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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第二章 軍事大学校編
34/39

おっさんの魂

――あの朝の、赤い岩山の風。


「……竜と人間の“契約”……?」


 グレート・ロック・マウンテンの岩棚で、リーザスは炎竜エルニードと向き合っていた。隣に立つアブラナの肩は、まだ興奮の余熱で小刻みに上下している。


『千年以上生きる竜族にとって、恐ろしいのは肉体の老化ではない。魂の老化だ』


 念話の声音は低く、深かった。


『多くの竜は五百歳を超えたあたりで生の意味を見失い、最後は植物や岩石に近い静止に堕ちる。魂の輝きもまた、失われる……』


 リーザスは無意識に息を呑んだ。閉じたまぶたの奥で、蔦に覆われ眠る古竜の幻がよぎる。


『だからこそ、人間との契約がある。我らの魂を長く持たせる術だ』


 エルニードの言葉に、リーザスとアブラナは目を見交わした。


『契約とは、竜と人の魂の一部を交換すること。人の若い魂を一滴受けると、新しい衝動や視野が芽生える。忘れていた“生”の味が戻るのだ』


「なるほど……オラの魂が、エルニードを若返らせる……」


 アブラナが感嘆とともに呟く。リーザスは小さく、しかし必死に割って入った。


「……けど、それなら俺にも可能性が……俺だって、まだ三十五。老人ってほどではない」


 炎竜の金の眼が、ゆっくりとリーザスに向いた。


『契約には条件がある。ひとつは魂の“成熟”』


「魂の成熟……?」


『人の魂は十五を過ぎて、ようやく輪郭を持つ。未熟すぎれば竜にとって毒だ。逆に――』


 エルニードはアブラナに視線を移す。


『アブラナ・ルーエン。お前は丁度いい』


「オラ十九歳だ」


『もうひとつ、重要なのは“これからの伸びしろ”』


 リーザスの胸がきゅっと鳴る。


『貴様は既に三十五。魂は硬化し、性格も価値観も、ほぼ固まっている。竜騎士として共にいられる時間も短い。騎士団の相場では三十代後半で引退だ』


 ズガン、と胸の中心に見えない杭が打たれた。


『あえて言おう。おっさんの魂では、我らは輝けない』


 赤い風が、さっと頬を撫でた。


 回想が薄れ、今に音が戻る。


「本日は格技の時間とする!」


 訓練場にダミアンの怒声が響いた。リーザスはまだ胸の奥に、さっきの言葉の棘を残している。砂を踏む音、鎧のこすれる音が重なる。


「騎士たるもの剣とともにあるべき――それでも剣から引き剥がされた時、ものを言うのは己の肉体である!」


 唾を飛ばしながら壇上を往復するダミアン。脇にいたクレオが、顔をしかめて小さく漏らした。


「マジかよ。朝から散々走らされて、ここから格技って……」


 ぴたり、と空気が止まる。


「クレオ。貴様、何か言ったか?」


(しまった!)


 ダミアンがカツカツと近づき、木剣の石突で地を鳴らした。


「戦場では疲労の極みでの戦闘が日常だ。貴様は戦場を舐めてるのかッ!」


「いいえ、舐めてません教官殿!」


「いや、舐めている! 舐めすぎている!」


 ダミアンはくるりと身を翻し、今度はリーザスを射抜いた。


「おい、そこのおっさん!」


「……私のことですか?」


「そうだ。他に誰がいる、おっさん!」


 ざわ、と周囲が揺れる。ダミアンの口角が吊り上がる。


「命ずる。この目障りな顎を、格技で叩き割れ!」


 クレオが肩をすくめた。


「はぁ? おっさん、お手柔らかに頼むぜ」


「勝てたら、名前で呼んでやるぞ。おっさん」


「……分かりました」


 リーザスは黙って上着を脱ぎ、中央へ歩いた。(おっさん、おっさん……どうして、こんなに言われなきゃならない)


 脳裏に浮かぶ声が重なる。


「人生を舐めてるのかッ!」


「なんでおっさんが」


『おっさんの魂では輝けない』


 クレオも上着を脱ぎ、腕を回す。


「おい、おっさん。あんまりムキになんなよ」


「俺の名前はリーザス・モートンだ」


 リーザスは真正面からクレオを見据え、低く言い放った。


「次、おっさん呼びしたら――」


 奥歯が噛み鳴った。


「殺すぞ?」



「殺す? だと? なにマジになってんだよ、おっさ――」


 最後まで言わせなかった。リーザスの拳が、唸りを上げて飛んだ。


 ガッ!


 クレオは両腕で受け、流したが、重い。二、三歩後退し、足で砂を噛む。


「……やるじゃねえか。だが俺も第八騎士団の内定者だ。簡単には――」


 言葉の途中で、リーザスの手がきらりと光る。掌底の構え。


 ズドン。


 顎に響く低い破裂音。クレオの身体が弧を描いて吹っ飛び、砂を削る。


 ざわ――。


「おい今……剣もなしに闘気を飛ばしてないか?」


「すげえ……リーザスさん」


 周囲がざわつく中、リーザスは一歩、また一歩と詰める。掌から迸る細い衝撃が、連続して走った。


「だだだだだだだ!」


「ぐああああああ!」


 クレオは必死にガードを固める。だが押される。腕が痺れ、肩が焼ける。


(よく考えりゃ、竜と契約できなくても構わない)


 内なる声が、拳と同じリズムで響いた。


(天馬に乗って支援する聖騎士だっている。地上で軍勢を率いる騎士だっている。騎士のまま団長にまで上り詰めた例だって――)


 シュ、と滑るように間合いを殺し、腹へ一撃。


 ドス。


 クレオの体がくの字に折れ、吐息が漏れた。


(アブラナほどじゃないが、俺だって闘気はトップクラスだ)


(だったら――おっさんならではの熟練で、首席で卒業してやる)


 リーザスは顎をくいっとしゃくって挑発した。


「立てよ、クレオ。殺されたくないならな?」


 クレオの口元が、悔しさと笑いの中間で歪む。

 周囲の見習いたちは息を呑み、ダミアンは腕を組んだまま片眉を上げた。


(おっさんの魂がどうとか――好きに言え。

 俺は俺のやり方で、まだ“伸びる”。三十五だろうが、魂は、まだ動く)


 砂漠の風が、熱を帯びて吹いた。

 殴り合いは、まだ始まったばかりだ。


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