10
「あ、虫が……えい!」
「真――ぐは!?」
「あ、ごめん」
冬でも蚊っているんだなあ。
こうして一つずつ知識を増やして偉い人間になっていく――というのはどうでもいいとして、蹲っている彼をなんとかしなければならない。
「大丈夫?」
「お、おう、結構効いたけどな……」
「それより今日はどうしたの? というか、お家にいたのならすぐに来てくれればよかったのに」
起きてから三時間ぐらいは経過していてもうお昼近くになっているのに変だ。
「真代さんと話をしていたら長くなってしまったんだ」
「ああ、やっぱりお母さん狙いか」
「いや、いこうとしたんだけど何故か何回も止められてな、『真白のことなんていいわよ』とか何回も言っていたけど真代さんと喧嘩でもしたのか?」
「ううん、喧嘩なんかしていないよ?」
彼がいつまでも振り向かないから母も完全にその気で、というのもどうでもいい。
「ま、やっと解放されたからこれで真白と過ごせるってことだ。それでいままでなにをしていたんだ?」
「お掃除が終わったからのんびりしていただけだよ」
彼がこのまま残るなら相手をさせてもらうだけ、残らないなら引き続きのんびりごろごろする予定だからただの暇人と言っていいぐらいだった。
「なら暇なんだな? よし、俺の家に来てくれ」
「いいけど、珍しいね?」
「ちょっとやりたいことがあってな」
お家に誘うということはお得意の走ることでなんとかしたいわけではないみたいだからわからなかった。
お家でなければできないことってなんだろうか。
「これだな」
「二枚の課題のプリント……だよね?」
「そうだ、終わるまで俺が脱線しないように見ていてほしいんだ」
「よくあるやつだね、わかった」
いつも付き合ってもらっているのだからそれならプリントを持ってきてくれればよかったのになんて言ったりはしないよ。
見ていろと言われたけど集中の妨げになったら意味はないから違うところに意識を向けていた。
興味を惹かれたのは中学生のときに二人で撮った写真だ。
「ん? なにを見ているんだ?」
「ねえ、それが終わったらいまの私達で撮ろうよ」
一年ぐらいしか経過していないから大して変わっていなくても無駄な行為とはならない。
「いいかもな、だけど今日は両親とかもいないからまた今度だな」
「自撮り……? みたいにすればいいんじゃない?」
そういうときのために内側にだってカメラがついているはずだし利用しなければ損ではないだろうか。
だけどいまは本当に楽になったと思う、昔だったらちゃんとしたカメラを持ってこなければ写真だって撮れなかったわけだからね。
「なんかそれだとカップルみたいにならないか?」
「私は気にならないけど」
「俺だって気にならないけど」
そもそも二人だけで撮った写真を飾り続けている時点で気にしても仕方がないことだろう。
何気に小学生の卒業式に撮ったときの写真だってあるわけだから今更面白いことを言うものだ。
「とりあえず課題を終わらせてからだね」
「そうだな」
どこを見ていても目を閉じていても気になってしまうかもしれないから時間をつぶすのに苦労した。
でも、頑張った甲斐があって(主に彼がだけど)そう時間もかからずに終わったのはよかった。
「えっと、これをこうして……格君もっと近づいて」
「おう、これぐらいでいいか?」
「うん、それでここを押せば……うん、撮れたね」
変な顔にもなっていないからこれでいいか。
「んーあれとはやっぱり違うよな」
「距離とか角度が違うだけだね」
「でも、やっぱり誰かに撮ってもらえた方がいいな、俺はどうせ撮ったからには飾りたいからさ」
「その割には私との写真しかないけど」
「あ、真白が相手のときの話だぞ? あとはそもそも他の人と撮ることがないからな」
こういうことばかり言っている。
もうこの際だから踏み込んで聞いてみるべきだろうと考えて聞いてみた。
「え、いやそれについてはこの前話し合って答えが出たよな?」
「その割にはなにもしてこないから」
「なにをすればいいんだ?」
「そんなの」
好きなら好きで告白だろう。
常日頃からやっていたわけではなかったとしても頭を撫でられてもそこだけで終わってしまうから。
「いや嘘だ、本当はわかっているけどこう……直前になると考えてしまう自分がいるんだよ」
「あんまりその気持ちがないんじゃない?」
それならそれでいいけど。
だってその気になれないのであれば仕方がない。
