エキストラの仕事
朝の橘家の食卓には、美琴が作った朝食が並んでいた。
ふっくら焼き上げた卵焼きに、納豆。
なすがたっぷり入ったお味噌汁と、箸休めの浅漬け。
「いただきます」
みんなが一斉に箸を取る。
いつもの橘家の、いつもの朝だった。
「今日は午前と午後、どっちもエキストラの募集があるから、行ける人はできるだけ行って。空いた時間で、よろずやの仕事」
美琴はそう言いながら、手元の携帯を操作した。
「それぞれのスケジュール、今送るから確認しておいて」
ほどなくして、皆の携帯に今日の予定が届く。
誰が午前のエキストラに行き、誰が午後に行くのか。
そして、その合間に誰がよろずやの仕事をするのか。
美琴は全員の予定を見ながら、今日一日の動きを組んでいた。
「了解!」
「俺は午前の方な」
「俺は午後から行く」
それぞれが返事をし、今日の予定を確認する。
「よし、みんな今日もよろしくね!」
美琴の声を合図に、橘家の一日が始まった。
エキストラの仕事は、毎回同じというわけではない。
2、3時間ほどで終わるものもあれば、朝から夜まで1日がかりになるものもある。
日当も仕事によって違い、だいたい2千円から5千円程度。
決して大きな収入ではないが、売れない俳優たちにとっては貴重な収入源であり、何より俳優として現場に立てる大切な機会でもあった。
中には、有名な監督が手掛ける作品のエキストラ募集もたまにある。
台詞のないエキストラでも、運が良ければ現場で顔を覚えてもらえることがある。
それがきっかけで、別の作品に声を掛けてもらえるかもしれない。
だから彼らにとってエキストラは、ただ日当を稼ぐためだけの仕事ではなかった。
いつか大きな仕事につながるかもしれない。
そんなわずかな可能性を求めて、今日も彼らは現場へ向かう。
橘家の面々がそれぞれの仕事へ出かけた後。
しばらくして、佐々木節子が元気よく橘家へやってきた。
「おはよう、美琴ちゃん」
「おばさん、おはよう」
「和ちゃん、いるかしら?」
「うん、奥にいるよ」
「そう。じゃあ、ちょっとお邪魔するわね」
節子はそう言って、奥へ向かった。
「和ちゃん、おはよう」
「あら、節ちゃん。いらっしゃい」
「朝からごめんなさいね」
「いいのよ。どうしたの?」
節子は和子の向かいに腰を下ろした。
「こないだ朝市で山本さん、来てなかったでしょう?」
「少し気になってね。様子を見に行ってきたの」
「それでね、山本さんにどうしたのって聞いたら、娘さんが急に入院したんですって」
「まあ、それは大変ね」
「検査入院みたいなんだけど、10日くらいかかりそうなんですって」
「そう……」
和子が心配そうに頷く。
「でも、検査なら大きな心配はないのかもしれないわね」
「ええ。そうだといいんだけど」
節子は少し考えてから続けた。
「その間、山本さんも大変でしょう? お孫さんもいるし、今は夏休みだもの」
「そうね。娘さんがいないとなると、家のこともいろいろあるでしょうね」
「でしょう? だから私、しばらくお世話に行こうと思うんだけど……」
「ふふ、節ちゃんらしいわね」
和子が微笑む。
「掃除とお洗濯くらいなら私にもできるから、その辺は私がやるとして」
「ええ。それなら山本さんも助かるでしょうね」
節子はそこで少しだけ言葉を止めた。
「それでね……」
和子が節子を見る。
「お料理の方は、和ちゃんにお願いできないかしら?」
和子は一瞬だけ節子の顔を見て笑った。
「ふふ、もちろんよ」
節子がほっとしたように笑う。
「ありがとう」
節子が料理を苦手としていることを知っているのは、節子の家族と和子だけだった。
いつも着物をきちんと着こなし、涼しげで、どこか上品な節子。
そんな節子にも、人には知られたくない秘密がある。
料理だけは、大の苦手なのだ。
「じゃあ、私は掃除とお洗濯をするわね」
「ええ。私は料理を用意するわ」
「今日からお願いできるかしら?」
「もちろんよ。今日間に合うように、何か作っておくわね」
「ありがとう」
節子は嬉しそうに笑った。
夕飯の時間。
橘家の食卓には、今日も美琴の料理が並んでいた。
「いただきます」
全員が箸を持ったところで、美琴が口を開く。
「今日のエキストラどうだった?」
「俺、3千円」
「いきなり金額?」
「大事だろ」
「まあ……そうだけど」
「俺は5千円」
「おっ、いいじゃん」
「ただし、朝から夕方まで」
「……それで5千円かぁ」
「拘束時間考えたら、ちょっと微妙だな」
「そうなんだよ」
「じゃあ俺の2時間3千円の方がいいじゃん」
「いや、待ち時間ほとんどなかったからな」
「なんだよ、それ。自慢か?」
食卓が少し賑やかになる。
「で、何の役だったの?」
美琴が聞く。
「通行人」
「俺も通行人」
「俺は客」
「……みんな似たような役だね」
「エキストラだからな」
「そりゃそうか」
美琴は納得して、味噌汁を一口飲んだ。
すると別の一人が思い出したように言った。
「そういや今日、有名な監督だったぞ」
「え?」
「現場にいた」
「それ、本人?」
「たぶん本人」
「たぶんって何よ」
「いや、俺らエキストラだから近くまで行けないんだよ」
「ああ、なるほどね」
美琴は少し笑った。
「でも、顔くらい覚えてもらえたらいいのになぁ」
「俺、今日3回くらい監督の前を通ったぞ」
「え? もしかして覚えてもらった?」
「いや、たぶん邪魔だっただけだと思う」
「何してんのよ!」
食卓に笑い声が広がった。
「まあ、いいか、覚えてもらえてるかもしれないし」
美琴が笑う。
「コツコツ頑張っていこうね」
「はいはい」
「今日はちゃんとやったぞ」
「俺も」
「じゃあ、報告は終わりかな みんな明日もよろしくね!」
美琴がそう言って、また箸を動かす。
橘家の夕飯は、今日も賑やかだった。




