閑話 それぞれの胸中 1
今回のお話は、イリスが過呼吸で倒れた直後のレオン視点のお話です。
――俺は今ほど、自分の選択を悔いたことは無かった。
イリスが倒れその場は一時騒然となったが、医療の心得があるエイミアという女の適切な対応もあり、現在イリスの容体は安定していた。
場が落ち着いた後、お互いのことについて基本的な事を話したが、当のイリスがこの状態なので今後どうするかなどの詳細は明日以降に話し合うことになった。
そうしてこのまま見張りを立てながらお互い交代で身体を休めようという段階になって、俺はヴォルターと揉めることになった。
「殿下にはテントの中でお身体を休めていただきたい」
ヴォルターが眠るイリスの身体の下に手を入れて横抱きにしようとするのを見て、俺はその手を上から払い除けた。
「却下だ。イリスはこのままここで寝かせる。テントの中で寝ていて、容体が悪化したらどうするつもりなんだ」
今テントの中では、午後から歩きっぱなしで疲弊しきっていたエイミアが既に休んでいる。テントは女性陣で使うことにしたのだ。
そのためイリスをテントに寝かせてしまうと、俺達が同室するわけにはいかないのでイリスの状態を診る人がいなくなってしまう。
今までの野営では、わざわざイリスのためだけにもう一つテントを張ることを本人が固辞したので一緒のテントで寝ることもあったが、他に女性がいるとなると話は別だ。俺達が一緒のテントに入れるわけがない。
だが俺の言葉の真意が伝わらなかったようで、ヴォルターは不思議そうに首を傾げた。
「容体が悪化しても、隣にはエイミアがいるだろう。エイミアなら、殿下の体調の変化にもすぐに対応することが出来るはずだ」
(馬鹿なのか?)
思わず悪態が口を付いて出そうになり、必死に心の中だけで言うに留めた。だが、寧ろ言葉にして知らしめてやった方がいっそ良かったのではないかとさえ思ってしまった。
なぜエイミアと一緒なら大丈夫という理屈になるのだろうか。エイミアが寝ずの番をするというのならばまだしも、既に眠り込んでいるのにイリスの僅かな変化にどうやって気付くというのか。
だがそこで、俺の言葉の意味を正しく受け取ったようで今まで静観していたロイが口を挟んできた。
「いえ、このままここで寝かせましょう。呼吸は安定してきていますが顔色が悪い。誰かが診ていて、僅かな変化にも即時対応できるようにしておく方が最善です」
イリスの容体はもう大丈夫だとエイミアは言っていたが、本当に大丈夫かどうかなど誰にも分からない。テントの中など目の届かないところで寝かせるなど言語道断だ。
「しかし、殿下がこんな野晒しの中でお休みになられるなど……」
ヴォルターの表情が苦渋に歪む。それには賛成な部分はあった。
俺だってイリスを少しでも心地良い場所で眠らせてやりたいと思う。だが今は、目の届かないところで何か不測の事態が起こることの方が怖かった。
華奢な割には基本的に健康体なイリスは、騎士団に入団してからも多少の体調不良ぐらいはあったが、大きく体調を崩して寝込むなどという事は無かった。
だからこそ今回倒れたのは異例の出来事で、俺の目の前で精神的な負担によって倒れさせるなど、あってはならないことだった。
もう二度と、イリスにこんな負担を強いたくはなかった。
「イリスは今までもこの旅の中で、こうやって野営をしてきてるんだ。昨日だって一昨日だって野営だったし。だから外で寝ることを本人が、嫌がったり苦に感じたりすることはたぶんないよ」
思わぬところからの援護射撃に、俺は目を見開く。
リュカスが同意を求めるように俺とロイを見たので、驚きを胸中に隠しつつ大きく頷き返した。たまには役に立つじゃないか。
「これでもまだヴォルターさんは、イリスの変化に気付かず寝入ってしまうかもしれないエイミアさんと一緒に、テントでイリスを眠らせたいですか?」
質問の形を取ってはいるが有無を言わせない声色でロイが言葉を投げかける。ロイにしては相手に対してこういう強気な態度を取ることは珍しいが、それだけロイもイリスのことが心配なのだろう。
俺はイリスのことになると、若干、本当に若干だが私情を挟んでしまう事がある。だがロイはそんなことはなく、常に第三者としての公平な立場を貫いていた。
だから俺は自分が暴走しそうな時にロイに止められれば、それに従うようにしている。ロイは常に冷静に、物事の全体を見て判断できるからだ。
そのロイが言うのだ。やはりイリスはこのままこの場で俺達が見守る方がいいだろう。
「……非常に遺憾だが、今日だけは殿下の体調を最優先にし有事に備えよう」
渋々、という感情を顕わにしながらヴォルターが低く呻く。俺はイリスを見守る権利を勝ち取ったことに安堵していた。
そう、言うなれば俺は完全に油断していたのだ。ここで本当ならば先手を打たねばならなかったのだが、俺の頭の中では完全にそのことが抜けてしまっていた。
「では、君達はこのところ野営続きのようだから、私が見張りをするから全員休むと良い」
「は?」
「君達は昨日も一昨日も野営で疲れているだろう?私はこの通りエイミアと一緒だから宿に泊まることが多かったんだ。十分休息が取れている。今日は君達はしっかり身体を休めなさい」
「……」
どこから切り崩そうかと考えるが、至極真っ当な正論で反論する僅かな余地も残っていない。
(誰だよ野営続きだって情報を与えた奴!)