その状態で無理をしようとしてもお互いにとってマイナスにしかならないからそれなら一生お友達のままでいい。
まあ、私のことが好きではなくて他の子が好きになってしまったらずっとお友達でいられるかどうかはわからないけど。
「違う、いまの状態でも楽しいからだな」
「それならこのままでいいと思うよ」
うん、やっぱりこう言うしかない。
「でも、やっぱり取られたくないんだ」
「うん、またここに戻ってきたね」
「だからここで止めていたんじゃ変わらないままだよな」
「そうだね」
あ、真剣な顔だ、これはいよいよそのときがきたのかもしれない。
「真白――空気を読めよ俺の腹……」
「はははっ」
だからこの差には笑うことを我慢することができなかった、物凄く嫌そうな顔をしているところも影響している。
「待ってっ、面白すぎてやばいよっ」
「……楽しそうなところ悪いけど聞いてほしいんだ」
「わ、わかったわかった……すぅ……ふぅ、よし、どうぞ」
それでも彼は色々なところを見てから最後にこちらを見つめて「好きだ、付き合ってほしい」と言ってきた。
普通はここで嬉しいとかそういう風に返して抱きしめたりもするかもしれないけど先程の顔がまた浮かんできて笑ってしまって本気で悲しそうな顔をされてしまって少し後悔した。
「ごめんね?」
「いいけど……なんかいい感じではないよな」
「でも、いい雰囲気すぎても危うかったかもしれないからね、とうとう我慢ができなくなった私が抱きしめちゃったりとかしていたかもしれない」
恥ずかしいことではないとしても関係が変わった途端にくっつくようになったら引かれそうだからゆっくりやっていきたいところだ。
「え、受け入れてくれたってことは一方通行というわけじゃないだろうけど、真白はそこまでじゃないだろ?」
「どうだと思う?」
「た、試してくれるな、真っすぐに喜ばせてくれ」
「はは、そのままでいいとか言っていたのも保険をかけていたようなものだからね」
私だって勘違いをして告白をして振られてしまったらこれまでの関係が壊れてしまうからなにもしてこなかっただけでしかない。
だから正直そこまでではないと言われて少しショックだった、好意がなにもなかったり少ない状態で受け入れたりする人間ではないけどね……。
「変わるときは一瞬だな」
「うん、結局は勇気を出せるかどうかだから」
「いつもいてくれる真白に甘えすぎだな」
「甘えすぎていたのは私だよ、だから終わるときも一瞬にならないように頑張るよ」
告白までやらせてしまったから関係が変わったいまとなっては私が頑張らないと。
「が、頑張るってなにをだ?」
「それは格君に飽きられないように、かな。まずは格君にお弁当を作ったりとかしたい」
「真白積極的モードってことか、なんかやばそうだな。あと弁当については嬉しいけど食材を使うことになるからあんまり手放しでは喜べないな」
「なら日常的に手を繋ぐとか?」
「そうだな、そういう方がいいな」
やばいかどうかはこれからも一緒に過ごしてくれればすぐにわかる。
私としても本格的にやっていくのは初めてだから結構楽しみだった。
「ぎゅー」
「もう直ったの?」
「うん、もう大丈夫だよ。だけど若尾先輩とお付き合いを始めちゃったからこれもやめなきゃいけないのが悲しいかな」
「それは気にしなくていいわよ、それはそれこれはこれで片付けられることじゃない」
同性同士だったらくっついたりするのは別におかしくないと思う。
というか、やっぱりそういうことができてこそお友達という感じがするからやめられたら寂しいぐらいだ。
「やっぱり真白さんのことが好き」
「それは言いすぎよ」
「ううん、不安定だったのもそういうところからきていたんだよ。だからこの前のあの反応はちょっと期待しちゃったんだけどな――あ、だけど英梨先輩とこそこそしていることが気に入らないって可能性もあるか、あはは……」
「どっちだと思う?」
ずるいけど私としても細かく説明できることではないからこうしないと前に進めないのだ。
「えっ、……本命は若尾先輩だとしても女の子同士三人で仲良くしたかっただけで結局はなにもなかったんじゃないかなって」
「でも、私としても初めてのことだったから戸惑ったのよね、あと自分が痛すぎて初めて途中で帰りたいと思ったわ。だってあっちもこっちも手を伸ばしてわがままじゃない? あのときは怖かったけどそれをちゃんと遥が指摘してくれてよかった。ありがとう、あなたがいてくれてよかった――遥ちゃんがいてくれてよかったよ」
