第二十二節 : 愛という名の救い
第二十二節 : 愛という名の救い
「そんなに黄昏なくとも良いのですよ? ミュリッタちゃん。」
そのティモの一言にミュリッタは戸惑った。
エナンの魂が欠けたのではないかと心配していた事も見抜いていたのだ、ミュリッタの今の心境くらいティモなら承知の上のはずだった。ティモはそんなミュリッタをからかって面白がるような人間ではない。
「ミュリッタ、貴方がエナン様を心配していたのは貴女も蘇生術を使った事があるからですね?」ティモが核心に切り込んできた。
「否定はしないわ、私はその代償を身をもって知っているから。」
「そうですね、そして貴女の魂はもう長くは持ちません。良くて数年の命でしょう。」
「・・・残酷ね。」
それは自覚はしている。だからせめて感情は殺さぬように生きてきた。
フォルセリアは知っている事だ。
だがティモに話すとは思えない。おそらく彼女には魂の重さが見えるのだ、神の恩寵とやらのおかげで。ミュリッタですら予測できなかった余命まで宣告されてはもはや何も言う気力も出てこなかった。
「だからこそエナン様に出会ったのは神の導きだと思うのです。」
「私は神の信徒じゃないわ。頼ったつもりもない。」
「そうかもしれません、でも神に祈るのが本人とは限りませんよ? 自分ではない誰かのために祈る事だってあるのです。」
「あ・・・・」
ミュリッタはフォルセリアに出会った時の事を思い出した。
灰燼と化した賢者の塔の廃墟で泣いていたミュリッタの前に現れた時フォルセリアの語った真言、それは『私は神に導かれてここへ来た』だった。
ミュリッタをお救い下さいと神に祈ってくれていたのは、ミュリッタが必死で蘇らせた、世界で一番大好きなおばあちゃんだった。
気が付けば涙が溢れていた。
「知っていますか? 不滅の魂を持つ大天使様だけは、他者の魂を癒す事が出来るという事を。」
「!!!」
それは常識を無視した突拍子もない話だった。そして今のミュリッタにとってはあまりにも都合の良すぎる話だった。ティモの言葉が悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
「嘘よ! そんな事有り得ない!」本当はすがりつきたいのにミュリッタは全力で否定しようとした。だがそれを聞いたティモの顔にいつもの笑顔が戻った。
「本当です、実例があるのですから。大天使テス様とキウ太君という。」
「キウ太君? 大天使テスにとっての母なる存在だった獣姫キウの事?」
「ええ、キウ様が歴史上唯一の真の蘇生術者と言われている事はご存じですね?」
「知ってるに決まっているじゃない。獣姫キウは数多くの人々を蘇らせただけでなく、復活した人々も皆魂が欠ける事もなく長生きした。神の奇蹟に頼らない蘇生術でそれを成し得たのは歴史上彼女だけよ。獣姫キウ自身が獣神ミューロと人間の間に生まれた半神半人だったからこそ出来た事だとも言われているけど。」
「さすがはミュリッタちゃん、よくお勉強していますね。」
「茶化さないで。それの何が実例だっていうのよ。」
「キウ様が神人だったからこそ成し得たのだというのは半分正解ですね。実際の所キウ様が行う蘇生術は他者の行う物と大差無かったそうです。ただ神に匹敵する強大な魂の力をもっていた為に復活させられた者達の魂もまた強く長生き出来たというのが実際のところのようです。」
「半分じゃなくて全部な気がするけど。」
「残りの半分は、いかに強大な神人の魂でもあんな無茶をすればすぐに死んでしまう事になる、という事です。実際に魂の力を使い果たしてキウ様が死にかけた事は何度もあったそうですよ。ですがその度に大天使テス様がキウ様の魂を癒した為に死なずに済んだという事です。」
「獣姫キウって結構お馬鹿さんだったのね、ショックだわ。」
「これが実例です。どうですか、なんか希望が出てきたでしょう?」
「神話の時代の話よ・・・なんでそんな見たような言い方が出来るのよ。」
「ふふふ、ご本人に教えて貰いました。」
「・・・・? ええええぇっ!?」
獣姫キウ、女神教では神に準ずる大聖者である大天使テスの育ての母である。だがすでに彼女は存命していない。となればその本人というのは大天使テス以外に有り得なかった。
