第13話「上位種」―美しさは、死に際に宿る―
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次の瞬間、空気が裂けた。
音よりも先に身体が理解した。全身の毛が総毛立つ。
リュシアは反射的に身を伏せた。ほとんど本能だった。
直後、頭上を何かが通り過ぎる。風が遅れて髪を揺らし、銀髪が数本、静かに宙へ舞った。
「全員、構えろ」
ユスティナの声。大剣が抜かれる。重い鋼の音が、生きた森の大聖堂に鈍く響いた。
アンテラが舌打ちする。
「いったい、今のなんなんだよ!?」
「上位種です」
ハーレインが静かに言う。まるで最初から知っていたかのように。
「おそらく、こちらの偵察でしょう」
「偵察でこれかよ」
「ええ。もっとも、我々を殺すつもりでしょうけどね」
その時、ぶぅん、と低く薄い羽音が鳴った。
虫の羽ばたきに似ていた。だが、それは鼓膜で聞く音ではない。骨の内側を直接震わせる、不快な響きだった。
リュシアは音の方角を探る。右、上、背後。どこからも聞こえる。まるで、森そのものが羽音を鳴らしているようだった。
「目で追うな。音も信用するな」
ユスティナが低く言う。
銀の瞳が、わずかに細められる。
「殺気を拾うことに集中しろ」
その言葉が終わるより早く、銀光が闇を滑った。最初に見えたのは翅だった。菌糸の柱の隙間を縫い、淡い燐光を拾って揺れる四枚の膜翅。蜻蛉を思わせる極薄の翅は透明に近く、角度が変わるたびにようやく輪郭を持つ。
薄く、儚く、脆そうにさえ見える。
だが、その羽ばたき一つで空気が切り裂かれていた。
現れたのは、女の姿をした【エリミネア】だった。細い手足、人間に近い輪郭、異様に長い腕、骨ばった白い指先。そして口元だけが、不自然なほど大きく裂けている。笑っているのではない。笑う形に裂けているだけだった。
背の翅がわずかに震える。そのたびに光が歪む。
「……あれが、上位種」
リュシアの喉が、わずかに鳴った。
そいつは地面に立っていない。菌糸の柱の中腹に、ありえない角度で張り付き、縦に裂けた瞳で四人を見下ろしていた。まるで、獲物を狙う虫のように。
「へぇ」
驚くほど澄んだ声だった。若い女のように柔らかく、どこか楽しげで。その自然さが、かえってぞっとするほど不気味だった。
「思ったより、綺麗なのが来たの」
裂けた口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「誰から壊そうかしら」
アンテラが鼻で笑った。その笑い方だけは、こんな場所でも変わらない。
「随分と上からだな、バケモノ」
ぶぅん、と低い羽音が響く。
その瞬間、アンテラの背筋が総毛立った。【翅持ち】の気配が、忽然と消えた。
次の瞬間、吐息が触れそうな距離で女の声が囁いた。
「――だってそれ、事実なの」
思考より先に、アンテラは地を蹴った。身体を捻り、双短剣を振り抜く。白い残光が視界を走ったが、鋼は空を切っただけだった。
【翅持ち】は残像を残し、すでに数メートル先の菌糸の壁に張り付いていた。裂けた口元が愉しそうに歪む。
「あなたたち、それなりに強いのでしょう? だから、少しは綺麗なの」
細い指先が、自分の喉元をゆっくりとなぞる。そこへ刃を入れれば、どんな声で壊れるのか想像しているようだった。
「でも、人間って不思議なの」
縦に裂けた瞳が、ひどく冷たく細められた。
「すぐに裂ける肉。簡単に折れる骨。少し血を流しただけで泣き叫ぶ。それなのに、自分たちを地上で最も優れた生物だと思っているの」
翅が震える。薄い膜がわずかに鳴り、空気が冷えた。
「醜いの」
裂けた口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「弱いものは、醜いの。すぐ壊れるものに、美しさなんてないでしょう?」
翅が震える。
「でも――」
縦に裂けた瞳が、愉しそうに細められた。
「壊れる瞬間だけは、少し綺麗なの」
その一言が、森の温度を奪った。
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