こうなってしまった元凶を睨みつけるが、リュカスは自分の発言がこの事態を招いているとは微塵も思っていないようで、何故俺が睨んでいるのか心底分からないと言った表情で見つめ返していた。
(くそっ、腹が立つ)
その呆けた顔に心の中で悪態を吐くが、リュカスのせいでないことは百も承知だ。この件に関しては、ヴォルターの主張が正しいだけだ。
だが俺にも譲れないものがある。イリスは昔も今も俺とロイで護って来たんだ。これからもずっとそばで俺達が護る。
「俺も見張る。これだけは譲れない」
「しかし、見張りが二人いる必要はないよ」
二十近く年が離れているせいか、ヴォルターはどこか子供相手にするような態度で接してくるところがある。聞き分けのない幼子に言い聞かせるような物言いが余計に気に障った。
「どうあっても俺達も見張りをする。イリスを護るのは俺達の役目だ」
俺は啖呵を切り、これでもかとヴォルターを睨みつける。こんな言いがかりのような態度こそが子供っぽいと思うのだが、こんなことしか言うことができなかった。
しかしそんな俺を見て、ヴォルターは目を細めると優し気に微笑んだ。
「今まで殿下の事を護ってきてくれたことには感謝する。だが、今後は俺が責任をもって殿下をお護りしよう」
「は?」
予想外の言葉に頓狂な声が零れた。
(こいつは一体何を言っているんだ?)
あまりの衝撃に理解が追い付かず、周囲は時が止まったかのように静まり返った。しかしその言葉の意味を徐々に理解すると、胃の腑が焼け爛れるのではないかというぐらいの怒りの炎が、身体の中で燃え盛るのを感じた。
激情のままに声を荒げようとした俺の身体の前に、ロイの腕が伸びてきてその動きを制する。俺の前に一歩出るような形でロイが俺とヴォルターの間に割って入った。
「お言葉ですが、それは承服しかねます。俺達はイリスを護るようサンスタシア帝国皇帝、テオドール帝より命を受けています。これは勅命であり、覆すのならば国家間の問題に発展するでしょう」
ロイが一つ一つゆっくりと言葉を紡ぐ。一見すると平素と何ら変わりなく思えるが、ロイも憤っていることが俺にはひしひしと伝わってきていた。
俺の前に立つ背中はいつもと同じなのに、醸し出される雰囲気が全く違っていた。珍しいロイの姿に少しずつ冷静さを取り戻しつつあったが、次に発せられたヴォルターの言葉に俺の理性はあっけなく弾け飛んだ。
「君の方がそちらの彼より余程冷静だな。君なら殿下を共にお護りしてもいいと思えるが、そちらの彼には殿下を任せられるか甚だ疑問だよ」
「なんだとっ!」
衝動的にロイの前に出てヴォルターの胸倉に掴みかかる。慌てて隣からリュカスが止めに入ったが、俺は手を緩める気など更々なかった。
一方のヴォルターは、抵抗しようという気もないらしい。俺にされるがままだが、鍛え上げられた屈強な体躯をしているために俺の力ではびくとも動かない。
涼しい顔をしているのがまた気に入らなかった。
「言葉のままだよ。今だってそうだ。私の言葉一つで君は直ぐ熱くなり相手に向かっていく。そんな君の傍にいたら、殿下は常に危険に晒されるのではないかね?」
ヴォルターの言葉と今のこの状況に、ぐっと唇を噛む。この時になって、俺は試されていたのだと気付いた。
「今の君に見張りは務まらない。疲れているんだろう、冷静な判断が出来ていない。今日は休むと良い」
ヴォルターの言葉に、俺は睨み付けながらも何も言い返すことが出来なかった。
今までずっと、俺がイリスを護りながらロイとリュカスを引っ張って来ていた。その自負だってある。
だがここにきて、俺よりも経験豊富な頼れる大人が現れて、焦りや不安を抱えているのかもしれなかった。それでも俺は、このメンバーのリーダーとして、それを必死で取り繕っていかなければならない。
弱い部分など見せられない。俺は頼れる存在でなければならないのだ。
「俺は至って冷静だ。いらないと言われようと見張りはするからな。お前がイリスの体調の変化を見逃さないように、俺がしっかり見ていてやる」
精一杯の虚勢を張って言い放つ。
