咲き誇る紅の思い、天才VS優等生⑤
それはまだ紅が競泳を始めたばかりの頃。
泳ぎの練習をさせられていた紅を、そこの水泳クラブの団長と二番手であった照照光才叉は見ていた。
「団長。今年は不毛ですね」
「ああ。あの紅とかいう子は泳ぎも得意ではなさそうだし。少なくとも選手にはなれないだろうな」
団長は紅へ、劣等生というレッテルをつけていた。
だがそれを聞いていた水泳クラブの一番手である蒼青明は、ゴーグルをつけると、紅が泳ぎの練習をしている場所へと飛び込んだ。
「おい蒼」
(すいませんね団長。私は自分の練習よりも、この子の才能を磨いてみたいと思いまして)
突然蒼が水の中から現れたことに、壁に手をつけて足をばたつかせている紅は驚いた。
「やっほー紅。私は蒼青明。気軽に蒼ちゃんって呼んでくれ」
「な、何の用ですか」
怯えるように、紅は蒼へそう訊いた。
その問いに笑みを浮かべつつ、誇らしげに蒼は言う。
「私が君を一流の競泳選手に育てよう」
それからというもの、紅は蒼によって競泳のコツなどについてを徹底的に叩き込まれた。そしていつの間にか、彼女はそこの水泳クラブの中でも上位の競泳選手となっていた。
そこまで来るのにわずか一ヶ月。
蒼が何年もかけてたどり着いた領域に、彼女は平泳ぎでゆったりと追い付いてきたのだ。
「紅。やはり君には才能があるんだな」
「ありがとうございます。これも全て蒼先輩のおかげです」
紅の伸び代は彼女自身のものが大きいだろう。
蒼は紅が自分を追い越すほどの成長の早さに驚きつつも、練習を辞めることはなかった。彼女は自分の手で首をしめるように、ライバルへ日々競技のコツを教えていた。
いつしか紅は大会のメンバーにも選ばれるようになっていた。始めてから一ヶ月だというのに。
「蒼先輩。ありがとうございます。ここまで来れたのは先輩のおかげです」
蒼は何か言いたげではあったものの、それをごくりと飲み込んだ。
「これからもビシバシおしえてやるから、覚悟してくれよ」
「はい」
自分よりも才能がある。
蒼は紅へそんな眼差しを向けていた。
どうして彼女なのだろうか、そんな嫉妬……というわけではない。ただ蒼は紅が成長してくれることへの喜びで、紅が競泳を楽しいと思ってくれている喜びで自分の感情を押し殺した。
それを見るに見かねた照照光は、蒼を呼び出して、二人きりの時に言った。
「蒼、本当にこのままで良いの?」
その問いに対し、蒼はとぼけるように言った。
「何のことだ?」
「何のことって……蒼は自分の練習を優先しなよ。どうしてライバルに練習なんかを教えているんだよ。もっとやるべきことがあるだろ」
それはこの上ない正論であった。
しかし熱く語る照照光に対し、蒼は笑みを見せ、諦めたように言う。
「良いんだよ。いつだって才能は理不尽なんだ。それを欲しがっている者がその才能を手に入れられず、第三者がその才能を有していることだってある。その第三者が紅だったというだけの話だ」
「でも、それじゃ蒼が……」
照照光は蒼のことを尊敬し、慕っていた。
それ故、彼女が他人のことばかりを思いやり、自分を後回しにしていることが許せなかった。
蒼には蒼の未来がある。それを分かってほしい。だから照照光は言葉を続ける。
「蒼は頑張ってきたんでしょ。毎日毎日頑張ってきた。もっと自分のために生きてよ。これは蒼の人生なのに、どうして蒼は他人のことばっかり気にするんだよ。たまには自分勝手に生きてくれよ」
照照光の強い思いに、蒼はゆっくりと口を開く。
「本音を言えば、なんで私じゃないんだって思うときもあるよ。けど、仕方のないことなんだよ。才能はいつだって自分勝手だ。選ばれたのは私じゃなかった……なんて……私だったら良かったのにな」
蒼は涙を流した。堪えていた涙が溢れ、止まらない。
「あれ、なんでかな。別に、悲しくないはずなのに……」
その涙は彼女がこれまで練習してきた成果であり、証であった。それだけの努力をしても、突然現れる才能にかなうことはなかった。
蒼だって悔しかったし、悲しかった。
努力を積み上げてきてようやくたどり着いた場所まで、まるで紅は最初からそこにいたかのように才能を発揮させた。一瞬でそこまで上ってきた。
悔しい、悔しくないはずがなかった。
涙を流した蒼を見て、照照光は何も言えなくなった。
彼女だって悔しいんだ、自分がこれ以上何を言えるだろうか。
その一部始終を、紅は聞いてしまった。
どうすることもできず、紅は気付かれぬようにその場から去った。
それから一年、紅は多くの大会で賞を掴み取り、栄光を刻んできた。競泳界も驚きの超人が現れたのだから。
だがそれに反し、紅の心が晴れることはなかった。勝つ度に彼女の胸に込み上げる謎の気持ち、それは無視できぬものであった。
自分が勝てば誰かが悲しむ。だからきっと、自分が負ければ誰かが喜んでくれる。例えば……蒼先輩とか。
誰にも相談できない思いを、紅は一人で抱えていた。
栄光を掴む裏で、彼女はいつも泣いている。偽りの仮面を被り続け、彼女は自分を隠し続けた。
「紅、やったじゃん」
「紅、今回も一位だったね」
「紅は相変わらず強いな。私なんかじゃかなわないよ」
「紅はこのままプロ一直線だ。期待しているよ。頑張ってな」
何で蒼先輩は私を応援するんですか。
私なんかを応援しないでください。私が勝てば、あなたが悲しむんです。なのにどうして、私の勝利を喜んでくれるんですか。本当はあなたも、一位を取りたかったはずなのに。
ーーそれでも私は言えないままだ。
私は蒼先輩に幸せになってほしい。
だからすみません。
……さようなら。
私は辞めた。
競泳から身を隠した。そして私という素人が目立たず、尚且つ複数人の競技、それをやって私は挫折を味わうんだ。
そしてサッカーを始めた。
何の脈絡もない。
当然、上手くはいかず、下手くそで試合にも出れなかった。いつしか社交性も失い、ろくに友達もできず、私はいつも一人でリフティングばかりを行っていた。
いつの間にかリフティングだけは誰よりも上手くなっていた。
これなら良い。リフティングだけが上手くなっているのなら良い。
「蒼先輩。これであなたは……報われますよね……」