第五十五節 : 邪神顕現
第五十五節 : 邪神顕現
「やられた・・・」
ミュリッタが呻く声を聞いて伯爵が怪訝な顔をしていた。
銀翼と赤竜亭に報復といわんばかりに襲いかかると思えば次はカエルラに矛先を向ける。
後手に回って振り回されるミュリッタ達を嘲笑うかのように次にガルドーが打った手はまさかのロドピス狙いであった。
エナンにペンダントを付けておいたおかげでガルドーの出現を知ったミュリッタであったが最早打つ手は無かった。
その方面については基本的思考がお子様のままのミュリッタにはロドピスに寄せるガルドーの歪んだ思慕など想像が付くわけもない。そこまで彼女に執着していたなど考えもしなかっただけにミュリッタはガルドー自らロドピスを奪いに乗り込んで来た事にショックを受けていた。
『まんまと陽動に乗せられた挙句、指をくわえて見ているだけの間抜けにされるとは・・・』
思わず赤竜亭の一行に付いてやってきたティモの顔を見ると、相変わらずの笑顔で平然としていた。
「・・・よく笑ってられるわね。」
「これも因果の必然、ならばただ見守れば良いだけでしょう? ミュリッタちゃんは心配性ですね。」
すっかり"ミュリッタちゃん"が定着してしまったティモの言葉にミュリッタは天を仰いだ。
「あんた、こうなる事が分かってたでしょ。」
そもそも、エナンの新たな住処に結界を張らなかった時点でティモはガルドーに対してわざと隙を見せて誘導していたのだろう。なにが因果だこの邪神官め、と内心毒づくミュリッタであった。
そんなミュリッタにティモは微笑みながら容赦なく傷口へ塩をねじ込んでくる。
「うふふ、こうなる事は予想できなかったのですか? お子ちゃまのミュリッタちゃんには少し難しかったみたいですね。」
「うっ!・・・」
「そもそも、相手が狡猾であればこそ、本当の目的を悟られるようなあからさまな真似はしないものですわ。相手が右手で殴ってくる時は常にそれ以外の手足を警戒するべきなのです。」
「暴力神官様らしいご高説ね・・・肝に銘じておくわ。」
ミュリッタはティモに降参した。今はそれどころではないのだ。
ミュリッタはエナンのペンダントから伝わってくる僅かな情報を頼りに現在の状況を把握しようと集中する。だが強大な魔力の干渉に加えて邪神の力まで入り乱れた状態ではさすがのミュリッタにも今何が起きているのかを予想することは至難であった。
焦るミュリッタ。すると突然ティモがその目を両手で優しく覆い隠した。
「ミュリッタちゃん。私に見えているものを魔力の形として感じられますか? テス様がおっしゃるにはこれも魔導の技術らしいですわ。それならミュリッタちゃんにも見えるでしょう?」
ティモの言葉に間髪の迷いもなくミュリッタの頭脳がフル回転を始める。
神ならぬ大天使様の御業と思っていたものがただの魔導だと言われてはたぎらない訳がない。ティモから伝わってくる魔力の波動を読み取りながら、同時にエナンのペンダントからの情報を重ね合わせる。
その二つの重なり合うリズムを足掛かりに一気にティモからの波動の情報を分析していった。
そして数秒後・・・
「見えた!!」
小さく、誇らしげなミュリッタの叫び声は伯爵にもはっきり聞こえたのだった。
そこでミュリッタが見たのは壮絶な魂のせめぎ合いだった。
大天使に見える世界を垣間見た瞬間、ミュリッタはそこに人間では見る事が出来ない魂という要素が可視化されている事を理解した。
ガルドーの魂が肥大化し自ら邪神へと目覚め始めている一方で、自らの魂を振り絞り鋭い刃の如く果敢にガルドーに立ち向かうロドピス。だがすでに力の差は歴然。ロドピスに勝ち目は無い事すら嫌が応にも見えてしまう。
ガルドーにもそれが分かるのだろう。余裕を見せつけるとロドピスを更なる絶望へと突き落とさんとラブダにその矛先を向ける、その瞬間だった。
