夜明けの試練
洞窟の奥。
リーザスは息を止め、闇の中の巨体を凝視していた。
飛竜だ。
黒い鱗が月光を受けて鈍く光り、胸のあたりが規則正しく上下している。
まだ眠っている――だが、外の空はすでに白み始めていた。
(……やばい。日が昇れば、こいつらは目を覚ます)
そっと体をずらし、岩の縁を探って外へ這い出す。
冷えた夜気が肌に刺さる。
東の地平線には、かすかに朝焼けの赤が混ざり始めていた。
息を整える暇もなく、リーザスは岩肌を掴んだ。
「休んでいる暇はない……登るんだ!」
指先に力をこめ、足場を探る。
腕が悲鳴を上げる。
だが、恐怖はもうなかった。
不思議なほど、心は澄んでいた。
日が昇れば自分の命はない。
だからこそ、今は動けた。
白み始めた地平線が視界に入る。
(逆に言えば――太陽が完全に昇るまでは、大丈夫だ)
無意識にそんな計算をしていた。
岩肌を蹴り、両腕で身体を引き上げる。
◇
山頂。
ザクッ、と音を立てて木剣を岩に突き立てた。
息を吐く。
まだ夜の冷気が残っている。
すでに何人かの騎士が到達していた。
山頂には木剣が何本も並び、夜明け前の光の中で影を落としている。
「ふー、なんとか間に合ったな」
クレオが肩を回しながら笑った。
「下山ルートはあっちの看板のほうが楽そうですね」
ルーカが指差す。
「さっさと降りようぜ。腹が減った」
クレオは振り返り、苦笑する。
「しかし、おっさん……間に合ったのかね?」
「さぁな。日が昇ったら飛竜が起きるぞ」
◇
再び場面は山腹。
リーザスは岩壁を掴みながら、ふと上を見上げた。
少し上の岩棚で、ぽっちゃりした少女が尻もちをついて動けずにいた。
「おい、どうした! 早く行かないと――」
駆け寄ると、少女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「も、もう動けねっす……オレ、太ってて……」
リーザスはしばし無言で見つめ、ため息をついた。
そして腰を落とす。
「……ほら、乗れ。置いてくわけにはいかねえ」
◇
数分後。
リーザスは少女を背におぶい、汗を流しながら登っていた。
「すみません……重いでしょう……」
「泣くな。俺はリーザス。君は?」
「オ、オラはアブラナ・ルーエルっていいます」
「ルーエル……? 第一騎士団内定者か?」
「はい、一応。アルベルトさんに……」
「アルベルト!? 勇者アルベルトか!?」
先日の騎士試験にも見学に来ていた、第一騎士団の騎士団長。
この国、最強の騎士の称号【勇者】を与えられている唯一の騎士。
そのアルベルトが率いる第一騎士団の内定を貰っているということは、
彼女が今回の内定者で最も評価されていると言うことを意味する。
が、今の彼女はそれとは正反対だ。
「無理すんなよ。頂上はもうすぐだ」
やがて、最後の岩を越えた。
視界が開ける。
山頂だ。
「着いたぞ!」
アブラナが目を丸くする。
他の生徒たちの木剣があちこちに刺さっている。
まるで墓標のように・・・
リーザスは木剣を抜き、地面に突き立てた。
ほとんど同時に、東の空が白く燃え上がる。
(……まずい、夜明けだ)
空のどこかで、風を切る低音が響いた。
「走れ! アブラナ! 全力で山を下るぞ!」
二人は山を駆け降りた。
坂道を滑るように走る。
砂が飛び、靴の裏が焼ける。
「アブラナ、ついてきてるか!」
返事がない。
振り向けば、彼女は遠くで転び、必死に立ち上がろうとしていた。
「ってぇぇぇ!? 何やってんだ!」
「ずびばぜん、オラ走るの苦手で……」
リーザスは戻り、彼女を肩に抱えた。
その背後で、砂漠の向こうから陽が昇る。
黄金の光が山を照らし――
空気が変わった。
「やばい、日が上っちまった……!」
風が鳴る。
まだ静かなはずの空が、低く唸り始めた。
(飛竜が……起きた!)
リーザスはアブラナを背負い直す。
「しっかり捕まれ!」
走る。
砂が跳ね、息が荒い。
その時、背後から「バサッ、バサッ」と重い羽音が響いた。
振り返ると、巨大な影が太陽を覆う。
黒い飛竜。
金色の瞳がぎらぎらと輝き、翼が光をはじく。
まるで、さっき洞窟で眠っていたあの竜が目を覚ましたかのようだった。
ホバリングしながら、竜が首を下げる。
「ケエエエエエエエエエッ!」
雄叫びが砂漠を揺らし、足元の石が震える。
リーザスは振り返らずに叫んだ。
「走れぇぇぇ!」
砂煙を上げて駆ける。
背後で羽ばたきの爆風が巻き起こり、地面の砂が爆発するように舞った。
飛竜の影が迫る。
もう、音で距離がわかる。
(やばい! 死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ――!)
リーザスは歯を食いしばり、ただひたすら走り続けた。
(ビアンカ……!)
飛竜の爪が砂を掻き、リーザスとアブラナのすぐ後ろに食い込んだ。
地面が弾け、土煙が爆ぜる。
熱風が二人を呑み込んだ。
リーザスは叫び声も上げず、ただ少女を庇うように背中を丸めた。
太陽が完全に昇りきる。
そして――砂漠の空に、竜の影が轟いた。
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つづく。




