1-25 煙霧の廃園と聖母樹のレコンキスタ
《岩の国》で《黎光石》と呼ばれる資源によるエネルギー革命が起こっておよそ半世紀。
工場が吐き出す煙が国土を覆い、黒い雨を降らした。
人々は《煙霧病》と呼ばれる公害病に冒され、やがて煙と雨から逃れるように、地下へと生活の拠点を移す事になる。煙だけは地上へと吐き出し続けて。
生まれながらに《煙霧病》を患う妹を持つ少年ルイは、その治療費を稼ぐ為、相棒のソフィと共に、地上に残された資産を地下に持ち帰り闇市に卸す《探索者》として活動していた。
ある日、地上に残されたルイは荒れ果てた植物園で、先住民族《花の民》の末裔たる少女アリアと出会い――
そして、少年は知る。失われて久しい太陽の色を。この国を覆う本当の色を。
その日、僕は怪物を見た。
ブロッケンの怪物――煙霧に投影された僕自身の影と、それを取り囲む虹色の円環を。
世界から失われた色を、確かに見た。
「これが太陽の色」アリアは言った。「あなたにはどう見える?」
※
夏は嫌いだ。
気密性の高い防護服を纏うと汗で蒸し焼きになる。そうして脳まで茹って天に召された探索者を何人も見てきた。煙と雲に空を覆われていてもなお太陽は健在という訳だ。
「急ぐよ、ルイ」
ソフィが急かした。僕と同じく煙狼革の防護服を纏っている。この煙と雨の世界に適応した狼の革をなめして作った防護服だ。これがなければ僕達はたちまち煙と雨に蝕まれ、煙霧病に侵されてしまう。体の自由を徐々に失い、遠からず衰弱死してしまう事だろう。
「解ってる」
僕は防護マスク越しに答えた。相棒の背を追いながら、頭に浮かべるのは妹の姿だった。生まれながらに煙霧病を患った妹の。
――兄さん、もういいの。私は何も望んではいないから。
彼女の生命をこの世に繋ぎ留めておくには、絶え間ない資金の投与が必要だった。下級とはいえ貴族の僕が下層の子供達に交じって探索者という名の火事場泥棒をやっているのはその為だ。
地上に残った富裕層の資産を漁り、地下の闇市に卸す。それが僕らの、探索者の仕事だった。
いつからか、この地上は探索者の子供達で溢れる様になった。それはきっと、僕が生まれるずっと前からの事だ。この国の民が地下に逃げ込んだのは四半世紀近く前の事だというんだから。
古代、この地は緑で満ちていたという。僕ら岩の民が北方の島々から攻め込んでくる前の事だ。
先住民族である花の民は緑を愛し緑に愛された民族だった。僕らのご先祖様は彼らからこの地を奪い、緑を奪った。聖樹と呼ばれる十三の大樹を伐採し、そこに城を築いた。
そうして時が下ること千年余り。黎光石と呼ばれる特殊な光石を資源とするエネルギー革命が起き、国内の至る所に機械工場が出現した。人々はその歯車として組み込まれ、朝から晩まで工場の炉を焚き、そして排煙と汚染水を垂れ流し続けた。より良き生活の為に、より良き未来の為に、汗を流し続けた。
その結果がどうだろう。この国は今や煙と雲に覆われ、絶え間なく黒い雨が降り注ぎ、煙霧に満ちた死の世界だ。
誰もこんな世界を望んではなかった。ただ、こうなる事を想像できなかった。そういう事だろう。
「ふぅ、あっつ」ソフィは防護服を脱ぎ捨てた。岩の民特有の黒い髪と黒い瞳が露わになる。「太陽が出てないっていうのに」
「煙のせいだろうね」僕は水筒の蓋を回しながら言った。「雨のせいで湿度も高いし」
僕らは廃虚で休憩を取っていた。地図と睨めっこしながら「宝」が眠ってそうな場所がないか相談する。地下街の出入り口付近はとうに狩り尽くされていた。必然的に、地上を長い時間移動する事になる。そうして、何人もの探索者が蒸し焼きにされるという訳だ。
「先輩達みたいに川の向こうに行けたらいいんだけどね」
黒く染まった川の向こうは飢えた肉食獣で溢れている。この雨と煙に適応した獣達だ。武器と戦闘の心得がなければ、たちまち防護服を食い破られ、奴らの餌になってしまう。
「その為にはまずお金を貯めないと」
防護服だって安くはないが、武器は武器でお金がかかる。刀剣類にせよ銃にせよ一朝一夕に使いこなせる物でもない。その指導で生計を立てている者もいるくらいだ。
休憩ついでに家の中を漁る事にした。裕福な商人の家だったらしい。金にならないと判断されたのだろう、屋内に残された写真や肖像画からそう判断する。
ここも既に先輩達によって漁り尽くされた後らしい。空っぽの箪笥や棚が並ぶばかりだ。気もそぞろに引き出しを開け閉めしていく。すると、寝室だったと思しき部屋の棚で麻袋を見つけた。紐を解いて中身を覗く。
「何か見つけた?」ソフィが二階から降りてきた。何も見つからなかったらしい。手は空だ。僕の手元に気づいて言う。「何それ?」
「種……みたいだね」
黒い、胡麻状の種だった。それが麻袋にびっしりと詰まっている。
「何だ、外れか」ソフィは肩を落とした。「やっぱりこの家にはもう何もないみたいね」
「そうだね」
「持って帰るの、それ」
「僕が? 何で」
「地下で色々育ててるんでしょ? 花とか野菜とか」
「言ったっけな、そんな事」
「ええ、妹に見せる為にって」
