第二十一節 : 火の大天使
第二十一節 : 火の大天使
この世界は女神様が創りました
女神様はみんなのお母さんです
みんな女神様に愛されています
だから女神様は泣いていると思います
だれかをいじめ 傷付け奪い殺すなど
万物の霊長を名乗る人間の 何と醜く愚かなことか
この世を見守る女神様は きっとどこかで泣いています
だれかきれいな世界にしてと 泣いていると思います
【 少女キリエの作文より 】
「女神教の信徒ってなんで女神フィニスなんかを崇めてるの?」
「何故ってこの世界を生んだ母、創世の女神ですよ? 崇めては駄目ですか?」
「さっき自分でも言ってたじゃない、自分の創った世界と無理心中しようとした女神様だって。」
この世界が創世の女神フィニスによって創造された事は万人の知る常識である。
だが女神フィニスは自分が産み出した世界の姿に絶望したと言われている。
外界から閉ざされた箱庭だったこの世界に女神フィニスが望んだのは苦しむ事の無い楽園であった。だがその子供達は相争い世界には苦痛と死が溢れた。
フィニスは自らが不完全な存在である事を悟り、完全なる世界の創造のために新たな創世の女神を産むと自らはこの不完全な世界と共に滅びる道を選んだ。
だが新たな世界の創造を託されたフィニスの娘はこの世界を消し去るのではなく、閉ざされたこの世界を開放する事で完全な世界を創造し、そして全ての未来をこの世界に生きる者達の手に託したのだった。
彼女の名前は大天使テス。決して自らを神と名乗る事はなかった真の創世の女神とされる存在である。
女神教というのはこの二人の創世の女神を信仰する教団である。彼らの解釈では理想を求めた女神フィニスの苦悩と葛藤もまたこの世界が創られる過程の一つであり、大天使テスの誕生に至る為の必然であったとされている。
一般的にも女神フィニスは母なる神として認識されている。『無力な神』の代名詞でもある女神フィニスではあったがその信奉者は現在でも決して少なくはない。
ミュリッタのようにその存在に難癖付けるへそ曲がりは少数派である。
「それじゃその女神様を崇める聖女ティモ様は一体何を知っているのかしら。」ミュリッタはティモが知るエナンの秘密が女神教に関係しているであろう事はもう予想していた。問題はこのつかみ所のない奴が素直に教えてくれるかだ。
「私は聖女なんかじゃありませんよ?」ティモが予想通りはぐらかすような答えをしてきた。だが、それはそれで興味のある返答だった。
「何言ってるのよ、聖霊陣使っていたじゃない。『無力な神』の神官が神術を使えるなんて正直驚いたわよ。」
「そんな事言われましても・・・私、教団の神官ですらないですし。」
「え?!」
それは完全に予想外だった。どこからどう見てもティモは完璧な神官様である。姿形にはじまりその信仰心や治癒術などの能力、信念に至るまで神官のお手本のような存在だった。そう、笑顔で折檻する本性を知るまでは。
「じゃあなんで神官の格好してるのよ。寄付金詐欺?」
「・・・言って良い事と悪い事の違いを教えてあげましょうか? それは痛い目に遭うか遭わないかの違いです。」
ティモが神官の風体なのはティモを育てた恩人が徳の高い女神教のシスターだったからだ。だが己の過去を語らなければいけない理由は今のティモには無かった。
仕方無いのでもう一つの質問に答える事にした。
「私が知っているのは古い古い昔話だけだと言いましたよね? それでもよければお話ししましょう、少し長くなりますけど。」
「うん、聞きたい。全然平気だし。」
「分かりました、ではお話しましょう。」
ティモはそう言うと二人のマグになみなみとお茶を注ぎ足す。
そして自分も椅子に座ると静かに語り出した。
「これは今日のお昼の話なのですが・・・」
「・・・全然昔の話じゃね~。」
フォルセリア一行が赤竜亭でのんびりと旅の疲れを癒していた今日の昼過ぎ、ティモは一人で散歩へと出かけた。朽ちた街並みを迷いのない足取で進み向かった先はあのエナンとラブダが出会った廃墟だった。
石の隙間に生えた雑草が一輪の秋の花を咲かせていた。ティモは足を止めてその花を摘むとまた歩き出す。暫くするとエナン達が座っていたあの石段が見えてきた。
