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ある麗らかな旧市街地の今2

 少女に指差す者が分からず、兄は妹を詰るように唇を尖らせた。


「誰もいないじゃないか~」


「あれ~?さっきまでいたのに、どこにいったのかな?」


 不思議そうに目を瞬き、少女は首を傾げた。

 真っ直ぐな瞳はそれでもさっきまで側にいた青年を探すように緑の丘を彷徨う。

 しかしその円らな瞳に映るのは、兄の見つめる景色と同じ。

 自分が指さした先にいるのは、バス旅行の観光客ばかりだ。

 観光客の中に埋もれてしまったのだろうか。少女は残念そうに眉を寄せた。



 その視線の先では、若いカップルの女性が少女に倣うように首を傾げていた。


「あらっ、見間違えかしら?さっき湖の側に誰か立っていたのだけど……」


 彼女は不思議そうに目を瞬き、何度も湖の側に視線を彷徨わせる。

 そんな彼女の肩を抱く男が意地悪げに目を細め、彼女の視線を自分に戻すように彼女の頬に手を添えた。

 頭の大きさに対して肩幅の大きな、長身の男である。

 彼は彼女の瞳が自分の方へ戻るとどこか現実味のない軽やかな口調で囁いた。


「クスッ。それは本当に男だったのですか?もしかしたら……女王の霊だったのかもしれませんよ?」


「も~貴方の意地悪っ!」


 怒っているのは言葉ばかり。

 彼女の口調も顔も一つも怒ってなどいない。

 それどころか彼女はそんな冗談を言う彼が愛しくて堪らないとばかりに満面の笑みで彼に抱きついた。

 男はおどけたように目を見開き、しかし、その腕はしっかりと彼女を抱きとめた。

 心地よい風に彼女の淡い髪が揺れる。

 彼の胸に添えられたふっくらした頬は薔薇色に上気していた。

 いつまでも視界に留めておきたい情景だと男は感嘆し、目を細める。

 

「クスクス。冗談ですよ。―――……ああ、でも全てそうだとは言いきれないな。これは悲願みたいなものだから……」


「どういう意味?」


「それは秘密です」


 不思議そうに首を傾げる愛しい人に慈しみの眼差しを投げかけながら、男は意味ありげに口の端を上げてみせる。

 シニカルなその笑みからは彼の意図が何一つ読み取れない。

 そんな彼に彼女は大げさに頬を膨らませてみせた。


「ちゃんと言ってよ~!怒るわよっ!」


 彼はいつだって大切なことは何も言おうとしない。

 そんな関係が彼女はずっと前から気に入らなかった。

 いつか彼が何も言わずに、ふらっといなくなるのではという漠然とした不安が時々胸を過ぎるのだ。

 だがそんな彼女の気持ちなどまるでお見通しとばかりに男は彼女の額にキスを捧げた。


「クスクスクスッ――――怒らないでください。私の大切なクレア。私は時々今の幸せが恐ろしくて仕方なくなるのです。まるで途方もない夢を見ている気にさせられる。でも君は今私の腕の中にいる。これは確かな真実。ならば、彼らともどこかでまた出会えるのかもしれない。そう――――だから私は願い、祈るのです。前世から途絶えることなく、まるで君に愛を乞い続けるように………」


