1-10 アプリは惑星(ホシ)の彼方から
中小企業で働く冴えない会社員、佐藤平太。
家庭では妻と子どもたちから距離を置かれ、仕事でも評価されない、悶々とした毎日を送っていた。
そんなある日、軽い気持ちで登録したマッチングアプリで、ひとりの女性と連絡を取り合うこととなる。
彼女は、既婚者である平太に対し、
「既婚者さんの方が頼りがいがあるし、安心です!」
と、平太をそそのかす。(?)
承認欲求を満たしてくれる甘い言葉を前に、まんまと彼女に嵌っていく平太。
そして彼女が勧めてきたのは……
「ギャラクシーコインを始めてみない?」
それはただの投資話のはずだった。
だが平太はまだ知らない。
この出会いが、彼の未来を揺るがす、大事件に発展することを──。
「ギャラクシーコインを始めてみない?」
目の前で微笑む女性は、そう口にした。
「……ん?」
俺はきっかり三秒の沈黙を経て、首を傾げてみせる。
「だから、ギャラクシーコインをね、始めてみませんか?」
聞き間違いではないようだ。ギャラクシーコイン、と言っている。ビットコインなら聞いたことはあるが、ギャラクシーコイン……。なんか、そういうのが新しく出たのだろうか。仮想通貨の最新版?
「あ、手続きはね、そんなに難しくないの。まずはこのアプリをダウンロードして、口座を開設するの。そしたらギャラクシーコインが買えるようになるのよ。小額からでも始められるし、今が始め時なんだからぁ」
俺の腕を撫でるように叩きながら、にこにこと笑う。
どうしてこんな話になったのか。経緯は、こうだ。
◇
俺はしがない会社員、佐藤平太。中小企業で営業をしている。
家族は、嫁と、子供が二人。長男は中学生で、反抗期真っ只中。長女は小学五年生。小さい頃はパパっ子だったが、最近急に、俺を避けるようになっていた。これも反抗期なのだろうか?
妻とはいわゆる“デキ婚”で、若気の至りと言いたいところだが、二人とも三十を超えてのことであり、若気の至りというよりは「年の功の焦り」だったように思う。
慎ましくも穏やかで幸せな結婚生活を送っていた……はずだったが、妻が仕事に復帰したころから、夫婦の関係性が少しずつ変わっていった。
「仕方ないでしょっ? 私だって仕事してるんだから!」
付き合っていた頃とは明らかに違う一面。母親になると女性は強くなると聞いたことはあるが、そこまで強くなる必要、あるか? 鬼の形相で怒鳴らなくてもいいじゃないか。
「私はね、ブランクがあるの! あなたと違って、ただ仕事だけしてればいいわけじゃない。家のこともやりながら、それでも仕事してるの!」
わかってる。それはわかってるし、だから俺だってできることはちゃんとしてる。
「このブランクを埋めながら、職場での立ち位置を確固たるものにしていきたいの!」
そんなに張り切って仕事しなくても……。
「大体、あなたの給料が上がらなすぎるのよっ」
それは……俺も思うけれど。
中小企業。しかも、吹けば飛ぶような本当に小さな会社で働いているのだ。大企業のようにバンバン昇給することなど有り得ない。
その点、彼女の勤める会社は、中小企業ではあるが大企業の子会社。給料は悪くないし、福利厚生もしっかりしていた。確かに、働き次第ではベースアップも悪くないかもしれない。その上、男女の差をなくそうという世の風潮に則り、女性管理職を大幅に増やし始めたのだという。妻はその波に乗りたいのだろう。
それに輪をかけるように訪れた子供たちの反抗期。家庭内には殺伐とした空気が流れ、すべての罵詈雑言は俺に向かって矢印を向け始める。
俺は、辟易していた。
今までずっと、家族のためにと頑張ってきたのだ。それなのに、家族は皆、冷たい態度。仕事でもうだつが上がらない。楽しみなどなにもない毎日。
そんな時だ。会社の同僚が話しているのを耳にしたのは……。
「マッチングアプリ、いいっすよ~」
俺より三つ年下のその男は、バツイチ。子供もいないから、ただの優雅な独身貴族だ。そんな彼が、最近マチアプに登録を始めたという。
「真剣に相手捜す人もいますけど、気軽に遊ぶ異性の友達捜してるだけ、とか、一夜だけの……なんてぇのもあって、気軽だし楽しいんですよね~」
「え~? でもそれって危なくないの~?」
同じく独身の女性事務員が返すと、
「登録するだけでもいいんですよ。プロフィールとか見た知らない人からイイネとかされると、テンション上がりますよ?」
「へぇぇ、そうなんだー」
テンションが上がる……。
今の俺には、その言葉がなんだかとても魅力的に思えた。
そうだ。浮気をしたいわけじゃない。ただ、なにも楽しみがないこの灰色の毎日に、少しだけ刺激が欲しかった。誰かと繋がって、自分の存在を肯定してほしい。ただそれだけだったんだ。
俺は、携帯を手にした。
そして、とあるマッチングアプリのサイトに、プロフィールを公開することにした。
◇
「おっ?」
ニヤニヤしながら携帯の画面を見つめる。
マッチングアプリというのは面白いもので、プロフィールを公開した数分後には、イイネが付き始める。手あたり次第押している誰かがいるのか、それともこのアプリのサクラのような人間がいるのか……それはわからない。が、こうして顔写真とプロフィールだけの情報でもイイネを押してもらえるのは、俺の自己肯定感を上げるのに十分だったのだ。
それから俺は、携帯を見る時間が増えた。ぽつぽつと押される「イイネ」だけで満足していた気持ちは、やがて慣れ始め、冷めていく。
次のフェーズへと、進みたくなってしまったのだ。
「……でもなぁ、さすがになぁ」
俺にイイネを押してくれた相手のプロフィールを見て回る。皆、若くて可愛い。もちろん、ここに載せている写真が本人のものであるという証拠はない。例え本人だったとしても、今や写真の修整など誰でもできる時代だ。原形をとどめないほどに修整された写真である可能性の方が高いに決まっている。それでも、淡い期待を抱いてしまうのは仕方のないことだろう。
ピロン
昼休みも終わろうかという時間、その通知はやってきた。
――プロフィールを見て、ビビっときました! 少しお話しませんか?
