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54 謝罪

 

 意外にも、最初に口を開いたのは、俯いていたフリージアだ。


「……リナリア、二人きりで話したい」


 リナリアも、フリージアとは話そうと思っていた。

 断る理由は無く、リナリアはフリージアに歩み寄る。

 声が出せないリナリアは、迷った末、フリージアの手を控えめに掴んだ。

 フリージアが、はっとして顔を上げる。

 その目は既に赤くなり始めており、先程のリナリアのように、泣き出しそうだった。

 恐らくミモザも、ランスと二人きりで話したいだろうと思い、リナリアは一応ミモザに目配せする。

 彼女と視線は合わなかったが、分かってくれるはずだ。

 リナリアは二、三度フリージアの手を引き、場所を変えよう、と暗に伝える。

 フリージアも理解したようで、頷いたのを確認すると、手を引いたままリナリアは歩き出した。

 ランスとミモザをその場に残して、公園から離れる。


 リナリアが触れてくる事が、どれだけ嬉しい事なのか、フリージアしか知らない。

 やっと、リナリアと向き合える。

 フリージアはそう思った。



 走った直後のように、体が火照る。耳元で聞こえる自分の鼓動に、フリージアは必死に落ち着こうと努力した。

 片手に感じる感触は、間違いなくリナリアの手だ。

 リナリアと手を繋いでいる。

 その事実だけで、世界から隔離されたような感覚に陥った。

 目の前を歩く、美しい少女しか目に入らない。

 踏みしめる芝生も、草のにおいも、近づいてくる秋の風も、遠くで聞こえる子供達の声も、全てに現実感が無かった。

 フリージアは、リナリアのことを考えすぎておかしくなったのかと思う。

 自分の感情を、言葉で言い表す事が出来なかった。

 公園を出て、林を通り過ぎる。教会の敷地の外にまで歩いて、リナリアは足を止めた。

 宝石のような青い瞳が振り返り、亜麻色の髪が流れる様が、フリージアの目に焼きつく。

 髪が風に舞い、持ち主の腕に沿って落ちる。

 その、華奢で折れてしまいそうな白い腕が、緩やかに持ち上がり、ある方向を指差した。

 リナリアが指し示す方へ目を向けると、どちらかといえば貧しい人たちが住む住宅地がある。

 リナリアが頷いたのを見て、意味は伝わらなかったが、フリージアは反射的に頷き返した。

 再び歩き出す。

 前に向き直る前に見た顔は、無表情だった。リナリアが何を思っているのか分からず、だが良い感情では無いだろうと、話をする前から泣きそうになる。

 フリージアの気持ちと相反して、空は晴れていた。暑くはないが、日差しは明るい。リナリアの髪は太陽の光を浴びて、一本一本が高級な糸のように見える。


(リナリアの髪で刺繍した何かが欲しいな……ハンカチとか……)


 美しい後ろ姿を見つめながら、フリージアはぼんやりと思った。

 すぐに、それが異常な思考だと思い至る。


(これじゃあ、私本当に変な人だわ……!)


 妙な事を考えてしまう程、リナリアの髪は綺麗だった。

 彼女の姿を一度でも目に捉えた者なら、フリージアの心の声が聞こえていたとしても、責める事は出来なかっただろう。


 フリージアから声をかけることもないまま、再びリナリアが足を止める。目的地に着いたのだ。場所は教会から殆ど離れていない。

 決して新しくは無い、小さな家だった。

 フリージアも途中から気付いていたが、リナリアの住んでいる家である。

 鍵を回し、扉を開ける。

 そのとき、ずっと繋いでいた手を離されたことを残念に思うが、ずっと繋いだままだったのも良く考えれば変な話だ。

 自覚は無かったが、フリージアは離したくないと思って、リナリアの手を強く握っていた。すぐに離すつもりだったリナリアは、無理に振りほどくのも躊躇われた。繋いだままだったのは、それが理由だ。

