悠久の平和
「あー、もう本当に無理。限界」
「我慢しろよ。ほんの数時間だろう」
珍しいイリスの泣き言に対して珍しくリュカが諭しながら、二人は廊下を歩いていた。
そんな滅多に見ることのできない状況がなぜ生まれているかというと、戴冠式というイリスの晴れ舞台の直前だからだ。
昼間の陽光が差し込む長い廊下を歩きながら、二人は城の正面にあるテラスを目指していた。
あの戦いから、すでに半年が経過していた。
復興に向けてウィレンツィア王国一丸となって取り組んできたこともあり、王国は少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。
今回の戦いでは王都に大きな被害はなかったので、王都民の暮らしは大きな混乱なくあっという間に平時を取り戻した。
しかし復興に向けての一番の課題は、やはり国としての機能だった。
ドルシグの乱の際に城内で働いていた人々は悉く殺されていたため、先ずは人材を揃えるところから始めなければならなかったのだ。
そこでサンスタシア帝国やエダルシア王国から文官の派遣の協力をもらい、国の機能を取り戻すと共に、新たな人材の育成も実地のなかで行っているところだ。
しかしどんな政策や施策を行うにしても、誰が決済するのかということが宙に浮いたままで、各国からの文官達も前国王に決済を取ればよいのかイリスに判断を委ねればよいのかが分からず時間がかかってしまう場面もあった。
そこで国としての機能を早く整えるためにと、前国王は異例の速さで王位をイリスへと譲位する手筈を整え、今日正式にイリスの戴冠式が行われることになったのだ。
急な連絡になってしまったにも関わらず、各国に使いを出したところどの国も喜んで戴冠式への参加を申し出てくれた。その為、昨晩は国際会議並みに各国の要人がこのウィレンツィア王国に顔を揃えていた。
半年しか経っていないとはいえこの半年間が怒涛過ぎて、懐かしい顔ぶれとの再会にイリスも嬉しさを隠しきれなかったくらいだ。
そんな昨日を経て、先程ウィレンツィア王国の関係者と各国の要人のみで戴冠式を済ませたイリスは、これからテラスに出て、国民に向けて新女王のお披露目を行う予定になっている。
城の庭園には既に沢山の国民が集まってきている。亡くなったと思われていた王女が生きており、且つ今回の戦いの立役者であるということで、国民はイリスの登場を今か今かと待っている状態だった。
「すごい歓声。ここまで聴こえてきてる」
「当たり前だろ。ウィレンツィア王国どころか、他国の人間まで集まって来てるんだぜ?」
イリスの呟きを拾ったリュカが、得意気に情報を付け加える。
まだ城の正面に位置するテラスまでは距離があるのだが、この遠く離れたこの廊下にも歓声が届いていた。
「戴冠式の間に外の様子を見てきたけど、懐かしい顔ぶれもいたんだぜ」
「え、誰?……」
隣で愉しそうに笑うリュカの顔を覗き込んだ瞬間、その首に横一直線に伸びる傷痕が見えてイリスは思わず視線を逸らした。
今では怪我の状態も落ち着き、リュカはこうして普通に生活できるまでになっている。しかし激しい運動をすると呼吸器官に影響が出るようで、リュカは本当ならウィレンツィア王国騎士団に所属したかったのだが、騎士になる道は断念せざるを得なかった。
そのため今回の各国要人の警護も、ヴォルター率いる始動したばかりのウィレンツィア王国騎士団と、彼等を指導するレオンやロイ達をはじめとするサンスタシア帝国の騎士達が当たっており、リュカにその役割はない。
今日のリュカの役割は、イリスの緊張を解す付き人に過ぎなかった。
騎士に対して未練はあるようだが、リュカはそんなことをおくびにも出さずに過ごしている。
