


 弥助の圧倒的な剛腕が、職人の両腕をがっちりと拘束する。


「な、なんて力だよ!」


 職人の身体が闇へと引きずり去られる直前、天海は冷徹に、傍らのお初へと視線を走らせた。



「お初、仕上げを……」



 お初は机の上にある職人のスマホに近づき、液晶画面に映し出された原稿文をまじまじと見つめ、チャーミングともミステリアスともいえる最高の笑顔をみせる。



「へぇ、これがスマホかぁ、未来人は忙しいのね。


 さぁ、ウフフ、アタイ達を売り物にした報いよ! ごめんあそばせ」




 ポチっ──



 お初の細い人差し指が、液晶画面の公開ボタンを迷いなくタップする。



【作品を公開しました】



 四百五十年の闇に葬られるはずだった真実が、令和の世界へと完全に放流された瞬間であった。



「……待ってくれ! 家族が、妻と子供がいるんだ!」



 闇の奥へと引きずられていく職人の叫びに、天海の声が静かに重なる。



「案ずるな。


 お主の家族には、晩廷の奥底から引き出された、終生に余りある莫大な裏金が自然な形で届けられる。



 お主の奥方、ご子息ともに路頭に迷うことはない。


 お主はちゃっかりと、素晴らしい大役を果たしてくれたのだからな。



 さあ、行こうぞ。


 ナガさんやツナリ、それに与一郎も、お主という最高の脚本家が地獄のサウナへ来るのを、今か今かと待ちわびておるわ! ククク……」




 頭の回路がブチ切れるほどの衝撃の中で、職人の意識は深い、深い螺旋の闇へと吸い込まれていった……


(そ、その裏金って…… 今の令和で使えるの……かよ……?)




:画面の向こう側



──数日後──



 地元紙の片隅に小さな記事が載る。


 とある高名な職人、自宅にて、眠るように謎の大往生。



 事件性はなく、遺書もない。


 ただ、主を失ったスマホの液晶画面だけが、夜の執筆室の中、机の上で静かに明かりを放っていたという……


 ただ一点……鑑識班から出された、報告書の片隅に一文。


 スマホの液晶画面の一部分に、主のものではない、そもそも現世には存在しない謎の指紋が、主の指紋の上に重なり、くっきりと残されていたという……


 真相は、螺旋の渦へと沈んでいったまま……




──ナレーション──



 さて……


 最後に、一つだけ純然たる事実を提示して、この物語を終えようと思う。



 あなたが今、指先でスクロールし、液晶画面越しに見つめているこの、おはなしの真実。


 先ほど、著者である男は「投稿するのを辞める」と言って連れ去られた。



 では、この原稿をネットの海へ放流し、今、あなたの目の前に表示させているのは、一体誰だろうか?


 そう、お初があの細い人差し指で公開ボタンをポチッとしたからこそ、この文章は今、あなたの手元に届いている。


 つまり、この物語が開示されたその瞬間から、あなたもまた、晩廷が四百五十年守り続けてきた禁忌の領域へと片足を踏み入れているのだ。



 これは、他人事の歴史ファンタジーではない。


 天海が描き、お初がポチッとし、このおはなしを知ってしまった──あなた自身こそが、この果てなき螺旋の終着点。



 本作品を最後まで読破してくださった、画面の向こうのあなた。


 部屋の明かりは、点いていますか?



 スマホやパソコンの画面に、自分の顔と一緒に映り込んでいる影はありませんか?



 今、あなたのすぐ背後で、衣服が擦れる微かな音がした。



 漆黒の法衣を纏った老人と、巨躯の 門番、それから、ごめんあそばせ! と笑う、やんちゃな三十路の気配に、どうか最後まで気づかないフ(・)リ(・)をしてほしい……



 現地、地獄のサウナより切に願っております。




(著者編、完)



<第3章エピローグ番外編・完>


最後までお読みして頂き、本当にありがとうございます。


皆様の大切なお時間を長く奪ってしまいましたが、ほんの少しでも、脳内の片隅にでも記憶してもらえれば、こんな幸せはありません。


次回作、何作かいろいろ考案中ですので、楽しみにお待ちして頂ければ幸いです。

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