不可解な物事がようやく繋がったように思えた。無力な神の神官が神術を使ったり、女神教団の中でさえ大昔に忘れ去られたはずの四大天使の事を事細かに語ってみせたり、そういう事であれば全ての辻褄が合う。
ティモは女神フィニスではなく大天使テスの代行者だったのだ。いや、大天使テスは自らを神ならざる者と定めた存在だ。だからティモは神の代行者、聖女でもなければ神官ですらないのだ。
そして、大天使テスの意に従うからこそティモは大天使エナンの存在をあれほど注視していたのだろう。大天使テスは今ティモを通じて己が姉妹の姿を凝視しているはずであった。
「ティモ・・・あんた大天使テスの代行者だったのね。」
「代行者などとという大それた者ではありませんわ。お力をお貸し頂いているだけです。こちらも協力するという条件で。」
「なんでそんな事になったの? 女神教では神に等しいとされているけど大天使テスが恩寵を与える事は決して無かったはずよ。」
「自ら神である事を否定されているのですから、祀り上げられてほいほい出ていったら馬鹿みたいじゃないですか。当然の事ですわ。」
「こいつ本当に女神教徒なのかな・・・だからなんでなのよ。」
「呪いました。」ティモはにこやかにとてつもなく不穏当な発言をした。
「大天使様、なんでこの世界を消してくれなかったのですか。このヘタレ!ポンコツ!甲斐性無し!! と延々と呪ってやったのですよ。」
「・・・・・お前絶対狂ってる。」
「ヘタレポンコツ甲斐性無し、ヘタレポンコツ甲斐性無し・・・って、延々と一千万回位は呪い続けてやったら三年ほどで音を上げて詫びを入れにきました。それで力を貸して貰える事になったのですわ。」
「邪神クラスのモンスタークレーマーじゃない。大天使様に同情するわ。」
当時ティモは“大天使様人形(1/2スケール)”なるものを作って一言呪うたびに針でそれを突き刺していた。そして最初の大天使テスとの交信はボロ屑になるまで突き刺されたその人形を通して行われたのだった。だがこれは誰にも言えない秘密である。
しかしそうした紆余曲折を経てティモは再び優しい心を取り戻していた。結局ティモは大天使テスと邂逅し感化されて再び神官としての道へと戻ったのだった。どんなに悪態をついて見せようとも、今のティモは本心から大天使テスを信じていた。
「まあそんな事はどうでもいいのですよ、今となっては。今問題なのは薄幸の少女ミュリッタちゃんがどうしたら大天使エナン様に救ってもらえるか、なのですから。」
「さらっと過去の悪事を水に流したわね。余計なお世話よ、私の生き方は私が決める。誰の救いも同情も要らないわよ。」
「そんな子供の言い訳が私に通用するとでも思っているんですか?」ティモは心底呆れたような素振りでミュリッタを制止した。
「今この時でさえ貴方はフォルセリアの愛によって生かされているではありませんか。何も見返りを求める事無き救い、純粋なる同情と心配、それは愛です。誰よりもそれに救われている身でありながらあまりにも恩知らずな物言いですね。すこしは恥を知りなさい。」
心臓を抉られるような罵倒だった。皆から愛されるフォルセリアの陰に隠れてひっそりと生き永らえてきた。いくら魔力が強かろうがミュリッタにはこの世界を生き抜く力などありはしない、それは自分だって分かってる。
容赦の無いティモの言葉に何も言い返す事が出来なかった。
「フォルセリアがなぜ貴方を愛するのか解りますか? それは貴方が救われる事でフォルセリアの魂もまた救われるからなのです。泣いていた子供が笑ってくれれば嬉しくなる。お腹を空かせて鳴いていた子猫がおいしそうにご飯をたべてくれればこちらまで幸せになってくる。苦しむ者を救うことで救った者もまた救われるのです。それなのに・・・」
ティモの声は涙声になっていた。
「自分が愛されている事すら気付かず、自ら不幸を求めるような生き様の果てに救われる事無く死んでフォルセリアの恩を仇で返すつもりですか。愛に対する感謝もなく、愛される努力もせず、そしていずれ誰にも愛される事も無く死んでいくのが望みですか。貴方が救われる事を願った人々の想いすら馬鹿にするのですか。」
「違う! 私はそんな事望んでない!」
