第二章「亡霊」
爆炎が夜空を赤く染めた。
凪は空中で身体を捻り、吹き飛ぶガラス片を避けながら着地する。
着地と同時にナイフを抜いた。
煙。火花。警報。
そして、瓦礫の向こう側から、ゆっくりと現れる影。
黒いレインコート。無機質な白い手袋。細長いライフルケース。
男はまるで散歩帰りのような足取りだった。
「久しぶりだな、凪」
低い声。
凪の瞳が細くなる。
「死んだはずだ」
男は笑う。
「お前が殺したつもりだっただけだ」
その瞬間。
凪のナイフが閃いた。
常人なら視認すらできない速度。一直線に喉を裂く軌道。
だが。
キィン――!!
金属音。
男は片手で短刀を抜き、完全に受け止めていた。
火花が散る。
二人の顔が至近距離で向かい合う。
「腕は鈍ってないな」
「お前こそ」
凪の声には、微かな怒気が混じっていた。
男の名は、神代蓮。
かつて凪と同じ部隊に所属していた。
存在しないはずの特殊工作班。
戸籍も、記録も、勲章もない。
国家が“表では処理できない仕事”を行うためだけに育てた怪物たち。
そして、三年前。
凪はその部隊を壊滅させた。
自分の手で。
「なぜ生きてる」
神代は静かに答えた。
「お前と同じだ」
直後。
神代の膝蹴りが凪の腹に突き刺さる。
凪が吹き飛ぶ。
だが空中で体勢を立て直し、壁を蹴って再突撃。
ナイフ。短刀。拳。肘。
超高速の攻防。
コンクリートが割れ、鉄柵が歪む。
その頃――
屋上。
白石の肩から流れる血を、玲司が強く押さえていた。
「止血しろ!」
黒崎が無線を飛ばす。
「周辺封鎖だ!警察より先に狙撃地点を抑えろ!」
だが、返ってきた声は異常だった。
『無理です!もう警察が来てる!』
「早すぎる……!」
玲司の表情が変わる。
警察が到着するには早すぎる。
つまり。
最初から待機していた。
「ハメられたな」
黒崎が舌打ちする。
その時。
屋上の扉が開いた。
黒い防弾装備。
無駄のない動き。
警視庁SAT。
十数名。
先頭の男が冷たい声で言う。
「武器を捨てろ」
玲司は目を細めた。
男の胸のネームプレート。
《橘》
玲司は小さく笑う。
「警察がこんなに仕事早いとは知らなかった」
橘は表情を変えない。
「お前たちを監視していた」
「へえ」
「玲司。お前は危険すぎる」
黒崎が拳銃を向ける。
空気が張り詰めた。
だがその瞬間。
玲司が笑った。
「――なら、試してみろ」
次の瞬間。
屋上の照明が全て消えた。
闇。
同時に、閃光弾。
轟音。
SATの隊列が崩れる。
黒崎が叫ぶ。
「走れ!!」
玲司は白石を抱え、非常階段へ飛び込む。
銃声が乱射された。
火花。
悲鳴。
混乱。
そして暗闇の中、玲司だけが静かに笑っていた。
「面白くなってきた」
一方、別ビル。
凪と神代の戦いは、すでに人間の領域を超えていた。
神代の短刀が頬を掠める。
血。
凪は無表情のまま踏み込む。
神代が笑う。
「変わったな」
「……」
「昔のお前はもっと壊れてた」
凪の動きが一瞬止まる。
その隙。
神代の拳が顔面に炸裂。
凪が壁に叩きつけられる。
コンクリートに亀裂。
神代は近づきながら言った。
「玲司に何を見た?」
「……」
「希望か?」
凪は血を拭う。
そして初めて、感情を露わにした。
「違う」
低い声。
「まだ終わってないだけだ」
次の瞬間。
凪が消えた。
神代の瞳がわずかに開く。
遅い。
そう理解した時には、凪の刃が神代の脇腹を貫いていた。
血飛沫。
だが神代は笑う。
「それでいい」
そして。
神代は凪の耳元で囁いた。
「“零号”が動き出した」
凪の目が揺れる。
その一瞬。
神代は煙幕弾を叩きつけた。
白煙。
視界ゼロ。
凪が斬り払った時には、もう姿は消えていた。
静寂。
雨音だけが残る。
凪は立ち尽くす。
「……零号」
その名を聞いた瞬間。
凪の脳裏に、血まみれの研究施設が蘇った。
子供たちの悲鳴。
白衣の男たち。
赤い番号。
そして――
“日本を作り直せ”
という狂った声。
凪はゆっくり目を閉じる。
東京の夜は、さらに深く、黒く沈んでいった――。




