第55話 マリカ、着任
プロペラ音を響かせて、鋼の翼を持つ鳥が空を切って飛ぶ。
既に5時間以上に及ぶフライトを経て、さすがに表情にはやや疲れが見えるが、その目は力強く開かれており、はるか遠くまで空を見渡していた。
「そろそろかな~、っと……っ! 見えた!」
風防の向こうに見える景色の中に、見覚えのある――といってもだいぶ遠景になってしまっているが――街並みを見つけて、マリカは歓喜する。
はるか遠くに、しかし、鍛えたその目にははっきりと見える『ヴォーダトロン』の街並みを見て、フライトの終わりと、同時に、『新生活』の始まりがよりはっきりと実感できてきていた。
だが同時にその視界に、横から割り込むように、余計なものも見え始めたことで、高揚した気分に水を差されたような感触を覚えた。
「っ……あいつらかぁ……!」
それは、忘れようと思っても忘れられない相手だった。
今から数えること1ヶ月以上前。初めてヴォーダトロンに、あの時は救援要請という用件で来た際……空を飛んでいる時に大挙して襲って来た、鳥型のクリーチャー。
サラセニア周辺に住んでいる『イオンバード』と、恐らくは同種、あるいは近縁種だろう。細部が異なるが、生態や戦闘方法は似たようなものであるようだ。
ここに来るまでは高高度を飛んできた。ゆえに、飛行種族のクリーチャーの縄張りを通過しても追われることは……というより、気付かれることはなかった。
あの時は、普段使っているバディや編隊飛行による連携戦術も使えず、さらに数が多すぎたために単騎では対抗できず、機体を破損、不時着するという結果になってしまった。
そして見る限り、今こちらに向かって来ている群れも、あの時と同じくらいの数がいる。
またしても危機的状況か、と、傍から見ていれば思うだろうが……マリカの顔に焦りはない。
それどころか顔には、得意気、と言っていいような笑みすら浮かんでいる。
それは、目の前にいる、生意気にも編隊を組んで向かってくる鳥たちが、絶対に自分を害することができないという確信があるからこそであり……その鳥達の向こう側に見えた、あるものの存在を認識していたからこそだった。
おそらく、鳥達は最初、あれらを食らうために移動していたのではないだろうか。それを、自分達の縄張りを、しかも空を堂々と横切っているマリカを見つけたがために、こちらに狙いを変えた。
我ながら間の悪い、などと考えて呆れているマリカの目の前で……次の瞬間、
地上から勢いよく、十重二十重の赤い閃光が放たれ……弾幕となって鳥の群れに殺到。
難なくその体を貫通し、流血する暇もなく傷口を焼かれ、鳥達はあえなく墜落していく。高度が高度だ。墜落した場所が川や湖でもない限り、その死体は原型を保ってはいないだろう。
当然ながら、それらの閃光……熱エネルギーを凝縮させた非実体のレーザー兵器は、マリカの『三式』には1発もあたることはない。
「派手なお出迎えだなぁ……まるで花火みたい」
まるでマリカの到着を祝う花火か何かのように、真昼の空に盛大に打ち上げられた閃光。
それを放った張本人である『レックス』が、眼下の地上で咆哮を上げる。
同時に、相手方の通信装置の効果範囲内に入ったらしい。
スピーカーから、数日ぶりに聞く声が聞こえて来た。
『あー、こちらハルキ。フライトお疲れさん、マリカ、あらためてようこそ、『ヴォーダトロン』へ』
その声を聴いて、自然と柔らかな笑みがマリカの口元に浮かぶ。
「お仕事お疲れ様、ハルキ。盛大な歓迎の花火ありがと。っと……現在時刻1149、着陸許可を」
『1149、要請を承認する。速やかに着陸されたし。……えっと、コレでいいんだよな』
『めっちゃ棒読みっすね、ハル』
『しゃーねーだろ、台本渡されてそれ読んでるだけだぞこっちは。管制塔の真似事やらされてるのだって、『レックス』が一番遠くから通信届けられるからだってだけだし』
「お2人さーん、そういうのせめてオフラインでやんない? 相変わらず緊張感ないなー」
『これから一緒に働く同僚相手に過度に緊張しても仕方ないだろ』
「それもそっか、ふふっ」
通信の向こうから聞こえてくる兄弟漫才に苦笑しつつ。
新路上に障害物なし。滑走路も……どうやら、急造ではあるが用意されている。
マリカは気を取り直して、新しい仕事場となるそのフォートに……待ち構えていた軍人や式典参加者達の視線が集中する中で、操縦桿を操作し、ゆっくりと高度を下ろしていった。
☆☆☆
着陸から、マリカによる『油翡翠』の結晶の贈呈。
滑走路上を簡易の式典会場として、ヴォーダトロン総司令・アルフレッドが直々に参加して執り行われたそれら一連のことは、つつがなく行われた。
報道機関の取材も入り、パシャパシャとカメラのシャッターが切られる音が響いていた。早ければ今日の夕方、遅くとも明日の朝刊で、両フォートに友好的な関係が築き上げられたことが、式典の写真と共に報じられるだろう。
そのままマリカは、いくつかの手続きを終えた後、『連絡将校』として正式に着任。
