第64話 庚辛
「何をするんですかサルくん!」
「なんか腹立った。ま、情緒不安定から戻ったようで何よりだが」
「おや珍しい! 心配してくれたんですか!?」
「俺がお前を心配するとでも? ウサギさんの呪いに巻き込まれるのが嫌なんだよ」
月面でウサギが2羽、言い争っている。そんな2人はともかく、問題は彼らの様子がおかしくなってしまった呪いについてだ。
「あの、十干の欠片が呪いの原因って、どういうことですか?」
「ああ、イタチに渡された手紙に書いてあったでしょう? 十干の欠片が人間界における問題を起こすってことを」
「ワタシは裏木兆くんなる人間に十干が入っていると踏んでいましたが、実際彼は被害者でしたね。それこそ、ワタシたちを脅かす呪いの発動条件そのものでした」
「呪いの発動条件……?」
「裏木兆と、あの3匹のうちいずれか、そして俺たち西方合が揃った瞬間、辛に起因する呪いが発動する」
「3匹揃えば呪いは強力になって、他者を攻撃するようになる! いやはや、強敵ですねえ!」
鼬雲さんからの情報では、人間に十干の欠片が入っていて、それが人間界で悪さをするとか。
ただ、2人の話を聞く限り、十干の欠片は裏木先輩ではなく、お供の3匹の方に入っていたということらしい。
「どうして十干は、十二支にそんなことするんでしょうか。干支の結びつきを考えるに、仲間なんじゃないですか……?」
「俺たちにとって十干は指南役っす。仕事仲間といや間違いではないっすけど、基本は俺たちに無茶振りしてきたり、いじめ倒してきたりするっすね」
「い、いじめ倒す!?」
「このウサギくんの世界みたいなものですね! 少しでも精神が弱っていると、喝を入れにやってきますから!」
「この、馬鹿犬があああ!」
遠くからそう怒鳴り声が聞こえれば、俺たちがいる月面に、突如と隕石のように何かが衝突した。
その正体は、申酉とは違い、ちゃんと人間の容姿をした戌慈さんであった。
「お、やってるやってる」
「戌慈さん……!?」
「う、ウサギさん! 僕を叱ってる暇ないですよ! 早く呪いの元凶を捕まえて、十干様を取り戻さなければっ!」
「うるさいうるさい! いいかげん、神じゃなくて僕たち十二支を見てよ!」
今度は地団駄を踏んでいる李卯さんが現れる。通常人間時の彼の髪はハーフアップで結ばれていたが、今はその髪も下ろされていて、制服ではなく着物を着ている。
「おや、久方ぶりにそのお姿を拝見しましたが、変わらず美しいですね! あ、我が君。このウサギくんの呪空間から出るには、このウサギくんの自我に許可を得るか、倒して無理やり元の世界に戻るかの2択しかありませんっ!」
「そ、そんな……」
李卯さんの自我は、その姿は優雅ではあるが、瞳に強い信念が滲んでいた。
気に食わない者は蹴り飛ばす。まさに戌慈さんがそうなってしまったわけで、彼に認められるには一筋縄でいかない気がする。
しかし、この状況で彼に向かって歩いていき、話しかけた者がいた。
「ウサギさん、さっき頰切っちゃって悪かったっす。四席のあんたなら、いくら相性が悪かろうが俺に勝ってくれると思ったんで」
「おいサル! ここから出たくないのか!?」
申弥さんが李卯さんを挑発するようにそう言った。
案の定、李卯さんの双眸が彼を睨みつけるから、戌慈さんが咎める。
しかし、その様子に反して、李卯さんは優しく、ウサギと化している申弥さんの頰を撫でるように触っていた。
「サル……あんたはそのままでヨシ!」
「あざ〜す」
「はあ!?」
「あーあ、支合と向かい干支より先に認められちまったぜ」
李卯さんの自我に認められたからなのか、申弥さんの姿がウサギから人間の姿に変わる。そして、酉奈さんと戌慈さんを見下ろして笑った。
「んじゃ、俺は十干の欠片探してくるんで。お前らはウサギさんに認められるよう、せいぜい頑張れよ」
「あっ、こら待て! って、う、ウサギさん……僕から手を放してくれません……?」
「やだ」
「サルくんはやはり薄情ですねえ。そこがいいところでもありますが……おや、どうしたんですがウサギくん。ワタシの顔に何か用事が? さっきまでのサルくんと同じだと思うんですがねえ!」
「やかましいチキン野郎。臆病者に発言権はない」
「おや手厳しい。それなら、あなたにも話す権利はないのでは?」
「ゆ、酉奈さん……?」
「……トリ?」
どこか酉奈さんの纒う空気が変わる。切先を突きつけられ、命を取られる寸前のような、そのくらいの緊迫感があった。
「ワタシとあなたは、表裏一体。ワタシもあなたも、原型の呪いは他者を自分と同じ姿にするもの。それは自分が嫌いだからですよね?」
「ふうん。あんたやっぱり、トリじゃないでしょ。さては辛、あんたが乗っ取ってるな?」
「おや、見破られましたか。しかし卯の氏、呪いの質が落ちぶれましたな。ああ、嘆かわしい」
「それはどうも。僕はあんまり、自分の呪いが好きじゃないし」
酉奈さんの姿が、ウサギから元の人間の姿へと変わる。その白い長髪は光沢を放っていて、まるで彼の髪そのものが、1つの刀のように思えた。