そのことがかえって、イリスは申し訳なかった。
「……また気にしただろ?」
イリスが視線を逸らしたことで、何を思っているかを察したリュカが回り込んでイリスの顔を覗き込んだ。
イリスは咄嗟に、顔自体を逸らしてリュカの視線から逃れる。
「……気にしてない」
「嘘つけ。……本当に、これ以上の謝罪と礼は沢山だからな?」
呆れたように肩を竦めた後、リュカはさっさと歩き始める。追及されなかったことにほっと胸を撫で下ろしたイリスも、その後に続いた。
イリスがあの時のことを謝るたびに、リュカからは『生きていたんだから別にいい』と言われ続けている。イリスが気に病まないようにそう言ってくれているのだから、出来るだけ気にしないように努めてはいるものの、心情的にはそうもいかない時も多かった。
「そうそう、さっきの話だけど、ちらっと見ただけでもゲイリーのおっさん達がいたし、ソルとルナを連れたアレクがいたな」
「本当?!後で会えるかな。ちゃんとあの時のお礼が言いたい」
昨日の晩餐会は各国の要人ばかりなので、会えたのはエダルシア王国のガルーラ国王やオートレア王国のマルグリット王妃などだ。
期待を胸に問いかけたイリスだったが、リュカは難しい顔をした。
「うーん、どうだろ。会わせてはやりたいけど、今日は無理じゃないか?」
「えー」
分かってはいても不満気にイリスが口を尖らせれば、リュカは突然笑い出した。
「ははっ。そんな綺麗な格好でむくれた顔すんなよ。明日ならおそらく、少しだけなら時間を作れるだろ?」
今日のイリスは、その瞳の色を思わせる翡翠色のドレスに身を包んでいる。戴冠式で身に着けた王冠が、琥珀色の髪の上でキラキラと輝いていた。
「あー。でも、ステラが妊娠してるっていうし、アレクはすぐ帰っちゃうかもな」
「それは……きっとそうね」
あの戦いの後ステラの妊娠が判明するや、アレクはステラの身を案じ過保護なくらい世話を焼いていると聞いている。
愛妻家のアレクのことだ。すぐにでも飛んで帰るに違いないとイリスも思った。
「ま、でもさ、そしたら赤ちゃん産まれたらまた来てもらえばいいんじゃん」
「……そうね」
リュカは簡単に言うが、今日の戴冠式が終わればイリスの立場は王女からウィレンツィア王国の女王となる。そうそう簡単に出歩ける立場ではなくなるだろう。
(私は会いに行けないけれど、私に何かあれば会いに来てくれるかな)
今回の戦いにも協力してくれたのだ。何かの折には来てくれそうな気がした。
(私に何か……そうね。別に戦いでなくても、弔事か慶事の際には来てくれそう)
歩きながら、イリスは腕を組んで考え込む。「せっかくドレス姿なのにそんな恰好するなよ」と隣でリュカが溢しているが、イリスはそれを聴き流した。
(おじい様が亡くなるなんてまだ考えたくないし……であれば慶事ね。戴冠式は今日終わってしまうし、他に国内外からも賓客を集うようなものならアレク達だって来てくれそうだけど……)
そこまで考えて、イリスははたと前国王の言葉を思い出した。
――私が存命のうちに、ぜひ孫の顔が見たいものだなと思ってな。
「イリスどうした?!」
「なっ!……何でもない!」
突然耳まで真っ赤にしたイリスが廊下の真ん中で立ち止まったので、リュカが何事かと慌てて声を掛ける。だがイリスは声を掛けられたことで、更に心臓が口から飛び出しそうなくらい驚いた。
慌てて頬を両手で押さえ赤くなった顔を隠したイリスは、何事も無かったかのように再び歩き始める。
「……本当に大丈夫か?」
「うん、何でもない、大丈夫!」
突然のイリスの奇行を訝しんでいるリュカの視線から逃れるように、イリスは足を早める。
(こんな時に、私ったら何考えてるの!)
