55 片想い
ミモザの心情は比較的落ち着いていた。
好きな人が、自分以外へ心を寄せていると聞いてしまったばかりだが、感情に振り回される事はない。
ミモザは昔の事を思い出した。リナリアに嫉妬して、彼女の秘密を母親に話してしまった時のことだ。あの頃、ランスがリナリアを気にかける事が気にくわなかった。今でも、リナリアと親しくなっていなければ、彼女に酷い事を言ってしまったかもしれない。
だけど今は――少なくともリナリアが失恋したと思っている内は、気持ちに差はないのだ。
リナリアだって、苦しい片思いをしていると知っている。
ミモザも立場は同じだ。ずっと前から。
そしてランスの恋も、リナリアがカーネリアンを好きな以上、一方通行のままだ。
リナリアの気持ちを知っているだけに、ランスがリナリアの事を好きだと言っていても、まだ冷静になれた。リナリアが心変わりしなければ、ランスの想いが叶う事は無い。
ランスのように、好きな人に幸せになって欲しいからと、恋を諦める事は出来なかった。ミモザは、まだ諦めないと強く思った。
(ねえ、ランス。分かっているでしょう。リナリアの心に、割り込む余地は無いって。だけど、私の方は、まだ余地があると思っている。だって……ランスは、自分より、人の幸せを考えられる人だもの)
ランスの恋の成就を願う事は出来ない。ずっと好きで居続ければ、いつか、ランスに好きになってもらえるかもしれない。ランスを誰よりも好きなのは、ミモザなのだから。
教会の敷地内にある公園には、ミモザとランスしかいない。
リナリアとフリージアが立ち去り、残されたミモザ達は一言も言葉を発さずに向かい合っている。
ミモザと見つめ合うことに耐えきれなくなり、ランスは先に視線を外した。
行動を起こさなければ、何も始まらないと二人とも分かっていた。ミモザは理解していても、ずっとランスと見つめ合っていられればいいのにと、現実的では無いことを思う。目を反らされて、あっさり願いは叶わなくなった。
ランスが視線を落としたので、ミモザも何とはなしに芝生を見る。先程は気が付かなかった物が目に入った。ランスの足元から少し離れた所に、白い何かが落ちている。丁度、リナリアが立っていた辺りだ。
それが何か考える前に、ミモザは拾いに行っていた。自然と距離も近くなり、ランスは、ミモザが屈んで手に取った物が、何なのか気にしている。
「手帳ね」
ランスに向けて、何も書かれていない表紙を見えるように持つ。
ミモザはカバーをつけている状態しか見ていないが、手帳が誰のものか予想がついた。状況からして、リナリアのものだろう。
ランスは、リナリアが目の前でカバーを付け替えているのを見ていたので、持主にはすぐ気が付いた。
「リナリアのだよな」
「ええ。うっかり落として行ったのね。誰かに見られたら大変よ、恋文の束だもの」
「恋文?」
リナリアがカーネリアンへの想いをたくさん書き綴っているのを、ミモザは実際に見てきた。ミモザは内容を知っているが、ランスは知らない。ふと、ある考えが浮かぶ。
(カーネリアンがこれを読んだら早いんじゃない?)