しかし、どういうことだ。今まで会話していたのは、酉奈さんではなく、十干の辛だった、ということになるのか。
「か、かのとさまなのですか……?」
「辛。あんた、選抜の件をどこまで知ってる」
「答える必要はない」
そしてもうひとつ、聞き慣れた声が耳に入る。
「……うげ、サル。あんたまで庚に乗っ取られたってわけ」
「かのえさま……」
「兄さま。ああ、嘆かわしいことだ。申の氏もダメですか」
「おまえたちは、もう干支の状態で自我を保てぬ。すなわち、十二支に値しないということだ」
「ですから卯戌支合。申の氏と酉の氏を元に戻したくば、僕たち庚辛と戦ってください」
この状況下でわかることは、酉奈さんと申弥さんは、十干の欠片に乗っ取られてしまったということ。
そして、彼らを正気に戻すためには……彼らと戦うほかないのだ。
「ふん、僕の呪空間に入っておいて随分と舐めた態度だね。いくら僕を相剋できるからって、調子に乗りすぎだ」
「ウサギさん……」
「イヌ。退路を作るから、あんたは精霊を連れて人間界に戻って」
「無茶ですよ! この場に凄まじい金五行が満ちていること、僕にもわかります! 火五行ですら相侮されるほどでしょう!?」
「判断が遅いと負ける。過去に散々教えたはずだが」
「斬れ、陰式金五行よ」
「イヌっ! 精霊を連れて逃げろ!」
十干、辛に乗っ取られている酉奈さんが放った一撃は、足元の地面を切り裂いて、真っ二つに割る。
俺は足場が崩れる瞬間に、戌慈さんに抱き抱えられる。
そして李卯さんによって作られたのか、宙に浮いている小さな足場を踏んで、申弥さんや酉奈さんがいる方向から少しずつ離れていった。
(ウサギさん! 呪いを解いてください!)
(解いたら、人間界に危険が及ぶ! あの学校って建物が真っ二つになってもいいの!? ほら、さっさと遠くに逃げる!)
2人の思念伝達が聞こえてくる。
そうか、現実世界でもしこんなことやられたら大変なことになる。だから、李卯さんは呪いを解くことができないんだ。
俺を連れて逃げる戌慈さんは、苦悶の表情を浮かべていた。理由は痛いほどわかる。追い詰められている支合を、助けることができないからだ。
俺はいつも、彼らのお荷物になってしまう。何度も、何度も、幾度となく自分の無力さに打ちひしがれてきたのに、また、何もすることができない。
(うん、そうだね。君って自分が無力だと落ち込んでばかりで、何かをしようともしないよね。本当に、それでいいの?)
(あ、あなたは……?)
急に脳内で声がする。どこかで聞いたことのあるような声だった。
(あは、モモ太の中にいた十干、戊だよ。ねえ、庚辛くんたちを止めたくない?)
止めたい。でも、どうやって。
(陽は自信を持ち、陰は怨恨を持ち、そして神は、その両方の性質を合わせ持ち、傲慢であれ。君に足りないのは、自信と怨恨、そして自分が神であるという自覚。生まれたてのときは、その自覚が多少なりあったのにね?)
自分が、神である自覚……?
(そう、神である自覚。そうだなあ、参考にするなら、十二支五席である龍神かな。彼は傲慢そのものだから)
「……戌慈さん。俺が彼らを止めるっていったら、協力してくれますか」
「セレンさま……!?」
「俺は、神様の分身です。十干は、神様の配下にあるでしょう。だから、彼らは俺を傷つけることはできないはず」
そうだ。干支はその形はどうであれ、神様に忠義を尽くす。俺が、神なら、本当に神の分身だと言うのならば。
「だから俺が、2人を正気に戻します」
「……正気に戻るのはあんただよ。あんたを攻撃しないなんて確証ないでしょ。実際、部室に入るとき危なかったのを忘れたの」
「えっ!? 李卯さん……!?」
「う、ウサギさん! よくぞご無事でっ……あ、ケガしてるじゃないですか!」
気づけばすぐ隣で、李卯さんが俺たちと並走していた。しかし彼の着ている着物はところどころ破れており、肌が見えるところにはすり傷があった。
「金五行とは戦いづらくてほんといや。精霊、あんたの心意気は買うけど、無謀なことはすべきじゃない。僕みたいに上手く逃げられなければ、僕以上に傷つくことになる」
「……俺には、亜未さんの人形がついてますし、丑理さんからもらったお札もあります。十二支が傷ついているのに、もう何もしないでいるのは嫌なんです!」
「メエ〜、キョウリョクシマス!」
「……セレン様。僕も、あなたの助けになります。ウサギさん、お札があるということは、勝機はあるかもしれないですよね」
「戌慈さん……! 無茶を言ってすみません。でも、必ず俺が2人を止めます」
「……はあ、わかったよ。兎式呪法、兎月跳惑・月隠弱竹」
李卯さんが呆れながらも呪文を唱える。バラバラになっていた地面が元に戻っていき、足場が安定していく。
そして、地面の凹凸部分が光り輝き、そこから無数の竹が生えては竹林を形成し、俺たちの姿を覆い隠した。
「さあて。一旦、作戦会議といこうか」