 リナリアが、どうぞ、と言うようにフリージアを招き入れる。

 フリージアは緊張した。

 正真正銘、リナリアの家に来るのは、これが初めてである。

 適当に腰を落ち着けて、黙り込む。

 喋れないリナリアは、いつも使っている手帳をすぐには開こうとしなかった。

 二人とも俯いたままだ。無言の時間が続く。


 部屋は静かだった。

 母親が死んでから、リナリアが一人で暮らしている家。

 家の大きさは、彼女一人であれば不便は無いだろうが、酷くもの寂しい感じがする。

 そう思うのは、静寂だけが原因ではなかった。フリージアが見たところ、荷物が纏められ、まるで引越しでもするかのように見える。必要最低限なものしか置いていない。


 フリージアは、自分の家と比較して、家族の姿を思い浮かべる。

 この家では、誰の声も響かないのだ。

 無音の家で過ごすリナリアの気持ちを想像して、胸が締め付けられた。


「リナリア……私の事、嫌い……?」


 何から切り出せばいいか分からなくて、フリージアの口からはそんな言葉が出ていた。

 リナリアは答えない。筆記具を取る様子も無いので、そのまま話を聞くつもりなのだろう。

 フリージアは、ふと、今から言う言葉がリナリアの気に障ったとしても、昔のように酷い言葉が耳に残るようなことは無いのだと思った。

 リナリアは声が出ないのだから。

 少なくとも、声で遮られることなく、聞いてもらえる。


(今だけは、聞いて。私の気持ちを知って。私は……)


 フリージアは勇気を出した。


「リナリア、貴女とはこれから、友人になりたいわ」


 ――フリージア、貴女とは一生、友人になりたくないわ。


 かつてリナリアに言われた言葉が蘇る。

 リナリアが僅かに目を見開いた。

 絶交した時の事を、お互い思い出している。

 少し空いた間が、それを物語っていた。


「リナリアとは、とっくに友達のつもりだった。あの時まで、一番仲がいい気でいたの。勝手に。でも、リナリアに、一生友達になりたくないって言われて、私たちは友達じゃなかったんだって、思って……」


 一瞬、喉がつまり、声が途切れる。過去を思い出すと、感情まで引っ張られるようだった。


「悲しかった」


 フリージアは俯いたまま、膝の上に置いた手を握り締める。服にしわが出来るのを、きつく睨みつけて、リナリアの顔を見なかった。

 見るのが怖かった。


「嫌いだって言われて、すごく泣いた」


 段々、感情が高ぶってくるのを、フリージアは感じていた。声に力がこもり、顔が熱くなってくる。自分で止めることが出来ないまま、何も考えずに言葉が出てくる。

 自分でも、次に何を言ってしまうか分からない。


「嫌いなんて、言わないでよ……」


 視界がぼやけ、涙の膜が張る。俯いていると、そのまま落ちてしまいそうだったので、フリージアは顔を上げた。

 しかし、その拍子に、涙が零れてしまう。

 頬を伝う感触に、堪えられなかったと思うと同時に、涙腺が刺激される。

 どうせもう、決壊してしまったとばかりに、ぼろぼろと涙を流す。


 目が合ったリナリアは、戸惑っているように思うが、どう思っているかは分からない。


「ずっとずっと、リナリアだけなのに、どうして嫌いだって言うの? 私の何がいけないの? 何でカーネリアンばかり構うの? 私だって、リナリアと仲良くしたいのに! 私はリナリアの事が一番好きなのに、どうしてリナリアの一番は私じゃないの!」


 堪えきれずに、フリージアは泣き喚く。言葉にならない叫びを上げ、頬と手の甲を濡らした。

 まだ言いたい事があるのに、支えてしまい、上手く話せない。

 沈まぬ感情を持て余した。


(リナリアは勝手だよ。私は、カーネリアンの事、何とも思っていない。むしろもう、嫌いになってしまいそうだよ。私が……好きなのは……)


