盤上の対決、仕組まれた一手③
圧倒的だ、圧倒的過ぎるほどにこの少年が繰り出す一手全てが致命傷になる。
持ち時間二十秒の中で、この少年はどれだけの策を考えているのだろうか。それを考えるだけで恐ろしい。
「口ほどにもないんだね」
少年は自らの持ち時間の中で、私へそう言ってきた。
「何がだ?」
「君、十器聖を何人か倒しているらしいじゃないか。だけどそれは自分が得意なフィールドに持ち込んだだけだろ。そんなお前が、僕に勝てるはずがない。チェスだけで成り上がってきた僕に勝てるはずがないだよ」
少年は感情的に駒を持ち、進めた。
駒は強く盤上へ叩きつけられた。
「何か勘違いをしていないか、少年」
「勘違い?」
「そもそもだ、得意不得意など人それぞれだ。だからこそ競技によって個人差が出る。だがな、私は限られた時間の中でできる全てのことをした。サッカー、バスケ、ゴルフ、ボクシング、チェス、勉強……。数えればキリがないだろう。
それでも私はここまで這い上がってきた。そんな私に不得意なフィールドがあると思うか?ーーない。
教えてやるよ。チェス外道、私に勝負を挑んだ時点で、貴様の敗北は決定事項だ。さあ反逆だ、反旗を翻そう。まだ決着は着いていないぞ」
私はキングの駒を持ち、少年を睨み付けた。
そこで少年は言う。
「なら見せてやる。あまりチェスを舐めるなよ」
「あまり私を舐めるなよ」
私は言い返してやった。
ムカついたから。イラついたから。腹が立ったから。そして何より、友を危険に晒しているから。
私の逆鱗に触れた。私はこの少年を許しはしない。
私は王の駒を一歩進めた。
「王を動かした?」
「何かいけなかったかな」
「王は不動であるからこそ王なんだ。王を動かすなど、言語道断、愚かだよ」
「それは私の思い描く王とは違うな。私の思い描く王とは、圧倒的力、頭脳、経験、それらを生かせる者のことだ。自ら動かずして、自ら戦わずして、私の中の王が大人しくしてくれるはずもない」
「だが分かっているのか。君が駒を取る度に、出口がひとつ消えていく。そして今のところ、君は駒をひとつも取っていない。勝敗は目に見えている」
「勝敗が?見える?」
「よく考えてみろ。僕の駒はひとつも取られていないのに対し、君の駒は既に七つも取られている。まあ、よく頑張った方だがな」
「勝敗は最後まで分からないさ」
「ならお前に刻み込んでやるよ。敗北を」
少年は力強く駒を進める。
「チェックメイト」
王を狙うように、その駒の行く手が王のいる場所に存在していた。もしこのまま王を動かさなければ、王は取られる。だがそもそも、その駒の隣にある私の駒を使えばその駒を取れる。
だが……
「降参するか」
「ちっ……」
確実に詰んでいた。
その駒を取ればチェックメイトは終わらせられる。それに王を動かせばいいだけの話。だがどこへ動かしても、まるでこの状況を読んでいたかのように配置された駒たちがチェックメイトへ王手をかけている。
動かしても負ける、動かさなくても負ける。唯一生き残れる手は、今動かされた駒を取ること。
「私は……」
「文月、負けんな」
その声が部屋に響いた。
その声の震源を見れば、そこには走ったばかりで疲れて息を上げている紅の姿が。
「なぜもう脱出を。あんな入り組んだ道をこんな短時間でか」
「その様子だと、この暗号を書いたのは君たちではないらしいな」
「暗号?」
紅の手には、チェスの駒の絵が描かれた紙が握られていた。
「この暗号は進む方角を表している」
その紙にはこのようなものが描かれている。
ポーンが一番左に描かれ、次にナイトの駒、その次はポーンとルークの駒が縦並びに描かれ、次にクイーンとビショップが縦並びに描かれ、最後にキングとポーンが縦並びに描かれている。
「ポーンは前へ一歩進む、つまり曲がり角が来るまで直進をすれば良い。そして次はナイト、これは道を見ればすぐに分かった。右の曲がり角を曲がり、そしてその後は左へ曲がり角をひとつ飛ばして直進、ナイトの動きと似ている。
次にポーンとルークだが、これには共通して進む場所が存在している。それは真っ直ぐということ。これはポーンと同じく、直進、そしてクイーンとビショップは斜め。斜めへ進み、最後はキングとポーンに共通している直進。それでようやくあの迷宮から脱出できた」
「誰だ。あの暗号を渡した奴は」
少年は周囲にいる男たちを睨み付けるが、誰一人として知らないらしい。
「まあ良い。ここまで追い込んだのだ。ここから負けるはずはない」
「いいや。ここで決着がつく。敗北するのはお前の方だ」
紅の解いた暗号の答えを聞き、私はこの状況から勝つ一筋の光を見出だした。
まだ決着はついていない。
「あまり調子にのるなよ」
「では始めましょうか。ここからの逆転劇を。五分もあれば十分だ」
それから五分、状況は一転していた。
少年の駒は王以外は全て取られ、その周囲を無数の駒が囲んでいた。
「どうした?王を動かすのか」
先ほどこの少年は言った。
王は不動であるからこそ王であると。だが王を動かさなければ、動かしたところで敗けは目に見えている。
今この場で、少年は完全に詰んでいるのだから。
少年は渋々キングを動かした。だがチェックメイトであることに変わりはない。
私はクイーンを真っ直ぐに進め、キングの駒を倒した。
「百二十一手、私の勝ちだ」
私はクイーンでキングの駒を取った。
これにより、少年は全ての駒を失って敗北した。
「紅、帰ろうか。もう暗いし」
「うん。ありがとうね。文月」
「礼には及ばないよ。ただ今回も、私を倒せる者はいなかった。また私は勝ってしまった。私は完璧だからな」
「さすが文月」
いつ現れるのだろうか。
私へ黒星を与える魔王は。
幾度も重ねた戦いの中で、彼女は退屈を抱きつつあった。
このまま負けることはないのだろうか、彼女は傲慢であり、怠惰である。そしてーー強欲だ。