既に『第7特務部隊』の事務室には彼女のデスクが、宿舎には彼女の部屋が――ちなみに前回の滞在時と同じ部屋だ――用意されているため、すぐにでも業務に取り掛かれる体制になっている。
とはいえ、6時間近くに及ぶフライトを終えた後であるので、流石に今日から早速仕事を割り振られるなどということにはならず、ひとまず今日は、彼女の他にここに赴任してきた者達と同じように、今後の仕事に関する説明と、総司令部内の各施設の案内などに充てられることとなった。
とはいっても、彼女は以前に既に数週間、この司令部に滞在している身である。
知りつくしている……とまでは言わないものの、日常生活で利用する必要がある施設の場所や使い方くらいは、まだ最近のことであるので、問題なく覚えており、改めて聞く必要はない。
もちろん、新たに覚える必要がある知識も、ないわけではない。
主に『第7特務部隊』や、そこでの仕事に関すること、前回とは違う立場になったことで、新たに立ち入れるようになったエリアや施設などがそれにあたる。
それについても、さほど時間はかからなかった。
仕事については、マリカももともと軍人として『サラセニア』で働いていた身だ。中身の詳細は異なるとはいえ、基礎の部分、ないし大枠に関してはそう違わない。覚えることは多くはない。
となると、残るは施設などに関する説明である。
これに関しては、前回と同様に、そして今となっては同僚という立場になったメリルが行うことになった。それも、それほど多くはないのですぐに終わるだろうが。
「あそこが耐火書庫ね。火事になっても書類が無事なように、壁も扉もすっごい頑丈なの。扉は開けたら必ず閉めること。それから、奥にある黒い扉より先は、立ち入りと資料の持ち出しに許可が必要だから注意ね」
「なるほどねー……書類は全部ここで保管してるの?」
「よく使う書類は、事務室のキャビネットに入れてるけど、その他はね。あんまり古くなって必要なくなったら捨てる。シュレッダーして、契約してる業者に引き渡して再生紙の材料にしてる。重要な書類なんかは焼却処分するけどね」
「ふーん……でも、この前も思ったけど『ヴォーダトロン』はまだ結構紙使ってるのね。新聞とか情報誌も普通に売ってるし……『サラセニア』はほとんどデータだからやっぱ新鮮だな」
この『災害世紀』以降、当然ながら紙資源もそこまで潤沢に使えるようなものではなくなった。
原料となる木材については、二十一世紀初頭から、世界規模で『森が消えている』という指摘がなされ……それでも伐採や焼畑農業、温暖化による森林火災などが止まらなかったことから、もともと減少の一途をたどっていた。
『災害世紀』が始まり、クリーチャーが跋扈しだして以降、山野に人の手が入らなくなった分、皮肉にも地域によってはかえって緑が再生し、増えてきている場所が多い。ただし、そこから伐採して持ち帰り、加工するというプロセスにかかるコストが爆発的に増えている。
人里近くに残る緑の多くは、クリーチャーとの戦闘の余波でその多くが失われ、残ったわずかな植物も、資源の確保のためにほとんどを刈りつくしていた。
クリーチャーによる襲撃の危険もあるし、遠方から大量に木材を運ぶのは困難。
かといって、人里近くで悠長に植林事業を進めるような余裕はない。あったとしてもごくごく規模は限られる。
それまで先進各国で進められてきた、資源保護と情報化推進の観点からの『ペーパーレス化』と、従来のもの以外の材料で紙を生産する『合成素材紙』などによって、現在はなんとか紙資源の不足をやりくりできているフォートがほとんどだ。中には、ほとんどの業務を電子データと口頭のやり取りで行っているフォートもある。
マリカからすれば、旧時代ほどではないとはいえ、市民の間にまでかなり潤沢に紙が、それがたとえ、低品質の合成紙であっても出回っているというのは、前から驚いていた点だったのだ。
「施設の案内はこんなとこかなー……あと会議室とかあるけど、私達兵隊はあんまり使わないし。打ち合わせとかあっても事務室で大抵済むから、副隊長以上とかでないと縁ない感じ」
「そっか……じゃあ、他に見るものとかない感じ?」
「まあ、後は……あ、こないだ自販機に新しい飲み物入ったっけ。見てく?」
「おぉ、それはちょっと気になるかも」
そしてこれもまた、マリカが『ヴォーダトロン』で特に驚かされたことの一つだった。
世界中の主要都市や施設から、既に失われて久しいと言われている『自動販売機』。マリカ自身、初めて見て、そして使うことになったそれに、まるで遊園地のアトラクションを目の前にした子供のような、何とも言えない気持ちになったものだった。
もっとも、その時に聞いた話では、ハルキとアキラも、初めてこれを見た時には驚いて、思わず記念に利用したと言っていた。その時マリカには、現在進行形でものすごく気持ちが分かった。
と、そこまで考えてマリカはふと思った。
「そういえば、今日の案内ってメリルだけだけど、ハルキ達は仕事?」
