三十五歳、羞恥
夕陽が城壁の角を赤く染めていた。
門の影が、石畳に長く伸びる。俺――リーザス・モートンは槍を立て、いつも通りの位置に立っていた。
「お勤めご苦労様です!」
交代の兵が駆け寄ってきて、ぴしりと敬礼する。
「お勤めご苦労様です」
こちらも敬礼で返す。もう王宮の門番をやって10年以上経つ。形式は身体に染みついている。
更衣室で鎧紐を解き、ため息をふーーーっと吐いた。
(今日も、なんとか一日。――三十五歳の一日)
「リーザスさーん!」
振り向くと、見慣れた三人が入り口に立っていた。
黒髪を刈り上げたガストン、鼻筋の通ったミルド、そして栗色の髪を後ろで束ねたビアンカ。
「どうすっかー、今日も一杯?」
「なんだよ。今日もお前ら、たかる気かよ?」
「いや、給料日前でちと苦しくて……」
ガストンが後頭部をかく。
「い、いや、割り勘でいいっすよ。雑兵同士、そんなに給金変わんねーから」
ミルドが慌てて付け足す。
「私も自分で出すよ。……行こうよ、リーザスさん」
ビアンカが俺の腕に軽く触れた。きゅっと、そっと。
指先ひとつで、心臓が1拍だけ跳ねる。馬鹿だな、と自分で笑う。
「……い、いや。飲み代くらい出すのが年上の役目だ。出させろ」
「決まりぃぃぃ!」
三人が同時に声をあげ、更衣室がちいさな広間みたいに明るくなる。
(長年雑兵を続けてりゃ、俺みたいなのにも飲み仲間くらいできる)
ガストンもミルドもビアンカも、入団二、三年の騎士見習いだ。
最近は、彼らと連れ立って、マルコの店に顔を出すのが習慣になっていた。
◇
夜の通りは香ばしい匂いで満ちている。
扉を開けると、カウンターの向こうでマルコが顔を上げた。
「やあ、また来たのかお前ら」
「こんばんは、大将!」と三人が揃って声をかける。
マルコの視線が俺に止まる。
「……リーザス?」
「マルコ、ちょっとこっち」
店の隅で小声のやり取り。
「はー、またツケで飲ませろってか?」
「すまん。週末、店を手伝うから。樽運びでも皿洗いでもする」
マルコが肩をすくめ、「わかったよ」と苦笑した。
席に戻れば、もうジョッキが四つ並んでいる。
ガストンが泡を拭き、口火を切った。
「しかし、南部戦線は酷いことになってるらしいっすね」
「ゾラの奴ら、戦線の湿原を毒の沼地に変えやがったって。あれじゃ、取り戻しても作物が育たねえ」
ミルドが眉をひそめる。
「ゾラの人間は、魔獣の臓器を移植されてるらしい。毒の沼でも生きられるんだろ」
自然と声が低くなる。
「魔物と融合した力で、うちの騎士を片っ端から殺してる。……いや、殺すだけじゃない。捕まった奴らは――えげつねえ実験の素材にされてるらしい」
言った瞬間、店の温度が半度下がった気がした。
沈黙を破ったのはミルドだ。
「なーんか、そう考えると、王都でのんびりしてられる俺ら雑兵はラッキーですね」
耳の奥で何かがぷつっと切れた。
「何がラッキーなもんか!」
思わず、グラスをダンと置く。
「俺は戦うために騎士団に入ったんだ。――一刻も早く戦場で、敵の首を取りたいに決まってるだろ」
店がしんとなる。
カウンターでマルコがちらとこちらを見た。客の視線が、遠巻きに集まる。
「いやっ、リーザスさん飲み過ぎっすよ!」
「そ、そうっす。どしたんすか……」
ガストンとミルドが慌てて取りなす。
我に返って、額を押さえた。
「……すまん」
立ち上がる。
「先に帰る。ゆっくり楽しんどけ」
「えー!」と二人の抗議が飛ぶ。
ふと視線を感じた。ビアンカが、何か言いかけて、唇を噛んだ。
扉を押し、夜の空気へ出た。
◇
月は薄く、街灯は点々と途切れる。
俺はわざと肩で風を切るみたいに歩いた。誰に見せるでもない、カッコだけの歩き方で。
(だっさあああああああ)
自分の胸の声が一番鋭い。
(何、三十五のおっさんが、二十そこそこの有望な見習いに、騎士団を語ってんだよ)
(俺なんか、十七回も試験に落ちてるくせに)
思わずしゃがみ込み、顔を両手で覆った。
(ださださださださ……だっさーー)
息が、笑いとも嗚咽ともつかない音になる。
――それでも。
勢いよく立ち上がる。
拳を握り、掌に爪を立てる。
(今年こそは絶対に受かる。いや仮に受からなくても、戦場に出る)
脳裏に、南部で倒れる騎士の姿が走る。
(ゾラの魔道兵士は強い。うちの正騎士は戦死が続出で、余裕がねえ。つまり人手が足りねえ)
(俺は試験には落ちたが、上官たちには実力が知れている)
飛竜剣の線が、暗い空に一本走る映像。見ていた上官の横顔。
(試験でちょーっと緊張して落ちてるだけ。実戦になりゃ、上級騎士にだって引けは取らねえ――上の連中は、それを知ってる)
星を見上げる。
黒い天幕に穴が開いて、そこから冷たい光が降ってくるみたいだった。
(今年こそ、戦場に徴用されるはずだ。そこで戦果を上げる。――そうすりゃ)
一瞬サーシャの顔を浮かべかけたが、振り切った。
最悪だ。もうあの子はマルコの女房で子持ちなんだ。
あれから1年、ようやく失恋の傷も最近は癒えてきたと思ったのに。
家へ続くわき道に足を向けたとき、背中へ声が飛んだ。
「リーザスさん!」
振り返る。
影の中から、ビアンカが駆けてきた。夜目にも分かるくらい、頬が火照っている。
「ど、どうした。こんなところで」
彼女は息を整え、ぱっと笑った。
とてつもなく、可愛い笑顔だった。
「だって――リーザスさん、帰っちゃうんだもん!」
胸の中に、灯りがともる音がした。
ドッキリじゃないです。