 話しかける言葉が声に出ないで、頭を巡る。

 息を呑んだ。

 そのまま、吐き出せずに口を閉じる。

 まるで呼吸の仕方を忘れたように、固まっていた。


(私は今、何を思った? 違う、違う、そんなんじゃない。私は誰にも恋なんかしていない。カーネリアンの事を好きなわけでもない。でも、でも……リナリアの一番は……私であって欲しい……違う、カーネリアンの立場に変わりたいわけじゃない……)


 苦しくなって、やっと溜めていた息を吐き出した。


 フリージアが気付かぬうちに、リナリアは手帳に文字を書き始めていた。

 部屋には、フリージアがしゃくり上げる音と、それにかき消されそうな、筆記具が紙の上をなぞる音だけがしていた。

 まだ落ち着いたとは言えない状態のフリージアは、音に気付くと、黙ってリナリアの動作を眺めた。

 姿勢よく座り、手帳に目を落とす美人は、結婚証明書に署名する瞬間の花嫁よりも厳かに見える。

 リナリアが何かを書き終えるまで、見とれて目が離せなかった。

 いつの間にかフリージアの涙は止まり、目が乾いてしまうほど、リナリアを見つめ続けていた。


 書き終えた手帳を、小さな机の上を滑らせて、フリージアの眼前に差し出す。

 フリージアは震える手で、手帳を取った。


≪私は明日、街を出る。その前に聞けて良かった。≫


 ミモザから聞いていたが、リナリアが街を出るのは変わらないと知り、フリージアは唇を噛む。


≪ごめんなさい。酷い事を言って。ずっとフリージアに謝りたいと思っていた。フリージアには、あの時嫌われていたと思っていて、勇気が出なかった。機会はいくらでもあったのに。フリージアはいつも、教会に来てくれていたよね。その時でも、オーキッドさんが食事に誘ってくれた時でも良かった。二人きりじゃないからって言い訳して、貴女を避けていた。とっくに、貴女のこと嫌いじゃ無くなっていたのに、立場が逆転したようだった。今度は私が、貴女に嫌われているって怯えていた≫


 小さい手帳の一枚を上から下まで使って、びっしりと文字が並んでいた。

 読み進める内に、フリージアの気持ちが段々と浮上していく。

 心を歓喜が支配していった。

 まるで興味など持たれていないと思っていた。

 リナリアが少しでも気にかけていてくれたことを嬉しく思い、フリージアはまた泣きそうになる。

 リナリアの文字はまだ続いている。


≪あの日、フリージアを嫌っていたのは本当。フリージアに嫉妬していたの。でも、今のフリージアの言葉は、嬉しかった。私ね、ミモザと友達になったの。だから、少し自信がついたみたい。フリージアとも、仲良くなれるんじゃないかって。虫が良すぎる? 声が出るなら、何度でも謝りたいよ。昔の私は、貴女の気持ちが分からなかったの。昔からフリージアが、私を好きでいてくれたなら、何て酷い事をしたんだろうって、思い知ったわ。あの時、辛かったでしょう、フリージア。ごめんね……≫


「リナリア、声に出して言ってよ…………!!」


 フリージアは泣き叫んだ。

 顔を覆って、出来もしない事を口にする。

 フリージアはリナリアを好きで、リナリアも謝ってくれたのに、何故まだ声が出ないのだろうと思った。

 フリージアは、心底リナリアの声が聞きたい。

 歌声ではなく、ただの言葉を話して欲しかった。


 フリージアが落ち着いた後、日が暮れる直前まで二人は話した。明日街を出てしまうリナリアと少しでも一緒にいたいと思ったフリージアは、泊まりたいと願ったが、家に連絡する手段を持たなかったため、断念した。


 リナリアの呪いが解けないのは、まだ彼女の心にわだかまりがあったから。

 神様はきっと、それに気付いていたのだろうと、リナリアは思う。

 フリージアは、カーネリアンとの関係を正しく説明するのを失念していた。

 リナリアも、話題に出そうともせず、まるで気にしていないように振舞うので、フリージアは会話中ずっと、それを思い出す事は無かった。




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