いやさすがに、勝手に見せるわけにはいかないと思ったが、リナリアの様子を見るに、彼女は自分から告白する気は無い。フリージアとカーネリアンが付き合っているというのが誤解と分かった今、ミモザにはリナリアの恋を応援したい気持ちがある。何より、リナリアの恋が実った方が、ミモザは先に進める。
ああ、悪い癖だ。
ミモザはランスに手帳を差し出した。
「ランス、明日もし、リナリアがカーネリアンに告白しなかったら、渡してあげて」
誰に、とはあえて言わない。ランスは持主に返す、と解釈するかもしれないが、明日の結果によっては、カーネリアンに渡す気になるかもしれない。ミモザはランスの判断に委ねることにした。
「何で、俺?」
「私はほら、前科があるから。勝手なことしてリナリアに嫌われたくないの」
ランスは話が見えない。だが、前科というのが、噂の発端になったことであるのは何となく分かった。
「俺もリナリアに嫌われたくないんだけど……」
「ランスの行動は、リナリアのためにすることになるけど、私が渡したら自分のためにしたことになっちゃうもの」
「よくわかんねぇ……」
「兎に角、持っていてよ。上手くいったら、そのうち返せばいいから」
ランスは釈然としないまま、差し出された手帳を受け取る。
「明日、告白するって言っていたのか? リナリアが」
「言ってないけど……明日を逃すと直接伝える機会がないわね」
「明日何かあるのか?」
「明日になれば分かるわよ」
ミモザは努めて普段通りに話した。落ちついていると思っていたのだが、やはりいい気分ではない。思ったより、声を出すのに苦労した。震えないようにするのに必死だ。
失恋の痛みがじわりと浸食してくる。
あまり考え過ぎると泣きそうで、ミモザは早くこの場から離れたいと思い始めた。
「ランス、私は諦めないから」
無意識に口にした言葉は、しっかりとランスの耳に届いてしまう。
「……」
ランスが無言でミモザを見ている。ミモザは自分が口を滑らせた事に気付いたが、訂正はしなかった。はっきりした告白ではないが、ランスは察しただろうと思う。これ以上何も言える気がしない。ミモザは体の向きを変えた。去り際の言葉も無く、歩き出す。ランスが口を開く前に、ミモザはその場から逃げ出していた。
とうとう一人になったランスは、ミモザが手帳を渡した意味は分からなかったが、彼女の気持ちは理解していた。ミモザがランスの事を好きで、リナリアとカーネリアンが上手くいってほしいと思っている。それは分かるが、手帳をどうすべきかよく分からない。取り敢えず明日になればわかるという言葉を信じて、待つしかないと思った。
手帳に目を落とす。リナリアが使った手帳。ミモザの「恋文」という言葉が、ランスの好奇心を刺激した。見てみたい気持ちと、盗み見る罪悪感に揺れる。
迷って、結局手帳を開かずにランスは家路についた。見ないことにしたのではない。ランスは、好奇心に抗えなくなることを予想していた。今耐えても、どうせ見てしまうだろう。ただ、誰が見ている訳でもないのに、一人なれる部屋まで我慢しようと決めた。
それはもしリナリアが取りに戻ってきたら、二度と好きな人の恋文など読めないと思ったからだ。
例え自分宛てでは無いとしても。
リナリアが街を出ていく事は、まだ数人しか知らない。
グラジオラスとは手紙のやり取りで。引っ越しが本決まりになって、最初は神仕えに。そしてミモザと、リナリアが伝えたのはこれくらいだ。話の流れでフリージアには伝えたが、リナリアはなるべくひっそりと居なくなろうとしていた。
付き合いのあった人は多くない。リナリアは、自分が街を出ても困る人はいないと思っている。実際は、街で有名な歌姫が突然消えれば、住民は混乱するだろう。異様に自己評価の低いリナリアはそこまで考えが及ばなかった。
カーネリアンとは、街を出る直前まで会わないつもりだ。最後の最後に、今までのお礼を言って、別れを告げようと思っている。
別に王都と言っても隣街、会えないことは無いのだが、会おうとしなければ、顔を合わせる事もない。偶然再会するには、王都は広すぎる。
リナリアは今生の別れのような気持ちで明日を待っていた。
荷物はまとめてある。グラジオラスが手配してくれて、手間のかかるものは少し運び出していた。もともと物が多い家でもない。リナリアはあと、手荷物程度を持って家を出ればいい。
夜になっても、眠くならなかった。リナリアは冴える目で、天井を眺める。
母と過ごした家だ。離れがたいかと問われれば、確かにその気持ちはあった。
だがリナリアは、家にそこまで執着していない。一人で過ごす時間が長くなるほど、思い出の場所は悲しくなる場所に変わっていた。
目を閉じる。母の姿を思い浮かべても、一人きりでは、余計に寂しくなるだけだ。
グラジオラスに抱き締められた時、家族を求めてしまった。オーキッドと、ビオラとも、もっと親しくなりたい。街を離れたいというよりは、彼らと一緒にいたいという気持ちが大きかった。
ただ…カーネリアンの事を想うと、胸が痛い。
昔から大好きなカーネリアン。
そばにいたかった。でも、もうそれも苦しい。
リナリアは手探りで、枕元に置いたものを触った。小さな布袋を掴み、握りしめる。中には魔法の石を入れてあった。
使う時は、決まっている。
石の存在を確かめて、元の場所に戻した。
耳に痛いくらいの静寂に、慣れても寂しさは拭えない。
母の寝息を聞きながら、眠りにつきたいと思った。無理矢理意識を沈め、体が眠るのを待った。
街の夜は更けていく。