「ならば努力しなさい。救われる為に全力を尽くし、己が愛するに値する存在であることを証明して見せなさい。そして貴方が救われる事を願った者達にその成就を示し恩に報いてみせるのです。」
ティモの言葉が重い。これはもしかしたら大天使テスの言葉なのだろうか、言葉の雨に打たれながらミュリッタは下を向く事しか出来なかった。
愛されている事に気が付かなかったのではない。愛されているのか確信が持てなかっただけなのだ。だから子供は際限なくそれを求め続ける。
だが過ぎたる欲望はいずれ破滅する。たとえそれが子供の我が儘であったとしても、己に愛する価値が無ければいずれは全てを失う事になるのかもしれない。いつかは愛される以上に愛する事ができる存在へと生まれ変わらなくてはいけない、そう言われているような気がしていた。
大天使テスに無限の愛を注ぎこの世界を愛する事を教えた獣姫キウ。本当に世界を終末から救ったのは彼女だったのかもしれない。
彼女は永遠に母として共に生きて欲しいと願う大天使テスに対して自らの命を以て最後の教えを与えたという。テスの願いを受け入れず、天寿を全うし死を迎える事で次はテスが母なる存在へと変わる事を促したのだった。
獣姫キウ、彼女こそ真の母なる神と呼ばれるべき存在だったのかもしれない。
「あと一つ、はっきり言っておきます。キウはお馬鹿さんなんかじゃありません! 今度言ったら怒りますよ?」
「あ、やっぱり大天使様モード・・・」
嵐が過ぎ去り沈黙が訪れた。
今は二人無言でお茶をすすりながら向かい合っている。
「あの・・・今どっちですか?」恐る恐るミュリッタは目の前の不機嫌そうな顔をした存在に声をかけた。
「見れば分るでしょう。あの子はいつもにこにこ笑っているのですから。」
ぎゃ~まだそこにいたのか~と思ったがもう遅い。ティモの体に居座った大天使様はそんなミュリッタを見てまた溜息をついた。
「聞きたい事があるのではなかったのですか?」
「う・・・はい。」
「答えてあげますよ。私が知っている事であればですけど。」
「どうすれば失った魂を癒して貰えるのですか。」ミュリッタのその問いに目の前の存在はようやく少し笑顔を見せた。
「簡単な事です。貴方がエナンと愛し合えば良いのですよ。」
「あの・・・それどの程度ですか?」
顔を真っ赤にしたミュリッタにそう聞かれた彼女は悪戯っぽく笑った。
「そういえばエナンは今男の子の姿でしたね。貴方からすればそっちの方が気になるのも当然ですね。」そういうと彼女は立ち上がった。
「私と母さん、キウは同性でしたし純粋な親子の間の愛情しか知りません。だからこれで十分でしたよ?」彼女はミュリッタの後ろに立つと優しく抱擁した。暖かい感触と同時にに何かがミュリッタを満たしていくのを感じた。
「本当は今、私が貴方を癒してしまうのは簡単です。でもそれでは駄目なのです、何故か分かりますか?」
「分かる・・・私は何も努力していない。私は愛されるべき価値を示していない。」
「そう、ちゃんと理解してくれたのですね。無償の愛が許されるのは力なき赤子だけです。愛された事にそれ以上の愛をもって報いる事が出来なければいずれこの世は冷え切ってしまうでしょう。幸せとは努力の上にこそ成り立つべきなのです。」
「愛しても報われなかったら?」
「愛する価値の無い存在というのも確かにいます。でもそれ以前に一方的な愛情は愛ではありません。お腹を空かした子猫を玩具で遊ばせるのが愛だと思いますか? 一言で言うなら愛とは相手を理解する事です。悲しみを、苦しみを、欲望を理解しそれに寄り添う事です。正しく愛せたか否かなど結果は一目見れば分ります。愛が受け入れられないと言っている者達の大半はそもそも相手が理解出来ていないだけなのだと思いますよ。」
「例えそれが本心から相手の事を思っての事でもですか?」
「当然ですよ? 例えば相手の将来を思って今を犠牲にさせるのは単なる教育です。もちろん結果的にそれが救いとなる事もあるかもしれませんが、その分、想像もつかぬような輝かしい未来を奪っているのかもしれないのです。望まぬ道を強いられる事に感謝する必要はありませんよね。」
「・・・・・」
「愛とは後からやって来る物ではありません。今愛されているという実感がなければそれに報いる事など出来るわけがないのですから。愛し続ければいつか分かってもらえる、なんて馬鹿は最初から相手を理解する努力を放棄しているのです。自分が理解しようとしてもいないのに相手に理解してもらえる訳ないでしょう?」