そこには先客の人影があった。どっしりとした岩のような陽だまりの温もりを感じる大女、フォルセリアだった。彼女もティモに気が付くと手を振った。
「やっぱりティモも来たのかい?」フォルセリアは笑いながらティモを迎えた。
彼女が立っていたのはあの石段の上だった。
周辺にあったあのならず者の死体などは既に運び去られていたがまだ血痕などは生々しく残っていた。ここで何かがあったのは一目瞭然だった。そしてフォルセリアの足元には焼け焦げた足跡が残されていた。
フォルセリアが石段の上に腰を下ろした。そこはエナンがあの時座っていた場所だった。ティモもその傍らに腰をおろす。
「まるで足そのものが燃えたみたいな焼け跡だな・・・」フォルセリアはそう言うと黙り込んだ。その足跡は足の部分だけが高熱で砂が溶けてガラス状になっていた。
だが「そうですね」と答えたティモの表情がどこか嬉しそうに見えたのは見過ごせなかった。フォルセリアは思わず問い詰めた。
「そんなに人が焼かれたのが嬉しいのかい?」厳しい声でたしなめるフォルセリアにティモは臆面無く言い放った。
「ええ、この地に巣食う悪党共が神の怒りに触れて焼き尽くされたのです。これを喜ばずにいられましょうか。」それは間違いなく本心から出た言葉だった。フォルセリアは溜息をつくと天を仰いだ。
「神の怒り、だったのかねぇ・・・」
あの尋常でない怒りと破壊の波動。人ならざる者の所為と言われれば納得せざるを得ない。だがそれはエナンという名の存在であった。
ならばエナンとは一体何なのだ。ティモは最初からそれを知っていたのだ、その事を今確信した。
「ティモ・・・私とて一度は神の恩寵を受けその世界を垣間見た身だ。“エナン”という名の持つ響きに何かを感じなかった訳じゃあない。」
そう、真言の聖人があの『力ある言葉』の存在に気付くのは当然だった。だがフォルセリアにはその言葉の意味する物が何なのか分からなかった。
だから無理に知ろうとはしなかった。それは『知らない』という事こそが真理、すなわちあるべき姿だと知っているからである。だがティモがそれを知っているのならば確かめてみたかった、自分にもそれを知る事が許されるのかと。
「ティモ、“エナン”とは一体何なのだい?」
意を決したフォルセリアの問にティモはいつもの笑顔で答えた。いつものようにはぐらかしながら。
「お察しの通りですわ。エナンとは『真名』・・・この世界における唯一無二の存在を示す名前なのです。」見事に核心を外して答えて来た。やはり自分には知ることは許されないのかと思ったフォルセリアを見てティモは悪戯っぽく笑った。
「それ以上の事を知りたいなら取引になりますけど、どうします?」
真理とは超越した存在が定めた法であり不可避の制約だ。人間の取引材料に出来るような物ではない。だが取引材料にすると間違ってでも口に出来たという事はそれは不可避の制約では無いという事になる。フォルセリアは今の一言で完全にパラドックスにはまりこんでしまった。
待て待て、ティモは恐らく代行者としての一面も持っている。もしかしたら今まさにその超越した存在がティモを通じて選択を迫っているのかもしれなかった。
ならば何かしらの代償を求められる事になるはずだが・・・。
「その取引乗らせてもらう。」腹をくくるとフォルセリアは守りを捨てた。虎穴に入らずんば虎子を得ずである。それに条件次第などという身勝手はフォルセリアの好むところではない。閉ざされた扉を開くためなら全力で当たるのが彼女の生き様だった。
だがむしろそれで困ったのはティモの方だった。予定していた台本がすっかり狂ってしまった様子であたふたしていたが、何とか取り繕うと言った。
「条件位聞かないんですか? 取引にならないじゃないですか・・・」
溜息まじりにそう言うとティモは立ち上がり、建物の裏庭へ向かって歩き出した。フォルセリアもその後について崩れた建物の隙間を通り裏へと抜ける。
ティモが立ち止まったのはあの、床下の隙間へ入る穴の前だった。
「昔、この中で眠っている子供達と約束したんです。いつかきっとお墓を作る為に戻ってくるからと。」ティモは手に持った花を穴の前に置くと手を合わせた。
「フォルセリアが手伝ってくれたら早く終わりそうですね、後で手伝って下さい。それが条件です。」
ティモは笑顔のまま泣いていた。
