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歌声は恋を隠せない  作者: 三島 至
番外編
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高嶺の花・オーキッド②

 

 ビオラへの恋情をはっきりと自覚した時、オーキッドは同時に、自身に向けられる気持ちにも気が付いた。

 認めてしまえば、実に分かりやすい。彼女がオーキッドを見つめる眼差しは、兄に対するそれではなかった。


 自覚が遅れたのは、感情を押し込めていたからだ。ビオラの事を、妹と思うことさえ躊躇っていた。

 彼女には既に、立派な兄、グラジオラスがいる。オーキッドは常に劣等感に苛まれていた。

 彼らとは、生まれが違う。オーキッドが特別優れているわけではない。

 レユシット家にこの先も居続けていい理由が、彼には思い浮かばなかった。


 ビオラと自分は、釣り合わない。

 オーキッドは表面上は兄のように、丁寧に振舞ったが、心情としては、雇い主の子供に対する使用人のつもりで接していた。

 相手はお嬢様で、オーキッドは今懐かれているだけの、使用人にすぎないと思うようにしていた。彼女は眩しい、穢れない存在だった。


 グラジオラスの努力もあって、オーキッドはレユシット家に少しずつ馴染んだ。歳を重ねるにつれて、引き取られた当初のような、卑屈な考えはなりを潜めていると、オーキッドは思い込んでいた。だが根本的な部分は変わらない。最初の頃の記憶が、オーキッドを苦しめている。

 無意識の心の奥底では、依然として、自分はレユシット家にふさわしくない人間だという気持ちが残っていた。



 孤児院に入る前の記憶は、もうおぼろげだ。だが何らかのトラウマを抱えていたことは確かである。

 彼は平民の中でも、貧しい部類で、恐らく、いつも空腹だった。それに加えて、日常的に暴力を受けていた。

 オーキッドは実の両親の顔を思い出せない。母一人、片親だったような気がするが、時々何処からか殴りに来る男が、父親だったかもしれない。

 オーキッドはこの頃、考えることをやめて、諦める事を覚えた。そうして日常をやりすごす。

 病にかかった親が死んで、ようやくオーキッドは自分で行動を起こすようになったが、どちらかというと、されるがままの、受動的な子供になっていた。

 オーキッドは、ろくな教育を受けてはいなかったが、生まれ持った頭の出来は悪くなかった。人づてに聞いて、孤児院を訪ねるくらいのことは出来た。

 運良く、その孤児院の院長は、オーキッドにとって悪い人間ではなかった。行くあてのないオーキッドを、受入れてくれたのだった。

 孤児院では、特に問題を起こす事もなく、静かに過ごした。言われた事はやるが、基本的に、自分から何かを欲しがったり、遊びに誘ったりはしない。

 知識欲は、人よりあった。字を教われば本を読み、好きな事をしていいと言われれば、やはり、一人で本を読んだ。

 オーキッドは子供の頃、殆ど独学で勉強していた。といっても、六歳までの事なので、大して難しい本ではなかったが。




 オーキッドは、グラジオラスが彼の何を気に入ったのか、分からない。レユシット家の人間は、初めから友好的ではなかった。

 グラジオラスはあの中で、異質だった。彼には、貴族、平民、という壁がなかったのである。


 なるようになれ、と、流されたままでも良かったが、最初はグラジオラスを恨んだ。自分の中にまだプライドがあることを気付かされたからだ。


 それは引き取られたときの事。

 レユシット家当主であり、グラジオラスの父親である男は、オーキッドを明らかに見下していた。

 彼の反応は珍しいものではなく、むしろ貴族としては一般的なものだったが、グラジオラスに熱烈な歓迎を受けたオーキッドは、その温度差に面食らった。

 当主は、オーキッドの事を、扱いの良い奴隷か、ペットだと思っているように、オーキッドは感じた。息子に買い与えただけの、物として見られている気がした。養子として、レユシット家の人間として、最初から認められたわけではないのだ。


 当主が非情な訳ではない。オーキッドは、自分の立場というものを、よくわきまえていた。だがその時、生まれて初めて、人生における格差に、惨めな気持ちになった。

 知らなければ、経験しなければ、関係のない世界だったのだ。

 グラジオラスに気に入られただけの、何の取り柄もないオーキッドは、居場所を得るためには、相応の努力をしなければならないと思った。一人の人間として、認めてもらいたかった。



 もう辞めていった使用人で、執拗に嫌味を言ってくる者がいた。下級貴族出身で、出世欲が強い彼は、オーキッドのことが妬ましくて仕方ないらしかった。

 どういう経緯でかは、オーキッドは知らないが、格上の相手との婚姻が成り、その使用人は職を辞したが、それまでは毎日、嫌な思いをさせられた。



 分かっている、出自のことも、能力が高くはないことも。だから、わざわざ言わないでくれ。

 でしゃばらないから、大人になって、力をつけたら、ちゃんと出て行くから。

 放っておいてくれ。


 オーキッドはいつしか、いずれはレユシット家を出なければいけないと思うようになっていた。


 人並みに、異性との付き合いも経験したが、空虚なものだった。

 女性たちは皆、物腰柔らかで容姿が整っているオーキッドを魅力的だと言ったが、オーキッドからは、ビオラ以上に魅力的な存在は見つけられなかった。

 恋を自覚する前のオーキッドは、ビオラの事を考えなくて済むくらい、夢中になれる相手を欲していた。

 気付きたくなかったから、押し込めて、覆い隠して、目を背けた。


 ビオラは、成長しても穢れなかった。綺麗な存在だった。彼女の態度が変わる事は無く、いつまでも、「キッド兄様」と呼んで、笑いかけてくれた。

 ビオラの中でずっと存在し続けたいという、願望が芽生える。彼女がいつか他の貴族男性と結婚して、価値観が変わってしまう事を恐れた。

 この先彼女が変わらない保障は無い。その内、オーキッドに嫌気が差す所を、見たくはないと思うようになった。実質それは、彼女が他の男と結婚する所を見たくない、という事だ。


 それでも、認めたくなかった。認めてはいけない感情だった。ビオラの瞳に、他の感情を見つけてはならない。気付いてはいけない、お互いに。


 オーキッドは、女性と連れ立って歩く姿を、わざとビオラに目撃されるように行動した。さり気なく、ビオラを意識しているとは、悟られないように、自分には他に相手がいるのだと思わせた。そして自分にも。


 それが逆効果になるとは、思っていなかった。





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