まだドクドクと激しい音を立てながら鳴っている胸の前に手を置いて、大きく息を吐き出す。
(今は、目の前のことに集中しないと)
目的のテラスの前の廊下に到達し、イリスは足を止めて呼吸を整えた。
テラスのガラス扉にはカーテンがかかっており、外の様子は見えない。だが先程までいた廊下とは比べものにならない程王国民の歓喜の声が響いており、カーテンを隔てた直ぐ向こうの熱気が伝わるようだった。
「大丈夫か?」
カーテンの両側には騎士が一名ずつ立っており、そのうちの一人がイリスに声を掛けた。テラスに出たイリスを最前列で護るレオンだ。
「うん。大丈夫。ありがとう」
笑顔を返すも、それが強がりなのは見抜かれているようでレオンは眉を顰めた。
先程までリュカと他愛ない話をしていたのが嘘のように、イリスの身体は硬直している。手に力を込めて握っても、自分の意思ではどうしようもなく指先が小刻みに震えていた。
「イリス様。皆、王女としての貴方様ではなく、ありのままの貴方様を待っているのです」
「ありがとう、ヴォルター」
もう一方に立っていたヴォルターも声を掛けてくれる。気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いながら、イリスは出来るだけ微笑んで見せた。
「シャキッとしろよ!」
「!」
後ろから背中を叩かれ、驚いて振り返る。そこにはニカッと歯を見せながら快活に笑うリュカがいた。
「俺の知ってるイリスは、どんなに強い敵の前でも毅然としてたぜ?」
「……うん、そうだよね。ありがとうリュカ」
気を引き締め直し、震える指先を何とか力で抑え込む。深く息を吸って吐けば、自然と心は決まった。
「よし、行きましょう」
カーテンの両脇に立つレオンとヴォルターに目配せをすれば、二人は頷いてカーテンに手を掛けた。
それを合図に一歩踏み出そうとしたその時、イリスの手に温かな何かが触れた。
(……風?)
室内なのに後方から風が吹き抜け、イリスの手を撫でていく。イリスが視線を風が通り抜けた先に向けると、そこにはイリスの手に自身の手を添えて、前を先導するように歩く少年の姿が見えた。
歩きながら少年が、振り返ってイリスを見上げる。
その顔はまるで、一緒だから大丈夫だとでも言うように柔らかく微笑んでいた。
「ティ、っ!!」
目の前のカーテンが開け放たれ、眩しさに目が眩む。次の瞬間慌てて目を凝らすも、そこにその少年の姿はなかった。
不自然に前に伸ばされたイリスの手が、力なく垂れ下がる。
イリスは歩き出した歩みを、一度止めた。
だが次の瞬間、イリスは顔を上げると満面の笑みで呟いた。
「もう、大丈夫。心配かけてごめんね」
イリスはそのまま、光の中へと迷いなく進んだ。
大歓声に迎え入れられテラスへと消えていくイリスの背中を見つめながら、リュカは拳を握った。
「ちっ。どこまでいっても、俺は王子様には敵わないのかよ」
あの瞬間、急に歩みを止めたイリスは真っ直ぐに何処かを見ていた。そしておそらく、アリスティド王子の名を呼んだ。
その後急に落ち着いたイリスの様子を見れば、先程イリスの瞳に誰が映っていたのかなど容易に想像がつく。その後のイリスの発言もレオンとヴォルターに向けての言葉ではなく、彼に向けられたものだったのだろう。
「俺はいつか……貴方を越えてみせますからね」
今この廊下にはリュカ以外誰もいない。そんな虚空を見上げ、リュカは声を掛けた。
爽やかな風が駆け抜け、リュカの髪を優しく揺らしていく。
外からは止むことのない大歓声が、いつまでも響き渡っていた。
◇◇◇ ◇◇◇
「あばあちゃん、早く早くっ!」
「はいはい、今行きますからね」
腰の曲がった老婆を待ち切れずに、孫娘が花束を手に駆けていく。