しかし当のヴォルターは俺の言葉に激昂するでもなく、逆に面白そうに笑みながら俺を見ていた。その顔に余計に腹が立った。
「まぁ、そこまでいうのなら見張りをしてもいいけれど、勝手に見張るというからには、この場に二人はいらないからね」
「……あっちでもイリスの状態と周囲の状況くらい見張れるさ!」
俺は売り言葉に買い言葉で、イリスを見守るために見張りを買って出たにも関わらず、結局離れた所で見張りをすることになってしまったのだった。
そして、今に至る。俺は今、海よりも深い後悔の中に沈んでいた。
だが、冷静になってくると見えるものも気付くこともある。
ヴォルターは口では俺にはイリスを任せられないと言っていたが、俺が見張るこの場所からでもイリスの顔が見えるように、自身が座る場所を元居た場所から移動してくれていた。お陰でこの位置からでも焚火の炎に照らされたイリスの表情を見て取ることが出来ている。
それに俺は、知らず知らずに色々な想いを溜め込んでいたのだと気付いた。あいつ等を護って導くのが自身の役割だと思っていたが、そんなことはないのだろう。リュカスは別としても、イリスは俺よりも強いし、ロイだって俺と遜色ない強さがある。
だが、強さとは力のことだけを言うのではない。寧ろそういう意味ではイリスは格段に脆いと言える。俺はそういう意味でもあいつ等を支えてやりたいと思う。
自分に出来るかできないかは分からないが、先の見えない状況であっても、あいつ等にとって、頼りになる、精神的な支柱でありたいと思った。
「単なる俺の、我儘かもしれないけどな」
そんな風に自嘲していると、イリスが身動ぎをした。起きたのかと思い咄嗟に駆け出そうとした瞬間、視線を感じて踏み留まる。
見ると、焚火を背に俺の方を向いて身体を横にしていたロイがこちらを見ていた。あいつも寝付けなかったんだろう。
イリスが起きたのに気付いて、咄嗟に俺に視線を送ってきたようだ。言葉は無いが、強い眼差しにロイの意志を感じる。その双眸は俺に、「動くな」と告げていた。
何故かと俺は訝しがる。イリスが起きたのならばその容体を確かめるのが先決のはずなのに、ロイは俺が近寄ることを制止した。ロイ自身も身体を動かすことなく、寝たふりを続けている。
訳が分からないまま様子を見ていると、イリスがヴォルターと会話を始めた。ここからでも会話が何となく聞き取れ、話の内容的に俺に秘匿するようなものでもなく、俺が介入することを止めるロイの意図が分からなかった。
「っ!」
その時イリスが膝から崩れ落ち、ヴォルターが寸でのところで支えるという事態が起こった。
流石に駆け寄ろうと脚を踏み出しかけたが、それは直ぐに止まってしまった。見ると、ロイも起き上がろうとしたようだがロイも途中でその動きを止めたままだ。
「……」
この旅が始まってからのイリスは、どちらかというと義務というか責任感というか、そういうものに突き動かされているようなところがあった。
自分の意思で行動している部分もあったが、そうではない要素も確かに存在していたのだ。今までは。
しかし今、ヴォルターと話すイリスには、はっきりと自分の意思がその表情に表れていた。
今までだって俺は、イリスのことをウィレンツィア王国の王女だと思っていなかったわけじゃない。けれど一緒に過ごした時間が、例え何者であったとしてもイリスはイリスだと俺に思わせていた。
だが自身の意志を明確にし決意を新たにしたイリスは、イリスであってイリスではないような、何だか別の人のように感じられて不安になる。
ウィレンツィア王国を取り戻すためには、いずれドルシグ帝国と戦うことになる。命をかける以上、義務感や責任感で臨むべきじゃない。だからこれは、イリスにとっては必要な過程だったのだろう。
ロイもこうなることが分かっていたから、俺の介入を止めたのだ。
だが俺にとっては、いつもすぐ傍にいたはずのイリスが手の届かない存在になってしまったような気がして完全に戸惑っていた。
このよく分からない胸の内をどう抑え込んでこれからイリスに接したらいいのか分からず、俺はその場に根が生えたように、呆然と立ち尽くすしかなかった。