それまで全く存在感の無かったエナンが突如眩いほどの炎のようなオーラに包まれた。
そしてラブダに襲い掛かる悪意に満ちたガルドーの魂の前に立ちはだかると、その拳の一撃でガルドーの魂を吹き飛ばす姿に思わずミュリッタも黄色い歓声を上げて喜びを爆発させたのだった。
「きゃ~! エナン最高! 愛してる!!!・・・・ あっ! こら何くっついてるのよ! さっさと離れなさい!」
そんなミュリッタの様子に何事かと集まってきた人々の視線が集中していた事は言うまでもなかった。
「うぅっ・・・もう死にたい。」
「はいはいはい。それではミュリッタちゃん、皆様に状況を説明して頂けますかしら?」
衆人環視の中で自分がやらかした事に凹むミュリッタをティモが促す。
気持ちを切り替えるとミュリッタは赤竜亭から来た冒険者達やアルミス伯爵軍の兵士に向かって言葉を発した。
「先ほど、今回の一連の騒動の首謀者と見なされる邪神司祭ガルドーが赤竜亭のエナンによって討ち取られました。」
おおっ!というざわめきが起こる。あえてエナンの名前を出したのは彼が名声を得て欲しいと思うミュリッタのエゴだったのだが赤竜亭の冒険者達の反応は予想以上に肯定的なものだった。
「けっ! 堀師のやつようやく本気を出しやがったのか、やるじゃん。」
「まあ赤竜亭の男ならそのくらい当然っすね。」
「いーっひっひ! おいしい所全部もってかれちまったよ、おい!」
あり得ないとか信じられないとか、もっと否定的に受け取られるかと思っていた。だがミュリッタがエナンにご執心な有様がバレバレだったので、すでに皆エナンが普通でない事くらいは察していた。
それでなくとも盛大なドヤ顔でエナンの武勲を披露しているミュリッタ様である。ご機嫌を損なわないように生暖かく見守る一同であった。
だが、和やかな空気は一瞬で終わる。
ミュリッタの表情は険しいものに一変し、その言葉は非情な宣告となって一同の心臓をえぐった。
「そして邪神の手綱を握っていたガルドーが滅びた事により邪神の力は解放され、まもなくこの地に邪神が顕現する事になるでしょう。これを放置すればカエルラは一夜にして滅びる事になります。」
すでに胎動は始まっていた。ガルドーは最初から邪神を置き土産にしてカエルラを消滅させるつもりだったのだ。長年蓄えてきた力によって復活の準備は整い、邪神の顕現はもう誰にも止められないところまで来ていた。
だが、これはミュリッタにとっては避けられぬ戦い。ルゥの残した南の信託を成就せしめんとするならばここで戦い、邪神を葬る以外の道はなかった。
人の身で神に挑む。それは無謀と呼ばれる行いである。
だがミュリッタは決して無謀を進むものではなく、その対極たる叡智の体現者であった。その彼女が今、声を張り上げて宣言する。
「邪神は私が倒す!!! 皆は奴が纏う冥界の魑魅魍魎どもからカエルラを守りなさい! 誰一人死ぬ事は許さない! この戦い、完勝してみせるわよ!!!」
その言葉はまるでフォルセリアの真言のように全ての者達の魂にまで響き渡ると、小さな、しかし決して消えぬ灯りをその心にともしていった。
その不思議な力は、かつて『道』と呼ばれていた。
古の偉大な魔導皇帝達が万人に示した未来への希望の灯。ミュリッタの決意は遂に彼女を彼らと同じ高みまで成長させたのだった。
その数秒後、巨大な冥界の負の力が弾け世界を震わせた。
ついに死と恐怖の象徴たる邪神『深きもの』だった存在がこの世界に再び顕現したのであった。
だが、ミュリッタの叫びによって心に灯をともした人々はその恐怖に耐え切った。
彼らは邪神の波動を迎え討つかのように雄叫びを上げ、一斉に武器を抜くと動き出す。
「銀月のミュリッタが賢者の塔の叡智をもって守護を与えん! 死ぬんじゃないわよ!この命知らず共!」