妹は病気で外に出られない。いつもベッドの上で植物図鑑を眺めている彼女の慰めになればと、僕は植物を育てる様になった。尤も、植物が花や実をつけるまで育つ事はなく、ひょろ長く徒長し、次第に弱って枯れてしまうのが常だった。
――どうせすぐに枯れてしまう。花も、私の命も。
「花なんて暫く見てないわね」ソフィが独り言ちた。「地下でも育たない事はないんでしょ? 市場には野菜が並ぶんだし」
「だろうね。だけど、元は地上で太陽の光をいっぱいに浴びて育つ物だからね。地下で同じ環境を再現するのは容易じゃないんだよ」
「私は余り詳しくないけど、光石と太陽の光じゃ違うの?」
「光の波長分布が違うんだよ。太陽と全く同じ光を放つ石を虹光石と呼ぶんだけど、それはあくまで仮想の物質であって発見した人はいない――そもそも太陽の光がどんな物かなんて僕らは知らないしね」
「それもそうね」ソフィは言った。「太陽か。どんな色なんだろ」
「さあ」
僕は答えを求める様にして、窓の外を眺めた。黒い雨、黒い煙。死んだ様に静まり返ったかつての王都を。
「急いで、ソフィ!」
「解ってる!」
休憩後、暫く歩いて未踏の漁り場を見つけた僕達は、煙狼革のリュックに戦利品を掻き込み、帰路に着いた。雨が強まったのはその途中の事だった。
防水加工を施した煙狼革とはいえ、雨に対して完全な耐性がある訳ではない。定期的なメンテナンスが必要だ。雨を受ければ受けるだけ、その頻度は高まる。常に懐がカツカツの僕たちにとっては死活問題だ。大雨によって防護服の寿命が縮まるのは御免だった。
石畳の上を駆けていると、背後でソフィの悲鳴が聞こえた。前のめりに転倒している。
「ソフィ!」駆け戻って介抱する。
「御免」ソフィは詫びた。「今、ちょっとブチッて言ったかも」
血の気が引く。防護服が損傷したのかもしれない。僕はソフィの手を引き、近くの民家に駆け込んだ。
「やっぱり破れてるね」背中側の縫い目に大きな綻びを見つけた。僕の拳が入りそうな大きさの穴が開いている。
「どうしよう」ソフィが項垂れる。「チビ達が待ってるのに」
ソフィには三人の弟と二人の妹がいた。彼女が探索者をやっているのは、彼らの食い扶持を稼ぐ為だ。
「……ソフィ、僕の防護服を使って地下に戻りなよ」
「あんたは? あんただって妹がいるじゃない」
「心配ないよ。幸い、うちは両親が健在だからね」僕は言った。「今日はもう遅いし、僕はこの家で泊まっていくとするよ」
「でも……」
「いいから」僕は防護服を脱ぎながら、「ただ、明日、出来るだけ早く迎えに来てくれると助かるよ」
「……解った。有難う」
ソフィにはああ言ったが、民家で大人しくしているつもりはなかった。
雨が少し弱まってくると、僕はソフィの防護服を着込み、民家に残されていた傘を手に外に繰り出した。明日の朝までには戻る、と自分に言い訳する様にして。
僕の記憶では、この近くに植物園があった筈だ。何度か通りかかった事がある。勿論、植物はもうとっくに枯れていた。行ったところで、緑に迎えられる事はない。解っていた。だけど、いつか一度、訪れてみたかった。もしかしたら、地下で植物を育てるにあたって何か参考になる物が見つかるかもしれない。
――だから無茶しないで。花や私なんかの為に。どうせ枯れるんだから。兄さんまで命を枯らす道理はないんだから。
妹に希望を見せてやれるかもしれない。
植物園は果たして、記憶通りの場所にあった。ガラス張りの温室に足を踏み入れ、傘を畳む。温室内は仄明るかった。高い位置の光石灯がまだ盗られずに残っている。
植物はみな死に絶えていた。例外なくしわしわになって土の上に横たわっている。根元のネームプレートから在りし日の姿を想像するが、妹の図鑑には載っていない名前も少なくなかった。それらの植物がどの様な茎と葉と花を持っているのか、僕には想像もできない。
曲がりくねった石畳の上をゆっくりと歩いていく。植物の屍と名前を確認しながら。すると、どこからか人の声が聞こえてきた。
歌だ。
少女の声だと思う。聞き馴染みのない言語で、歌詞が聞き取れない。この国の外から来た旅人? でも、どうしてこんな所に。好奇心に急かされるにして歩を速めた。
歌の主は程なくして僕の眼前に現れた。
最初に目に入ったのは、壊れた傘だった。次いで、ボウガン。そして、雨に濡れた少女――
「ちょっと君! 大丈夫!?」僕は思わず駆け寄った。
おそらく異国の少女だ。ケープのついたエプロンドレスと長い銀髪がぴったりと肌に張り付いている。肌には生気がなく、薄目を開けた状態で僕を見つめている。その瞳はまるで、図鑑で見た向日葵の様で――
「赤の民……」
少女が呟いた。僕ら岩の民の事を言っているのだろうか。しかし、「赤」とはどういう事だろう。
よく見ると、少女は胸に何か抱いている。ガラス製のケースだ。中には、陶器の植木鉢があり、若い樹木が植わっていた。
「緑……?」
この時の僕はまだ知らない。
彼女が海の向こうに逃げ延びた花の民の末裔である事も、十三聖樹の一つ聖母樹の守護者である事も。
そして、この国を覆う本当の色も。