画面には、そう書かれている。俺は思春期の少年のように胸を高ぶらせ、相手のプロフィールを見に行く。
三十一歳、独身。地球人。趣味はペット(犬)と読書。会社員。
平凡であると同時に、完璧なプロフィールだ。途中に忍ばせるユーモアも可愛いじゃないか!
さぁ、どうする?
直接のメッセージは初めてだった。ドキドキと高鳴る心臓。やましい気持ちなどないと始めたマチアプだったが、今や、やましい気持ちしかない!(フンスッ)
……というのはさすがに言いすぎだが、こんな風に直接メッセージをもらえば、少しは期待してしまうというもの。浮気などするつもりはないと思っていたが、もしこの子と話をしてしまったら……。もし彼女に気に入られてしまったら。淡い、期待。
「話すだけなら……ありだよな?」
俺は自分に言い聞かせるように小さな声で呟く。そして、返信はこうだ。
『メッセージありがとうございます。嬉しいです』
どうとでも取れる言い回しで、返してみる。ここからどうなるのか!
ピロン
――わーい! お返事ありがとうございます! 優しそうな方だな、って思って声掛けちゃいました! 既婚者さんですか?
おっと。直接的な質問だ。
とはいえ、俺の登録したマチアプは既婚者NGではない。既婚者だって異性の友達が欲しい! みたいなのが売り文句のひとつになっていた。ここは嘘をつかず、正直にいこうではないか。
『既婚者です。それでもよければ』
ドキドキ。
やっぱ駄目か? 既婚者だと、駄目かっ?
半ば諦めに似た気持ちを抱きつつ、返事を待つ。と、
――逆ですよ~。既婚者さんの方が安心です。
はい、キタ~~~~!
俺は小躍りしそうになりながら、更に返事を打った。
『そう言ってもらえると嬉しいです!』
――大人の男性、って感じで、いいですよね。私、仕事の悩みとか相談できる人が欲しくてマチアプ始めたんですけど、なんというか……オスを前面に出してくる人は苦手なんです……。
なるほどな。そりゃそうだよな。なにがなんでも女の子と仲良くなって、あわよくば……なんていう下衆な男は嫌だろう。その点俺は、うん、既婚者だし、わきまえてるし!
『わかります。男女であっても気兼ねなく話せる相手って、いたほうがいいですよね!』
フレンドリー、かつ、紳士であれ!
――そうなんです! 日々の何気ないこと話したり、仕事の悩み相談したり、宇宙の話とか。ありのままの私を受け止めてくれる人がいたらな、って思って……。
ああ、わかる~! 全面的にそれ、支持する! 俺は頬がダルダルに溶けそうなくらい緩くなるのを感じながら、画面をタップする。
『同感です! 声を掛けてくれたの、マジで運命ですよ!』
ちょっと書きすぎただろうか? この年で「運命」はナシだったか?
――わー! 運命だった! 広い銀河でこうして出会えたの、すごく嬉しい!
はい、結果オーライ! ポエミーな物言い、可愛スギィ~!
それから少しの間、メッセージのやり取りをした。気付けば昼休みはとうに終わっている時間だ。俺は後ろ髪を引かれつつも会話を切り上げ、夜、電話で話す約束をしてメッセージを終わらせる。
彼女はどんな声だろう。きっと可愛いに違いない!
そわそわしながら過ごす午後、仕事は、驚くほどに捗った。
星の瞬く都会の夜空の下、彼女に教えられた携帯番号をタップする。
幾千もの命が集うこの惑星で出会った、未知なる彼女。
ただのロマンティックでは終わらない、めくるめくカオスの幕が、今、静かに上がった──。





