プロローグ
『誰か拾ってあげて下さい』
大きな衣装ケースに貼られた紙には、そう書かれていた。
風雨にさらされても大丈夫なように、ご丁寧にラミネートまでされている。
吉野ユウが、いつものようにビル清掃の仕事を終え、家の近くの公園を通り過ぎようとした時だった。
視界の端に違和感を覚えた。
「……あれ?」
今日まで絶対になかった物が、あるような気がする。
仕事帰りでお腹も空いている。
けれど、どうしても気になって、ユウは結局、公園の入り口へと引き返した。
そして見つけた。
「…………ぇえ〜?」
蓋の開いた大きな衣装ケースの中で、長い手足を窮屈そうに折り曲げて眠る男を。
最初はリアルな人形か何かだと思ったユウだが、どう見ても生きた人間だ。
面倒な予感しかしないと、本能が警告している。
ユウは元来、面倒くさがりな性格なのだが、さすがにこれを捨て置いてさっさと家に帰れるほど、冷酷ではなかった。
春先の夜はまだまだ寒い。
酒の匂いはしないとはいえ、こんなところで寝ていては何かと危険だ。
念のため少し距離を置いて、そっと声を掛けた。
公園は声が響くので、夜に大きな声は厳禁だ。
「…………すみませーん」
「……」
「……あのー。……え、生きてます?」
「……」
起きる気配がない男に、ユウは困ったように眉を下げた。
「放って……置けないです、よねぇ……」
ユウは一人ため息を吐きながら衣装ケースの前にしゃがみ込んだ。
目線が低くなると、こてんと頭を傾けて眠る男の顔がよく見えた。
この人はもしかしたら、恐ろしく顔が良いのではないだろうか。
無邪気な寝顔は、悪い人には見えない。
「……一体何をして捨てられたんでしょうね……」
自然と込み上げてくる苦笑いをそのままに、ユウは男と同じように首をこてんと傾げた。そして、ようやく正解に辿り着いた。
「…………警察に、電話した方が良さそうですね」
ユウが立ち上がろうと、膝に手をついた時。
「……んあ、……あれ?」
「あ」
男の目がゆっくりと開いた。
重そうな瞼の奥に、茶色い瞳が見える。
ああ、目が合っている。
ユウは、身の危険を感じるより先に、そんなことを思った。
「…………おはようございます」
「え、あー……、おはよう、ございます?」
男は頭をぽりぽりと掻いてぼんやりとそう言った。まだ目が覚めていないのだろう。
こんな状況で、そこまで深くよく眠れるなと、ユウは感心してしまう。
「……あのー、風邪引きますよ?」
「おわ、確かに! 何か寒いと思ったわ! アイツら毛布忘れてんじゃねーか!」
男はきょろきょろと辺りを確認すると、足元に押し込まれた大きなリュックを見つけて、安心したように息を吐いた。
「あー、良かった。荷物はあった」
そう言って衣装ケースから足を投げ出した。小さな湯船にでも浸かっているように見える。
「あのー……? 大丈夫、ですか?」
「あー、はは! いや、大丈夫じゃないっぽい! 冗談だと思ってたけど、俺、普通に捨てられてるわ」
なんとも楽しそうに笑う男に、ユウは困惑した。
一体この人は何なのだろう。
やっぱり関わらない方が良い気がする。
ユウがゆっくりと身を引こうとした時。
「ここってさぁ、街灯少なくない?」
突然の質問に、ユウは動きを止めた。
――がいとう……? 街灯のこと? え、今……?
「……灯りのことで、合ってますか?」
「うん。若い女の子が、こんなさぁー? 真っ暗な時間に外歩いてたら、危ないんじゃないのー?」
今度こそユウは目を丸くした。
――わぁ……今、一番そのセリフが似合わない人に言われた……
「たぶん、あなたの方が……危ないと思います、よ?」
「俺〜? 大丈夫、大丈夫! こう見えて強いし!」
「あ、いえ……そうではなく……警察的に……?」
「あはは! ね?」
それでも緩く笑う男に、ユウは毒気を抜かれたのかもしれない。
『真っ暗な時間に外歩いてたら、危ないんじゃないのー?』の言葉が、妙に温かく感じてしまったからかもしれない。
もしかしたら、最初の茶色い瞳に父を思い出したからかもしれない。
だから、言ってしまったのかもしれない。
「一日だけ……拾いましょうか?」
それが、二人の始まりだった。
***
「……おい、おいおいおいおいおい!」
「どーすんだよ、拾われたじゃん!」
「めっちゃ普通の子じゃなかった……?」
公園の草むら。
そこに潜む大きな影が三つ。
今し方、二人が姿を消した方向を、呆然と眺めていた。
「もっとイケイケなお姉さんでないと危なくないか!?」
「あの子やばくね!? どうする!? 追いかけるか!?」
「…………いや、待て。アイツがすぐに手を出すようなクズじゃないことは、俺たちが一番良く知ってる。その上で、だ。これは……チャンスじゃないか……?」
「はぁ!? でもあんないい子そうな――」
「よく考えろ……! あいつに彼女ができれば、次に俺たちが彼女を作っても……あいつのことが好きになった、なんて言われずに済むんじゃねーか……?」
「なんなら、あの子と上手くいってくれたら、万々歳じゃねーか……?」
男たちは顔を見合わせた。
「「「…………よし、もう少し様子見だな」」」




