1-01 ラブコメ・オブ・ザ・デッド
その春、ゾンビの大量発生によって、世界は大混乱に陥っていた。もちろん、日本だって例外ではない。
高校進学を控えた少年・後藤智樹は、目の前の光景に動揺していた。
なにせ幼馴染の日村萌葉が、ゾンビとなって自分を組み伏せ、今まさに首筋へ噛みつこうとしているのだ。
ひと噛みで全てが終わる、絶体絶命の状況。しかし智樹は、抵抗も逃亡も選ばなかった。
「いいよ、萌葉。僕をゾンビにしなよ」
崩壊していく世界で、智樹と萌葉は。
――なんと幼馴染ラブコメを始めるらしい。
――恋心なんて、性欲が見せる幻に過ぎない。
昔、誰かがそう言っていたのを覚えている。
でも僕と彼女の関係は、そんな理屈では説明できないだろう。なにせ僕らは「ゾンビ」になって、三大欲求なんてとっくに失っているのに、こうして恋をしているんだから。
そうして、僕がソファで考えごとをしていると。
『智樹って、ゾンビになっても難しい顔してるよねー。なんで?』
僕の顔を覗き込んだのは、日村萌葉。
彼女とは幼馴染なんだけど、まさかゾンビ化してから恋人になるとはね。完全に予想外だったよ。
『僕らの関係について少し考えてたんだ』
『え? 付き合ったばっかりでもう破局?』
『そんなわけないだろ。ただ、僕らはゾンビだ。十五歳のまま成長しないし、子どもだって作れない。それでも恋はするんだなって』
僕らの今の会話だって、客観的に見ればトキメキ要素は皆無だろう。
なにせ僕らはテレパシー的なものを使っているから、人間が音声だけを聞いたら「アアアァァァ」とか「ウウウゥゥゥ」とかになるしね。
隣に座った萌葉は、僕の胸に顔を埋めると、低く唸る。
『どう、智樹。ドキドキする?』
『心臓はピクリとも動かないな』
『む。もっと甘い言葉が欲しいなー』
そうは言ってもなぁ。
そもそも僕らの心臓は、物理的にドキドキしないわけだし。血流が止まっているから、顔が熱くなることもない。表情筋もほとんど死んでて、感覚も鈍く、機敏に動くこともできない。
『今の僕たちは結局、二体のゾンビがソファで絡まりあってるだけだからね』
『他人の目なんて気にしても仕方ないよ、それこそゾンビなんだし。自分の心には素直に生きていかないとね。んふふふ……智樹ぃ』
『はいはい。萌葉は可愛いよ』
彼女の頭を撫でながら、思考を巡らせる。
僕らの身体は明らかにおかしい。なにせ食事でエネルギーを摂取しないのに、動くこともできるし、破損しても修復される。それと生理的欲求はないのに、思考能力は残っていて、恋をする程度には感情らしきものもある。
そんなことを考えていると、萌葉が僕の両頬をギュッと押さえる。
『あのね、智樹。私、ラブコメがしたいの』
『ラブコメ?』
『ほら、もうすぐ高校生だったでしょ? 実は私、智樹を落とすためのドキドキ大作戦を考えてたんだ。同級生にどんな人がいるか念入りに調査して、計画を立てて。でも、実行前にゾンビ騒ぎが起きちゃったから』
そうだね。世界がこんなことになるとは、ほんの一ヶ月前は誰も想像していなかったし。
もし何かが違えば、萌葉とラブコメ的な青春を過ごしていた可能性だってあっただろう。
◆ ◆ ◆
僕と萌葉は、保育園の頃から一緒にいた。
母親同士が仲良くなり、家が近所だったのもあって、いつの間にか家族ぐるみの付き合いが始まっていたんだ。とはいえ、恋愛に発展する感じはまったくなかったけど。
僕らの関係が変わり始めたのは、小学三年の六月頃だった。学校帰り、萌葉が雨の中を傘もささずに帰宅している姿を見かけて、声をかけたんだ。
「萌葉? どうしたの、傘も差さずに」
「あ…………智、樹」
「こっちに入りなよ。一緒に帰ろう」
そうして、二人で並んで歩く。
「萌葉が黙ってるのなんて、珍しいね」
「え…………あ、うん」
「まぁ、無理に話さなくてもいいけど」
萌葉の異変については、すぐに調べがついた。
というのも、隣のクラスで一番目立っている女子が、萌葉の方をチラチラと見て「独り言」を言っていたからだ。
「ほんとウザいよね、もう喋んなし」
周囲が何も言わないのは、きっと巻き込まれたくないからだろう。
見かねた僕は、そのまま教室に入り、萌葉に話しかけることにした。
「おはよう、萌葉」
「あ…………おは、よ」
「そうそう。今度の夏休み、父さんがキャンプにでも行かないかって言ってて。萌葉も誘おうと思ってたんだよ。予定を確認したいんだけど」
それから、僕は時間を見つけては隣のクラスを訪ねるようにした。
もちろん、あの女子に直接文句を言うこともできたのかもしれないし、大人に相談するって方法もあった。だけどその時の僕には、こうして「萌葉と普通に話をする」以外のやり方が思いつかなかったんだ。
担任から声がかかったのは、その年の秋頃のことだ。
「後藤くん。あまり隣のクラスに入り浸るのは良くないって、他の生徒からも意見が出てるの。もう少し、自分のクラスの子と仲良くできないかしら」