「大天使様、今世界中の恋する乙女の希望を打ち砕きましたよ・・・」
「いいんですよ、恋なんて愛とは全くの別物なのですから。」
「そんな恋する乙女の貴方がどう愛を育むべきか、まずはそこからかしらね。」
彼女は抱擁を解くとまた椅子に座ってお茶を口にした。
「先生、私恋なんかしていません。」
「ふーん、じゃああのストーカー行為はどう説明するつもりかしら。」
もちろんあの収納箱に仕掛けたエナンモニター(仮)の事である。恋する乙女の暴走でなければただの変質者の覗きという事になる訳であるが、どちらにしてもバレたら即アウトな案件である。まあバレなければ良いだけの話ですけど。
「マコトニイカンデアリ、ワタクシノフトクノイタストコロデアリマス」
「黙らっしゃい。とりあえず証拠隠滅するわよ。」
「ああーーっ!!」
パチンと音がして何かが弾けた。
「ばれたら終わるから我慢しなさい。」
「そんな事言って大天使様だって覗いているじゃない!」
「私はいいの、妹だし。エナンは四大天使の長女なの、私は二番目ね。」
なんだ一転したこのフランクさは。このあるまじき暴論を許すべきなのだろうか。そう思った時、突如大天使テスであろう存在がミュリッタの名前を呼んだ。
「ミュリッタさん。」その声だけで背筋が伸びて固まった。多分名前を呼ばれるのは初めてだった。
「エナンは間違いなく過去の記憶を失っています。いえ多分自らの意思で過去を捨て去ったのでしょう。そして記憶だけでなく力も自ら捨て去った様に見受けられます。何故か魔力だけは封印が解けかけていますが、エナンは多分火の大天使としての自分の完全なる消滅を願っていたのだと思います。」
「なんでそんな事をしたのですか?」
「エナンは私が世界を開放した後も、この地に悲しみや苦しみが溢れないように努めなければいけないと考えていました。その力で非道を行う者を裁き罪なき人々を救うため、とある小国を根絶やしにせんと押し寄せた何万もの軍勢をその炎で焼き払ったこともありました。そのような業を背負い続けた果てにきっと己の存在に耐え切れなくなってしまったのだと思います。」
ミュリッタにも、それが大天使にとってどれほど辛い事かは容易に想像できた。
「だから私は今のエナンに人としての幸せな人生を送ってもらう事を望みます。納得していただけますか?」
「もちろんです! エナンの人生はエナンのもの、望む姿で生きて欲しいです。」
それを聞いた彼女は厳かな笑みを浮かべた。
「ありがとう。今のエナンが幸せだとは思えませんが、エナンはすでに一度貴方に救われました。願わくば貴方の愛がエナンに注がれる事になって欲しいと思っています。」
「私がエナンを救った?」
「ええ、あの子を救えたのは貴方が手を貸してくれたからです。それが出来なければエナンはきっと絶望していた事でしょう。」あの子というのは良く分からない、だがエナンの蘇生術の事を言っているというのは理解出来た。
「ミュリッタさんはエナンの事をどう思っているのですか?」
その質問はミュリッタには難し過ぎた。いろんな感情が入り混じった心を表現する言葉が見つからない。だから、ただ取り止めなく心の中を吐き出した。
「自分より強い魔力の人に初めて出会ったと思いました。私を子供扱いしてくれたのがすごく嬉しかった。この人なら私を理解してくれるかもしれないと思った。この人なら仲間になってくれるかもしれないと思った。それから・・・」
「この人なら愛してくれるかもしれないと思った?」
「・・・・・はい。」
「その願いが叶う事を私も願っています、皆が幸せになれますようにと。」
彼女は立ち上がるともう一度ミュリッタを抱擁し囁いた。
「きっとエナンがこの地に呼び寄せられたのは偶然ではありません。多くの事がこれから彼の身に起こるでしょう。ミュリッタさん、どうかエナンを良き未来へと導いてあげてください。」
そう言うと彼女はにっこりと微笑んだ。
「大天使様ったら・・・トイレが近くなると何時も私に押し付けるんだから。」
「大天使様はトイレになんか行かないのよ。」
今そこにいるのは紛れもないティモだった。