「ハルキ? ああ、うん、今日はちょっと、呼ばれてるって言ってたね。今は……」
「呼んだか?」
と、そんな声が後ろから聞こえて、マリカとメリルが振り向くと、噂をすれば影とでも言うべきか、ハルキとアキラがちょうど通りがかったところだった。
ただし、その姿はいつもの軍服姿ではなく、技術者や作業員が着るようなツナギ姿だった。頭にはタオルを巻き、手には軍手、腰には頑丈そうなベルトをつけ、いくつもの工具を下げている。顔には、オイルか何かと思しき黒い汚れがついていた。
軍服姿とは印象は大きく違うが、2人とも決して似合っていないわけではなく、むしろ妙に様になっていると言っていい姿だった。
もともと2人がジャンク屋の出であり、軍人や事務職としてよりも、技術者の方が本領だというのは前々からマリカも知っていたが、実際にそうやって働いている姿を見るのは初めてだった。
以前滞在していた時は、色々な仕事でハルキ達も忙しく、事務室にいたり、『レックス』で出撃することが多かったため、そして何より、前回マリカが立ち入りを許可された区域に、格納庫などは含まれていなかった。ゆえに見る機会がなく、実は見るのは今回が初めてだった。
2人共、何かの機材かパーツがいっぱいに入った、両手で持てるようなサイズのコンテナのようなものを運んでいた。中身が金属製だとすれば、見た目からしてかなり重いはずだが、特に辛そうでもなくけろっとしている。
「おー。お疲れ2人共、今日は整備班のヘルプだっけ?」
「おう、何か最近やること多くてマジで忙しいからって、隊長にガチで陳情入ったんだと。こういう時のための『特務士官』様でしょう、って……俺達の評価ってどうなってんだろうな」
「と言いつつ、私達としても、正直戦闘よりこっちの分野で褒められたり、頼りにされる方が嬉しいんすけどね。今はほら、『航空隊』の新設絡みで多忙どころじゃないから、猫の手も借りたい感じで……さっきまでマリカの『三式』の整備手伝ってたんすよ」
「え、ハルキ達それ大丈夫なの? 前は専門外だから下手に手出せないって言ってなかった?」
前と言ってること違う、とメリルが尋ねる。
マリカも『そうなの?』と視線で問いかけるが、一方で特に心配はしていなかった。
『三式』は彼女にとって大切な相棒だが、そのメンテナンスのための人員も『サラセニア』から連れてきているし、『三式』に関することは、少なくとも『ヴォーダトロン』側に、手伝いレベルでも任せられるだけの技量と知識を持つ人材が育つまでは、時間がかかっても彼らがやる、という話になっていたはずだ。
ゆえに、それに手伝いでも携われる立場にいるということは、その彼らがきちんと認めたということで……
「いやちょっと待って!? 私来たの今日なんだけど、何でもう『三式』の整備に加わってんの? え、ハルキ達勉強とかまだでしょ?」
「あーいや、俺ら『向こう』にいた時から、こうなること見越していろいろ勉強させてもらってたんだよ。格納庫入れてもらって、基礎的な仕組みとか教えてもらったり、簡単な手伝いとかしたり。あ、もちろん許可取ってたからな? 隊長にも、司令部にも、両方」
「どうにか最終日時点で『助手としてなら及第点』『航空機特有の専門的な個所じゃなきゃ任せられる』って言ってもらえてたんで、もう今日早速呼ばれたっす」
「えぇー……マジで? ハルキ達ってそんなにすごかったの? 技術分野」
「すごいよねー。私も、本職の技術班顔負けだって言われてることは知ってたけど、新しいことを覚えるのも早いんだ、2人共」
「ありがとっす。あーでも、他ならぬ自分の相棒のことっすからね……もし専門外の私らが弄るのが気になるってんなら、もうちょっと勉強して間置くっすよ?」
「いや、それはいいよ。うちの技術班が認めたってことなら、腕は確かなんだろうし……ハルキとアキラのことも、ちゃんと信用してるから。私の相棒、よろしくね」
そうマリカが言うと、ハルキとアキラは、ニヤリと上機嫌そうな笑みを浮かべた。
恐らくそれは、ちょうどマリカが空を飛ぶ前に、気分が高揚して自然と浮かべる笑みと似たような形のそれなのだろう。
ゆえに、その心中も、マリカは何となく察して、そしてそれでいてなお信頼することができた。
「ははっ、そこまで言われたらやる気出さなきゃ嘘っすね!」
「任せな、きちんと元気にしてやるよ。紙とインク相手にするより、鉄とオイルを相手にする方が得意だからな、俺ら」
そう言って、笑いながら歩き去っていく2人を、マリカは黙って見送りはしたが、最後まで目で追うでもなく、自分もメリルと一緒にさっさとその場から歩き去っていった。
素っ気なくしているわけではない。これもまた、ハルキ達を整備側のプロとして、信頼して任せる、特に心配したり気をやる必要もない、という意思の表れだった。
その証拠に、マリカの顔にはスッキリしたような笑みが浮かんでいたし、その目には不安や懐疑の色などというものは微塵も見られなかった。