「へぇ。それは、イジメられてる萌葉を放っておけってことですか? 先生」
「え……イジメって、どういうこと?」
例の女子は、大人の目を掻い潜るのがとても上手い子だった。
当時の僕は証拠集めなんて思いつきもしなかったから、僕の訴えは「証拠不十分」という扱いで終わってしまったんだけど。
それでも四年生になると、萌葉の環境は大きく変わった。例の女子から引き離され、僕と同じクラスに入れられるようになったからね。おそらく、大人が何かしら調整をしたんだろう。
僕らの関係が明確に変わったのは、その頃からだ。
「萌葉、隣を歩きなよ」
「う……うん。いいの?」
「ダメな理由はないけど」
なんというか、萌葉は変な方向に拗らせてしまったみたいだ。
例えば道を歩いていて、ふと振り返ると、電柱の陰に萌葉がいたり。僕の使っている文房具と、まったく同じものを萌葉が使っていたり。たまに持ち物がシャッフルされていたり。僕のパンツが頻繁に消失したり。ベッドに謎の温もりが残っていたり。
それでも僕は、萌葉を突き放す気にはなれなかった。なにせ萌葉は、僕と一緒にいる時は昔のようによく喋るのに、他の人には心を開かなくなってしまったから。
中学三年になると、萌葉は当然のように僕と同じ高校への進学を決めた。ちなみに僕は、志望校の話を萌葉にしたことがなかったんだけどね。不思議だなぁ。
そして中学の卒業式も終わり、三月後半のある日。
「ウウウゥゥゥ……ゥアアアァァァ」
「萌葉?」
突然、部屋に押し入ってきた萌葉は、唸りながら僕の身体に跨ってきた。
驚いたよ。ニュースになっているゾンビ騒ぎが、まさかこんな身近なところで発生するとは思っていなかったから。
だけど、なぜか逃げる気は起きなかった。血走った萌葉の瞳が、なんだか不安そうに見えたからかもしれない。
「いいよ、萌葉。僕をゾンビにしなよ」
「ウウウゥゥゥ」
「本当は萌葉と一緒に生き残りたかったけど、手遅れなら仕方ない……こんなことなら、もっと早く告白しておけば良かったな」
そうして、首筋にプツリと刺さる鈍い痛みを、僕は静かに受け入れた。
朦朧とする意識の中、なんだか必要以上に全身を舐め回されたような気もするけど。その点はあまり深く考えても仕方ないだろう。そもそもゾンビに三大欲求はないはずだし。
とにかくそんな風にして、僕はゾンビに生まれ変わったわけだ。
◆ ◆ ◆
時刻は深夜二時。
人間の寝静まっている時間帯を見計らい、二人で腕を組んで街を歩く。目的地は、僕らの通う予定だった高校だ。ゾンビの足でここまで来るのは、なかなか大変だったけど。
『わざわざ高校の制服に着替えなくても良かったのに。ゾンビの手先は不器用なんだし』
『でも学園ラブコメをするんなら、やっぱり制服じゃないと雰囲気が出ないよ。それに私は、智樹の生着替えをじっくり堪能できたし……にゅふふふ』
『萌葉って本当にゾンビだよね? たまに疑わしくなるんだけど』
人間が寝静まっている深夜は活動のチャンスだ。なにせゾンビには睡眠欲もないし、暗くても視界が鮮やかだ。
駅前の商店街を歩いていると、見知らぬおばちゃんが話しかけてくる。
『おや、高校生カップルかい? ゾンビになっても仲良しってことは、本当にラブラブだったんだね。羨ましいよ』
『羨ましい?』
『ったく、聞いとくれよ。うちの旦那はゾンビ化した途端に、入れ込んでた夜の女を追いかけていってね。その女は、ホストの男を追いかけ回して。そのホストが……なぜかあたしのとこに逃げてきてね。実は元カレだったんだけどさ』
うわ、ドロドロしてるなぁ。
でも話を聞いていると、ゾンビに欲求がないっていう前提も、少し怪しく思えてきたな。もちろん、生理的欲求は死んでいるはずなんだけど。
僕の隣では、萌葉が人見知りを発動して黙り込んでしまっている。ゾンビになっても、こういうところは変わらないか。
『さてと。僕らはこれから行くところがあるから、これで失礼するよ』
『おや、どこに行くんだい?』
『安触羅高校にね。この春から、彼女と一緒に通うはずだったんだ』
僕がそう告げると、おばちゃんは「ヴゥァァァ」と小さく唸る。
『あの高校か……今はちょっとやめといた方がいいんじゃないかねぇ』
『やめといた方がいい? というと』
『あぁ。あたしも聞いた話だが』
おばちゃんはゆっくりと高校の方を見る。
『あの高校には、まだ人間が立てこもってる。なかなか威勢がいいみたいでね。既にゾンビがたくさん殺されてるって話さ』
『えぇぇ』
『高校に通いたいってゾンビは、他にもたくさん集まっているけどね。青春がしたいって子は多いが、あんまりオススメはできないよ』
なるほど。その状況で高校に向かうのは、ちょっと大変かもね。
とはいえ、そう簡単に諦めるのも癪だな。できれば僕も、萌葉の望む「ラブコメ」とやらを叶えてあげたいし。少し作戦を考えてみるか。





