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ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
19/40

三十五歳、ビアンカの手紙

「この度、南部戦線は大きく押しやられてな……」

上官の声は、妙に軽かった。

「ビアンカ君が戦っていた地域は、ゾラの勢力下に入ってしまった」


 ペラペラと書類をめくりながら、淡々と告げる上官の前で、俺はただ――立ち尽くしていた。

 耳に入る言葉の意味が、頭に届かない。


 ドクン。

(え……俺の、せい?)


 ドクドクドクドクドクドク。

(俺が……ビアンカに斬岩剣を教えたから……?

 だから彼女は前線に移されて、死んだ?)


 胸が締めつけられる。

 息が詰まり、心臓を押さえる。


「あああああああああああああああああ!」


 咆哮にも似た声が、狭い執務室に響いた。

 上官が目を丸くする。


「お、おいリーザス……!」


 俺は深く息を吸い、かろうじて身体を支えた。

 息が焼けるように熱い。


「……ふぅ」


 オホン、と上官が咳払いをした。

「彼女は身寄りがなくてな。気の毒な身の上だった」


 俺は何も言えず、ただ目の前の机を見つめていた。

 上官が手元の包みを差し出す。


「すると、彼女の荷物の中にお前への手紙があってな。……読むと、二人の関係が分かる」

「……関係?」


「そうだ。お前が今、何に傷つき、何を後悔しているのかも、な」


 上官は言葉を区切り、机の隅に置かれた小包を俺の前に滑らせた。

 封蝋のついた手紙と、小さな包み。


「受け取れ、リーザス」


 喉が動かない。

 指先が震える。


「ビアンカ君は、立派に戦い、そして死んだ。騎士としてこの上ない名誉だ」


 上官はそれだけ言い残すと、扉へ向かった。

「どうか……弔ってやってくれ」


 足音が遠ざかる。

 残されたのは、俺と、机の上の荷物だけだった。


     ◇


 訓練場をふらふらと歩く。

 地面の石を蹴るたびに、足音が乾いて響いた。


「あ、リーザスさん!」

 ガストンの声。

「急にどこ行っちまうんですか。……その荷物は?」

 ミルドもこちらを見ていた。


 俺は何も言わずに通り過ぎた。

 声を出す力がなかった。

 背中に、二人の小さなざわめきだけが残る。


 気づけば、家の前まで戻っていた。

「ワンワンワンワン!」

 ジョンが駆け寄ってくる。

 俺の周りを嬉しそうにぐるぐる回り、尻尾をちぎれそうに振っている。


「……ただいま」


 ジョンの瞳が、俺の表情を覗き込む。

 その無邪気な目に、映る俺の顔は――きっと酷かった。


 ジョンは何も言わず、静かに俺の後をついて家に入った。


 ソファに腰を落とす。

 肩が沈み、呼吸が重くなる。


「……」


 ジョンが、そっと膝に顔を寄せた。

 俺はその頭を撫で、干し肉をひとかけ渡した。

 ジョンは床で静かにそれを食べる。


 ローテーブルの上には、あの手紙と荷物。

 重く、そこにあるだけで空気が違う。


     ◇


 震える手で包みを開けた。

 中から出てきたのは、たたまれた衣服。

 見覚えのある布地。


 俺はそれを手に取り、そっと顔を寄せた。

 スーッと息を吸い込む。


(……この匂い)


 一晩だけ肌を重ねた夜が、瞬時に蘇る。

 彼女の髪の香り、肩に触れた体温、笑い声。


(間違いない。ビアンカの匂いだ)


 胸の奥がきゅっと痛んだ。


 封を切り、手紙を広げる。

 震える指で、一文字ずつ追う。


---


**親愛なるリーザスさんへ**

戦場から手紙を書くなんて、なんだか不思議な気持ちです。


最初は、ここに来るのが怖かったけれど、リーザスさんが教えてくれた“斬岩剣”のおかげで、私は毎日を生き延びることができています。

ありがとう。リーザスさんは本当にすごい人ですね。

やっぱり、私の見る目に間違いはありませんでした。


---


 手紙を読む目の前で、戦場の光景が浮かんだ。

 煙と炎の中、剣を振るうビアンカ。

 傷だらけの顔で、それでも笑っている。


---


前線の状況は、正直とても厳しいです。

毎日が緊張の連続で、いつ敵が襲ってくるかわかりません。


でも、そんな時はいつもリーザスさんのことを思い出します。

あの夜、リーザスさんが私に約束してくれたこと――

“絶対一緒に正騎士になろう”って言ってくれましたよね。

その言葉だけで、私は強くなれる気がします。


---


 視界が滲んだ。

 手紙の文字が、涙でにじむ。


---


そうそう、実は私、特別に“正騎士”に昇格しました!

まさか私が騎士になれるなんて夢みたいです。

リーザスさんより先に騎士になっちゃってごめんなさい。


でも、きっと今年はリーザスさんも騎士になって、私のことを追い越しちゃうんでしょうね。

だってリーザスさんは、私の憧れで――

世界で一番かっこいい騎士なんですから。


---


 笑っているのに、涙が止まらなかった。

 ジョンが心配そうに鼻を鳴らす。


---


リーザスさん、私、またあなたに会える日を楽しみにしています。

だから、絶対に怪我とかしないでくださいね。

試験の前に腰を痛めるのも絶対ダメですよ!


私が帰ったら、二人でたくさんお祝いしましょう。

美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで――それから……


いっぱいキスしてくださいね。


---


 最後の行を見た瞬間、顔を覆った。


「……っ、う……うああああああああああああ!」


 声が出た。涙が頬を伝って、床に落ちた。


---


**リーザスさん、愛しています。

ずっと、ずっと愛しています。**


あなたの ビアンカより


---


 手紙を胸に抱く。

 ジョンがそっと膝に頭を乗せてきた。

 嗚咽が静かな部屋に響く。


 涙で濡れた封筒が、胸の上でゆっくり温もりを失っていった。


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