行く先はエストラル城の北の外れ、今では慰霊碑が立っているその場所だ。
アリスティア女王は、アリス女王やイリス女王など様々な愛称で呼ばれ国民に慕われた。
ドルシグの乱という過酷な運命に翻弄されたが、仲間達の協力を得てドルシグ帝国から王国を取り戻し、その後王国の復興に尽力した賢女王としてその名が知られている。
女王は即位してすぐに、ドルシグ乱の際にドルシグ帝国が殺害した人々の遺体を燃やしたその場所に、慰霊碑を建てた。
その場所は城門内の北側に位置する場所だったので、防犯の面から普段は限られた人々しかその場所を訪れることは出来ない。
しかしアリスティア女王は再びウィレンツィア王国を取り戻した日を再国記念日と定め、再国記念日には城門内を広く王国民に開放し、慰霊碑に誰でも花を手向けられるように取り計らったのだ。
あれから、長い年月が経った。
再国記念日はもはやお祭り日となっており、国民に向けて祝辞を述べる王族の姿を一目見ようと、今日は国中から多くの国民が王都に集まって来ている。それに乗じて商売をしようと、王都の街道には多くの出店が軒を連ねており、お祭り気分を盛り上げていた。
今では、こうして慰霊碑を訪れる者の姿は稀だった。
見えてきた慰霊碑の周りは、今年も沢山の花が咲き乱れている。ひどいことがあった場所だけれどせめてこれからは安らかであって欲しいと、イリスが欠かさず手入れをしていた花畑だ。
イリスは自身が亡くなった際は、遺体を王族の霊廟ではなくこの慰霊碑の下に埋葬するように遺言を残した。
今では王配となったリュカス陛下と共に、ここに眠っている。
漸く辿り着いた老婆が、慰霊碑を見上げる。自然と潤む目尻を手で押さえ、そっと微笑んだ。
「年を取ると、涙脆くなっていけないね」
孫はもう慰霊碑に花を供えたようで、静かに手を合わせていた。
「ねぇ、おばあちゃん。おばあちゃんって、イリス女王とお友達だったんでしょう?」
手を合わせ終わった孫が老婆を振り返る。
それに構わず、老婆は孫の隣に並び立つと手を合わせ、ゆっくりと祈りを捧げてから口を開いた。
「……ああ、そうだね」
「ほんとに?トルカおばあちゃん嘘ついてない?」
「さぁ、どうだろうね?」
トルカは態と意地の悪い笑みを浮かべて見せる。孫は「えー」と不満を漏らしながらふくれっ面をした。
だが孫はすぐに気を取り直すと、ぱっと元来た道を駆け出した。
「トルカおばあちゃん、早く戻ろう。この後ロイおじいちゃんのお墓にも行くんでしょう?早くしないとお祭りに遅れちゃうよ!」
「はいはい、分かったから年寄りをそんなに急かさないでおくれ」
そうは言いながらも、子や孫がこうして毎年再国記念日に墓参りに付き合ってくれるのを嬉しく思いながら、先を行く孫の背を追いトルカも元来た道を戻る。
その時、そっと風が吹き抜け足元の花々を優しく揺らした。
何故だか無性に懐かしさに胸を擽られて、トルカは思わず慰霊碑を振り返った。
「……イリス……今年もウィレンツィアは、こんなにも平和よ」
抜けるような青空に、風が巻き上げた花弁が舞う。
昨日と変わらない今日が、今日と変わらない明日が。
この青空のようにどこまでも続いていた。
これにてこの物語も完結です。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
活動報告の方にも書いた通り、思うところは色々ありますが、先ずは物語として書き切ることが出来て良かったと思っております。
読んでみての感想やご意見などがありましたらぜひお聞かせください。今後の作品に生かしていきたいと思います。
最後に、読んでくださった皆様、本当に本当にありがとうございました!!




