選ばれざる者たち
天井の岩陰から、眼下の戦いを見下ろしている、小さな影があった。
その生き物は、一見すると、ただのトカゲのようだった。
だが、全長一メートルにも満たないその背中には、申し訳程度の——小さな翼が、生えていた。
彼は、グレートロックマウンテンに住まう「竜」であった。
子竜ではない。生まれ落ちて数百年、既に成熟した成竜である。
突然変異か、あるいは呪いか。生まれつきの小さな体と、飛べない翼ゆえに、彼は同族から、ずっと侮蔑されてきた。
いつか竜騎士と契約して、この山を出たい。
それが、彼の唯一の願いだった。だが、人間たちは誰一人として、「乗れない」彼を、竜とは認めなかった。乗れない竜に、価値はない。そう言わんばかりに、誰もが彼を素通りしていった。
そんな彼の前に——その男は、現れた。
血まみれになりながら、メルナを庇うリーザス。
カモは、その姿を、じっと見下ろしていた。
数百頭の竜から、選ばれなかった中年男。
誰からも声がかからなかった、「残り物」。
カモには、わかった。同じ匂いがする、と。
乗れない竜。選ばれない男。どちらも、世界から「お前は要らない」と告げられ続けてきた存在だ。だからこそ、誰よりも惨めで、誰よりも、外の世界に焦がれている。
(……本来、あんな中年とは契約したくねえ)
カモは、ニヤリと笑った。
(だが、この山を出られるなら、贅沢は言ってられねえ!)
乗れない竜と、選ばれない男。
吐き捨てられた者同士。それでも、互いを必要とすることはできる。
数百年待った。たった一人でいい。自分を「相棒」と呼んでくれる人間が。あの満身創痍の男が、その最後の希望かもしれないのだ。
カモが、天井から身を躍らせた。
◇
視点は、リーザス。
霞む視界。背中を焼くような、激痛。
(もう……ダメか……?)
意識が、急速に遠のいていく。
ベルモットとバークレーが、トドメを刺しに歩み寄ってくるのが、ぼんやりと見えた。
その時、頭上から「影」が落ちてくるのが見えた。
(岩……?)
ドゴォォォォォン!!
凄まじい衝撃音とともに、落下物がバークレーの脳天を直撃した。
「ぶぎゅっ!?」
バークレーが、白目を剥いて卒倒する。
「なっ、なんだ!?」
ベルモットが、ぎょっとして身構えた。
もうもうと立ちのぼる煙の中から、何かが、ころころと転がり出てくる。
◇
「いってぇぇ……タイミング間違えた!」
現れたのは、小さなトカゲのような竜だった。
(トカゲ……? こいつが、落ちてきたのか?)
薄れゆく意識の中で、リーザスは、その小さな背中を目撃する。
「チッ、なんだこのトカゲは。……邪魔だ!」
ベルモットが、ゴミを払うように蛇腹剣を振るった。
「ひぃぃぃ!」
カモが、頭を抱える。
ガギィィィン!!
激しい金属音とともに、火花が散った。
カモは、恐る恐る目を開ける。
無傷だった。剣のような鱗が、ベルモットの斬撃を、勝手に弾いていたのだ。
(あ、助かった……)
そして、カモは、ベルモットが驚いている隙を見逃さなかった。
二足歩行で、立ち上がる。
「おいそこの女! その瀕死のおっさん抱えて、ついてこい!」
「え!?」
メルナが、目を見開く。
二足歩行で、エリマキトカゲのように走りながら、カモが振り返った。
「さっさとしろ! 死にたいのかバカ女!」
「は……はい」
涙目のメルナが、とっさにリーザスを抱える。
「その右奥の亀裂に飛び込むぞ!」
カモが指し示す先に、地面の亀裂が見えた。
底は、見えない。
「亀裂!?」
「行くぞ!」
カモは、躊躇なく飛び込んだ。
「!」
「逃がすか!」
気を取り直したベルモットが、再び剣を突き出す。
メルナは、奈落のような亀裂を見て、一瞬、迷った。
◇
剣が、飛んでくる。
「死ね!」
メルナは、リーザスを抱えたまま、頭から亀裂へと滑り込んだ。
ズザザザザッ!
ガギンッ!
ベルモットの剣先が、亀裂の入り口の岩を、ガリッと削る。
暗闇の滑り台を、猛スピードで滑り落ちていく三人。
「がはっ……ぐぅ……」
衝撃で、リーザスの傷口から、血が飛び散る。
(や、やべえ……)
朦朧とするリーザス。
(意識が……)
視界が、暗転していく。
◇
亀裂の入り口。
ベルモットが、穴の中を覗き込む。
底は見えず、冷たい風が吹き上げてくるだけだった。
「……チッ。逃げられたか」
倒れているバークレーを、ちらりと見る。
「おい、起きろハゲ。置いてくぞ」
バークレーが、頭を振りながら起き上がる。
その隣で、ベルモットは冷酷に呟いた。
「まあいい。内定者を仕留めたんだ。少なくとも、ダミアンは喜ぶだろう」
仕留めた、と彼は言った。
あの傷だ。生きてはいまい。そう確信していた。
「……まずはとにかく、強い竜と契約するんだ」
◇
亀裂の、底。
ピチョン……。
水滴が、洞窟の水溜まりに落ちる音が、静寂に響く。
倒れている、メルナとリーザス。
二人とも、ぐったりと動かない。
それを、少し離れた岩の上から見下ろしているカモがいた。
その目が、暗闇で、怪しく光っていた。
助けたのは、善意からではない。
この男が死ねば、また数百年、独りに戻るだけ。それが、嫌だっただけだ。
(おい、おっさん。頼むから、くたばるなよ)
カモは、ぴくりとも動かないリーザスの背中を見つめながら、心の中で呟いた。
(お前は……俺の、最後のチャンスなんだからな)