喋り方を偽っていたからあと少しが足りなかったのかもしれない。
やっぱり私はこれだ、そもそも格君が好きになってくれたのもこの喋り方の私なのだから違うキャラを演じる必要はないだろう。
「ぎゅー」
「真白さん私――」
「はい終わりー二人でいちゃいちゃするのはやめようね」
来ていたのか。
こう絶妙なタイミングで止めてくるから驚く。
「もう、英梨先輩はいっつもそうなんだから」
「だってずるいからね、同級生ってだけでずるいのに私よりも優先されていて複雑なんですよ」
英梨も不思議な人だよなあ。
最初の頃、敵視されるかと思えば全くそんなことはなくて年上なのに一緒にいやすくて。
別に年上に悪いイメージはないけど格君以外の人に特別いいイメージもなかったから意外だった。
後ろにいる格君からはっきりとされた後は複雑さをなんとかするために来てくれていただけかもしれないけどある程度時間が経過してからは勘違いでもなんでもなく私といるために――は自惚れすぎか。
でも、先程の遥の態度を見るにもしかしたらという可能性も……。
「ずるいのは若尾先輩だよ」
「あ、それはわかる」
共通の敵、ではなくてもふざけても受け入れてくれる彼がいるのも大きいか。
「えぇ、連れてきたのはそれを聞かせるためなのか……?」
「別に意地悪がしたいわけじゃないけどあんまりに独占するようなら真白ちゃんを遠いところに連れていっちゃうからね?」
「はは、そうだな、それならあんまり独占しないようにするよ」
まあ、だからといって甘えすぎてしまったら駄目だけどね。
それは恋人である私も同じこと、それにこうなったいまとなっては甘える立場ではなく甘えられる立場でいたいから変えていかなければならないのだ。
「若尾先輩、ただ仲良くするつもりが真白さんのことを好きになってしまいました」
「真白も驚いているだろうな、ただ最近は高原に対して自信を持って対応することができていなかったみたいだけどそれを聞けて今度こそ自信を持てるようになっただろう」
あれ、教室から逃げていたのは確かなことでもその理由までは教えていなかったのにバレてしまっていたみたいだ。
この前、遥が不安定だったときも一緒にいたわけではないのに……すごいな。
「……やっぱりこの前の不安定なときのことが原因だよね」
「それは確かに大きいけどお友達がちゃんといる遥ちゃんが私に興味を持ってくれたことが意外だったのが大きいよ、だからいつも一緒にいてくれている英梨ちゃんとかに興味があるのかなって考えたりもしていたからね」
「英梨先輩のことは好きだけど私は真白さん派だよ」
「前もこんな話をしたけど私も遥ちゃんのこと好きだけど真白ちゃん派だよ」
「はは、昔ならありえなかった光景だな、拒絶もしていなかったのに何故か興味を持たれなかったからな」
うん、この件に関してはずっと同じところを彷徨うことになるからこれで終わりでいいかな。
「やっぱり若尾君が……」「やっぱり若尾先輩が……」
「だからないって、寧ろ俺が他の人と仲良くすることを願っていて毎日ちゃんと本人に伝えていたぐらいだぞ?」
「あはは、冗談だよ」「冗談です」
「一瞬で落とすこともできるんだから気を付けてな」
二人はこそこそと話をしながら出ていってしまった。
「ふぅ、あの二人は怖いぜ」
「私もそうだけど格君の優しさに甘えているんだよ」
「それならいいけど、家にある感情がもう少しだけ高まると俺を排除しに来そうだ」
「ないない、だから安心していいよ」
こちらに触れることで安心できるのならいちいち敵視とかしたりはしない。
求めてくるなら応えるだけだ。
「大丈夫だよね?」
「ああ、同性に抱き着くぐらい俺のクラスの女子もやっているからな」
「ありがとう。あ、そうだ、ぎゅー」
やっぱり彼はがっちりしているな。
そう考えると結構お得な状態なのかもしれない。
遥や英梨を抱きしめたり本気で好きな人を抱きしめられるというのは。
「……一応放課後だけど誰か来るのかわからないんだぞ?」
「誰か来てもお付き合いをしていることを説明すればいいと思うよ」
「それだと完全にバカップルだろにならないか?」
寧ろ誰か来た際に慌てた方が怪しく思われるから堂々としておいた方がいいという話だ。
ただこの様子だと私はできても彼ができるかどうかわからない。
片方だけ慌てていたら私が襲っているみたいに思われてしまう可能性が出てくるから危険だろう。
「自分を守るためにも帰るよ」
