000_技名のない決勝
槍の穂先が石畳を引っかき、白い火花を散らした。
哲史は片膝をついたまま、盾を地面へ押しつけた。王の鎧は右肩から砕け、額を伝った血が片目へ入る。
背後では、赤い光の壁が石造りの広場を削るように迫っていた。
逃げ場は、もうない。
それでも哲史の視線は動いていた。
最後の敵までの距離。迫る壁の速さ。奈緒の呼吸。
残された時間は、一度踏み込むぶんしかない。
『国内決勝、最終収縮! 残るは――』
空に浮かぶスコア表示が明滅する。
観客の絶叫が実況を呑み込み、遅れて巨大な一つの声となって降ってきた。
『誰が想像したでしょう! 打ち切り作品が、国内決勝の最後に立っている! しかも原作者本人が選手として戦っています!』
隣で、龍姫の姿をした奈緒が浅く息をついた。
衣装は裂け、頬には血が滲んでいる。それでも、最後の敵を見据える横顔だけは、机に向かって原稿を描いているときと変わらなかった。
土の残る区画は、すべて敵に押さえられている。味方を示す光点も、消えたままだ。
哲史が重心を戻すと、靴底の下で乾いた石がかすかに鳴った。
最後の敵は勝ちを急がない。こちらが踏み込むのを待っている。
その構えに、隙はなかった。
「合わせろ」
奈緒が一瞬だけ哲史を見た。
その視線が、すぐに彼の足元へ落ちる。
左脚の痛みは消えない。乱れた呼吸も戻らない。ただ、踏み出すために必要な角度から、わずかなずれだけが抜け落ちた。
足元では、ひとつずつ、目に見えない工程が噛み合っていく。
歓声が遠のいた。
聞こえるのは自分の鼓動と、隣に立つ奈緒の呼吸だけだった。
『まさか、あの技を――』
実況が息を呑む。
本来なら、いまの一言だけで足りた。
奈緒は理解している。哲史も、それで何度も合わせてきた。
技の名を叫ぶ必要など、どこにもない。
長すぎる、と笑った名前だった。
大仰すぎる、と一度も口にしなかった名前だった。
奈緒が、もう一度だけ哲史を見る。
その目が、わずかに見開かれた。
哲史が合図の先を続けようとしていると、気づいたのだろう。
奈緒は何も言わなかった。
哲史は息を吸った。
ずっと口にしなかった、その名を叫ぶために。




