彼の脅迫
「ほぼ確実に、日本の信頼が落ちるのは間違いありません。日本人のテロリスト。そしてそれを満足に対策もできず、今も野放しの状態になっている政府に不信感をもつ国々も出現し始めるでしょう。このような不覚な事例は、国会としても今までのテロ行為により教訓を提示すると同時に、防衛の惰弱性を表すものであり、今回のテロの首謀者、米崎稲峰は大変稚拙なテロリスト、また、その思想に賛同する、俗に米崎一派と呼ばれる者達も同様であり――」
萩原海義は、そんな意味のない言葉を椅子に座って聞いていた。
目の前で話しているのは、確か、防衛相の人間だったか。そんな疑いが出るほどに、男の話は問題提起ばかりで、問題の本質と対策を少しも講じていない。無駄な会話など許されないはずの議会が、中身のない会議に成り下がっている。
そもそもテロリストなどの対策を真っ先に行うのは政府である。他国との共存を行いながら、攻撃をしようとするテロ集団の対策を備えておく。それを、最初から他国と国民の反応を窺いながらの行動をして、更なる醜態を晒すことを、周りの人間が分かっているのだろうか。最終的にそれが、自分たちの首を絞めることになるということを、だが。
「…………」このような状況になってしまっては、どのような対応をしたところで国民や他国からの信頼は減少するだろう。否、すでに自分たちに『信頼がある』と誤解しているところから、彼らの認識は食い違っている。要するにここで何が話合われているか、と言えば、それは自分たちにどれだけ火の粉が掛からないように、どういった責任転嫁の言い訳をするか、といったことでしかない。周りの誰しも、そして、それは萩原海義自身も。
「国の不祥事をどのような形で治めるかが今後の課題であり、街中に警察などの公的機関を使用するという方法が、現在の方法です。また、街中の監視カメラ映像やインターネットの操作記録などはすべて管理し、テロ集団の実態を暴くと同時に――」
「よくやるものだ」
そこで、背後から何か複数の音が混ざったような声を、萩原海義は認識する。頭を少し横にずらし、片目で後ろを捉えると、そこには、たった今話合われている国際テロリスト、米崎稲峰の姿があった。
――米、崎か?
国会の空気が、一瞬で固まる。ほんの数秒の内に、すぐに何十人と言う警備員が米崎に向かって行った。安全性を取る為に銃器を所持していないSPや警官隊を前に米崎は口を開く。
「止まれ。何もするな。ただし、記録とカメラは今まで通り仕事を続けろ」
一瞬で、慌ただしくなっていた議会が静まり返る。そこには百数十人もの人間が犇めきながら、する音と言えば各人の息遣いのみだった。
「どうやって、入って来たのかね」一人から、声が上がる。そうして、口は動くことを確認した数人が、米崎に口を開き始めた。
「どういうことか分かっているのか」
「きみが壊した器物は一体誰が払っていると思っているんだ」
「国民に申し訳ないと思わないのか」
そんな言葉が、四方から飛ぶ。さて、どうだろう。萩原海義には、どれも自分達が言えるような言葉ではないように感じられた。
「黙れ」
しかしその言葉で、それまで口を開いていた誰もが、一斉に口を閉ざした。
「俺はこんなところに無駄話しに来たのではないし、自分がしていることも、それによってどういった影響があるのかも理解している。だから、おまえらは動かずに黙っていろ」
米崎稲峰は、数々の魑魅魍魎に臆することなく、国会の階段を一段一段降りてくる。
そうして、萩原のところで足を止めた。それから自分の喉を摩り、口を開く。
「萩原海義だな」その声は、今までの特殊な音響とは異なっていた。
「…………」対する萩原は、それに答えることが出来ない。それを米崎は察する。
「そうか。黙れと言っておいてなんだったな。
話していいぞ、萩原海義」
萩原は、自分の口と舌が動くことを確認し、米崎の視線に自分の眼を合わせ、それに答える。
「わたしが、萩原だが」
「あなたの娘が今、俺の一派の中にいる。萩原円居。高校生、副業はモデルと芸能だったな。数日後に彼女の口を通して、俺の発言を広めることを計画している。そのための手も打った。そこで、今日は少し交渉に来た」
「交渉、かね」そんなものは、この青年に必要だとは、思えない。
「辞職してくれないか。萩原海義」
「…………」
「筋書きはこうだ。議員の娘がテロ集団に拉致。米崎稲峰が国会を訪れ、萩原海義を脅し、それで辞職。報道もしてもらう。くだらないスタンドプレーだが、つまらない効果はあるだろう」
「辞職か。それならなぜわたしなのだ。ただのいち議員にすぎない、このわたしが」
「あなたが重要なのではない。あなたの娘が、芸能的に有名になりつつある人間だからこそ、意味がある。国民というのは自分の身近に問題が起きなければ注目しないだろう。そこで、芸能の世界にいる少女がテログループに誘拐される。これはマスコミとしても世間としても注目せざるを得ない事柄だ。その理由付けのために、因果の逆転として、あなたが辞職した理由を作るために、萩原海義、あなたには今の立場を捨ててもらいたい」
萩原は、数秒米崎に視線を送った後、自分の手に目を落とす。
「なぜ、『声』を使わない」ほう、と米崎は萩原に対して賞賛の声を上げる。「きみは、どういう訳か人を洗脳するのが優れた人間のようだ。いや、指導者という者は、そういう者のことを言うのだろう。なら何故、わたしにそれを用いない」
「さて、無理矢理に従わせてもいいのだが、色々と不便な箇所もあってな。強力だが万能ではない。ただ辞職するのと、娘が捕らえられ、脅されていると思わせるように辞職するのとでは違うだろう。俺の声ではそこまで細かいことは設定できないんでな。そこは、あなた自身に演技をしてもらうしかない。いや、そうしてもらった方が、こちらとしても助かる」
「一応、わたしが要求に応じなかった場合を聞こうか」
ふん、と米崎はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「今からここにいるすべての議員に、他の議員を殺害するように命じよう」米崎稲峰は、平然と、淡々とした口調で、感情も何もないかのように、そう言った。「あなたやあなたの娘にだけ影響が出るのではない。ここにいるすべての人間が被害に遭う。無論あなたも。さて、萩原海義、懸命な判断を期待する。解答時間は今から二分だ。二択の質問、簡単なことだろう?」
萩原海義は答えない。
彼の内面はこの状況になっても、まだ正常だった。焦りもなければ、動揺もない。普通、そこに用意された道は一つだと思われる状況においても、彼はもう一つの道。果ては道なき道への出口を脳内で探っている。
萩原海義にしてみれば、ここにいるすべての議員が死亡したところで一向に構わなかった。
国の事情は回らなくなるだろうが、まあ、結局はそれだけだ。こちら側に成り代わろうとしている人間などいくらでもいる。国民からの不安や不信感などもう十分に蓄積されている。この男が本当に議員同士の殺害を結構したとしても、その後に変わるものなどない。
国も。
人も。
何も。
――知らないよ。
「分かった」萩原海義は、そこで数十分前に通話で話した人物のことを思い出した。「従おう」