「俺も帰るけど自分を守るためにってどういうことだ? 襲ったりしないぞ?」
「淫乱娘とか言われたら嫌だからね」
「そんなの言わないぞ」
いやだから彼からのそれを恐れているわけではないのだ。
だけどこれは説明不足なのが悪いから仕方がないか。
「今日は格君のお家に寄っていくね」
「おう」
とはいえ、もうそんなしない内にご両親も帰宅してご飯を作り始めるだろうからそういうことで役に立てはしないことはわかっている。
「今度、私のお家に来てくれたときにご飯を作るね」
「真白がいてくれればいいから気にしなくていいぞ」
言うと思った。
ただ抵抗する日ばかりではなくて「作ってくれ」と甘えてくれるときがあるから私にとっては効果的なのだ。
彼らしく生きているだけでいい影響を与えられているということを彼はわかった方がいい。
「それで今日は肩でも揉もうと思ってね」」
「はは、健全だな」
「それでいいんだよ」
おお、ここらへんも女の子とは全く違う。
なんというか分厚いのだ、だから結構力を込めないとただ触れているだけになってしまいそう。
「俺が代わりにやるから前に座ってくれ」
「うん――おお……?」
「痛くないか?」
「うん、気持ちがいい」
誰かにやってもらえること自体がなかなかないから今度母にもやってあげようと思う、あ、予定が合えば父にもそうだ。
「なあ真白、高原のあれ本気だと思うか?」
「最初は私も大袈裟に言っているだけだと思っていたけどあの表情を見ているとね」
そういうことをふざけて言う子ではない。
それに一応は本気かどうかは少し見ていればわかるつもりだ。
「そうか、なら俺はこのタイミングで動いておいてよかったな」
「たとえ遥ちゃんが告白してきていたとしても断るしかなかったよ、だって私は格君のことが好きだったからね」
「俺がわがままを言って一旦でも受け入れてしまったからじゃないか? 完全にそうとはやっぱり思えないんだよな。」
「私はただ長く一緒に過ごしたからって告白を受け入れたりしないよ」
だからこれは何回も言葉と行動を重ねることでわかってもらうしかない。
いまはまだ一ヵ月も経過していないから不安な状態から脱することができていないだけでしかない。
「あっ、俺は真白を好きになったけど小学生の頃から狙っていたわけじゃないからなっ?」
「はは、慌ててそういうことを言うと真逆に見えちゃうよ?」
「意識し始めたのは中学の真ん中ぐらいだからそこは勘違いしないでくれ」
彼にとっての真ん中なのか私にとっての真ん中だったのかでだいぶ変わってくるけど。
「部活動が始まってもいつも一緒に帰ったりお休みの日は遊んだりしていたけどなにで意識し始めたの?」
「……きっかけは俺の友達が真白を可愛いって言ったからだったんだ」
「そのお友達さんも優しいね」
彼と帰ろうとしたときに何回か近くまで来たことがあったからこちらのことを見られていてもなにもおかしくはない。
ただ私が所属していた部活動にはもっと可愛い子がいっぱいいたから彼と似ていることを証明している気がした。
「元々可愛気があって一緒にいたかったからさ、なんかそういうことを言われて変わってしまったというか……しかもそういう日に限って真白がよく笑っていてな」
「私も人間だからね」
「その二つの事実に一気にやられてそこからは真白のことを……」
「ならよくこれまで我慢をしていたよね」
関係を壊したくない私でもなにもないまま四年近く時間が経過していたらどうなっていたのかはわからない。
「いや真白が手強かっただけだよ、一応俺はそれっぽいことも言ってきたつもりだぞ」
「ああ、簡単に惚れちゃうような子なら勘違いしそうなことばかり言っているなあとは感じていたけど」
「はは、だから真白も怖いんだよな」
なんだ、意識して重ねていたのか。
それなら一番怖いのは彼ということになってしまうけどもう細かいことはいいか。
英梨にはあれなものの別にみんなに対してそのような態度でいたわけではないのもいい。
「えー」
「でも、そういうところに助けられた面もあるからそのままで頼むな」
「えーどうしようかなー」
「はは、真白もふざけたいときがあるんだな」
「はは、私も人間だからね」
彼がいい顔をしているからきっと私も同じようになっていると思う。
まあ、どうしても私らしく生きていくしかないから大丈夫だろう。
少なくとも急激に変わることがないことは保証できるから安心して側にいてくれればよかった。