「え?」


 クレアと呼ばれた女性は不思議そうに自分の最愛の人を仰ぎ見た。

 そんな彼女の不意を突くように、彼は唇にキスを落とす。

 幸せな人生を共に歩まんとする二人を祝福するかのように光の粒が透き通り、風に踊る。

 一度唇を離すと彼は真摯な瞳で自分を映し出す彼女の瞳を見つめた。


「つまり前世でも来世でも今生でも、何時までも君の焼いたマフィンが食べたいってことですよ」


「まぁっ!」


 彼女の顔が言いようもない幸福を噛みしめるように一際美しくほころんだ。

 彼はもう一度彼女にキスを重ねる。


「もう二度と離さない」


 それは途方もないほど長い時を経て成就した願いに捧げる誓いのようだった。

 そんな彼らを祝福せんと遠くから子どもたちの愛らしい歌声が響く。

 歌声を乗せて流れる風と降り注ぐ目映い日差し。

 途方もなく穏やかな景観はどこまでも果て無く続く。

 大空をたゆたう真っ白な雲が悠久のカナンの地に薄い影を落とす。

 雲の影と追いかけっこしながら、子どもたちは自分たちを笑顔で迎えてくれる両親の元へと向かってゼル離宮を後にする。


「早くしろよ!ハニエル!」


「まって!にいちゃっ!」


 疑うことを知らない金色の瞳は、真っ直ぐに自分の方を振り向く兄の背に向けられる。

 少女のキラキラと輝く、淡く透き通る赤の髪が晴れ返ったカナンの空に靡いた。

 その姿を慈しむように、優しい風に乗って玲朗な声が彼女の頬を撫でる。




「これは悪魔のフォークロア。悪魔と蔑まれ、歴史の中に真実を残せなかった者の戯言だ。忘れてもいい。―――――……でもこれだけは覚えておいて。君が今歩むこの地を同じように駆けていった者がいたことを。そして、その者の生きた証が今のこの国を作ったことを。それは紛れもない真実―――………だから、さあ――…君も思うように生きなさい。小さな可愛い、僕のハニー……」


 兄を追うことに一生懸命な少女にはその微かな声は届かない。

 一途に今という時を駆けて行く。

 その溌剌とした姿を遠く離れた場所から見つめるのは、光が滑る湖面と同じ青い瞳だった。

 風と光によって、鮮やかな色彩を放つ湖の側で遠ざかる少女の小さな背を愛おしげに見送り、青年は柔らかく目を細めた。

 その胸元では紅玉を頭に抱いた花十字の古びたネックレスが明けの明星のように輝く。



 澄んだ青の瞳が少女の背から離れ、透き通るカナンの空を見上げる。

 どこまでも広がる広大な空の果てにまで思いを馳せると、そっと瞼を閉じる。


 瞼の裏に映るのは素晴らしく心穏やかな情景――――雄大なゼル離宮とその側で笑い合っている二人の乙女の姿だった。

 赤い髪を揺らし駆ける溌剌とした乙女とその乙女を眩しそうに見つめる銀髪の乙女は巡る太陽と月のよう。

 それはあまりにも美しく、絵画にすることもできないほど鮮烈な光の棘となって、瞼に焼きつく。


 青年は恍惚にため息を落とし、ゆっくりと瞳を開けた。

 そこには変わらずに清々しいカナンの日常が広がっていた。

 小さな天使の背はもう緩やかな丘陵のどこかに隠れてしまっている。

 ざあっと風が初々しい緑を撫でて通り過ぎた。

 そのまま光を乗せて吹き抜ける雄大な風がカナンの全土を駆けていく。



 彼らが去った地には麗らかな日差しがいつものように降り注ぐ。

 緩やかに吹く風はこの地に何をもたらしたのだろうか。




 この地に血に濡れた女王はいない。

 あるのはただ―――――彼らが望んだ穏やかな日々だけ。



        ―完―


長く読んでいただきまして、ありがとうございました。

これにて、ハニエルの決死の逃亡劇は終幕でございます。

色々と小難しく書いておりますが、書きたかったのは、ハニーとサリエのイチャイチャ?した掛け合いだったりします。そこかいっ!って突っ込みを受けそう……ホント、すいません……。

手直ししてもグダグダ感がぬぐえませんでしたが、少しでも読んでくださった方が楽しんでいただけたら幸いです。

この後、後日談のようなものが書ければと思っておりますので、また機会があれば目を通していただければ嬉しいな☆……なんて、ブリっこにお願いしてみたりして。

本当に最後まで目を通してくださってありがとうございました。



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