「それなら後なんて言わず先にやってしまおうじゃないか。」
フォルセリアがそう言うと背負った戦槌を手に取った。
「穴掘りはまかせときな。ティモはその子達を連れてきてくれないか?」
フォルセリアの馬鹿力のおかげで墓造りはすぐに終わった。
大きな石材を重ねて墓標にすると、二人はその前の石畳の前に座った。
「ここがティモが育った孤児院だったのかい?」フォルセリアの言葉にティモは小さく頷いた。
「ええ、焼け落ちて崩れてしまっていますけど、十年前は立派な修道院でした。」
外壁が僅かに残るだけの廃墟を見ながらティモは続けた。
「留守の間に知らない子が何人も増えていました。孤児院が無くなってしまったのも知らずにここまで来たのでしょうね。」
実際、市街ではいまだにここに孤児院があるといって浮浪児達を街の外へと追い出していた。ラブダでさえその噂を信じてここまで来たのだから酷い話であった。ティモはそんな世界が大嫌いだったからこそ女神フィニスの嘆きに共感したのかもしれない。
「だからエナン様がここに降臨されたのは必然だったのです。この場所は心優しい正しき者や罪もないか弱き者達が理不尽に殺され続けた、この世界の歪みそのものだったのですから。」
「そういえば教えてくれる約束だったかな・・・いいのかい、ティモ?」
「ええ、フォルセリアが望むのであれば。」
「真名エナンは女神フィニスが定めた真理、この世界における唯一無二の存在たる女神の娘の名前なのです。」
女神フィニスが世界の終焉と新たな創造を託して産み落とした大天使テス。だが彼女の神話の影に隠れたまま人々の記憶から消えていったフィニスの娘達がいた。
それは女神教の神官ですら知る者はいない存在。この世界を見つめフィニスの苦悩を理解した者だけが語り継いできた大天使達の伝説だった。
「この世界の終焉と新たな世界の創造を託され生まれたフィニスの娘、大天使達は実は四人でした。地の大天使テス、水の大天使ノアル、風の大天使フィーラ、そして・・・」
「火の大天使エナン・・・か。」その名の響きはフォルセリアが感じた力ある言葉そのものだった。
「ええ、この四人の大天使様は四大精霊の名を冠する通り精霊の王でもありました。女神フィニスは世界と共に精霊が滅びてしまわないように自らの世界からその力を切り離して娘達に託したのです。」
「なんでまたそんな事を?」
「一つには無から精霊の理を生み出すことは非常に困難な事だったからだと考えられています。世界を創造する為に力を使い果たしたと言われる女神フィニスですから、娘たちが新たな世界を創造する時の負担を減らしたかったのだと。」
「あまりに現実的過ぎて涙が出て来る話だね、台所事情が絡むとは。」
いかに女神フィニスがこの世界の消滅を真剣に考えていたのかが生々しく伝わって来た。なるほど女神教の信徒ですら彼女達の存在を黙殺したくなる訳である。
「そして二つ目は、その力を以て世界を消滅させる事の苦悩を一人の存在に背負わせたく無かったから・・・と考えられています。世界が滅びた後独りぼっちになってしまわないように、とも。」
多分それは一人孤独のまま世界の姿に苦しみ続けた女神フィニスの切実な願いであったのだろう。理解したいとも思わないがそれが女神フィニスの味わった苦痛だとすれば多少頭がおかしくなってしまったのも許せそうな気がした。
「四人の大天使様はこの世界の終焉における役割を持っていました。地が全ての魂を飲み込み、火が全てを焼き尽くし、水が全てを洗い流し、風が全てを塵と化す。そしてその時が訪れた時、大天使様は新たな女神となってこの世界を無へと帰すはずでした。だから定められしその名は『裁きの女神テス』『浄化の女神ノアル』『忘却の女神フィーラ』、そして『破壊の女神エナン』だったのです。」
「エナンが破壊の女神・・・」
「ええ、歪んだこの世を焼き払い無へと還す存在、それこそがエナン様なのです。」
「なるほど、そりゃ邪神みたいなものだな。今生きている奴らにとっては。」
「そうですね、歪み切ったこの世界を棚に上げてしまった人間には、ですが。」
ティモはそう言うと溜息をついた。
「でも残念ながらもうエナン様がこの世界を焼き尽くす事はないでしょう。裁きの女神であるテス様がこの世界を滅ぼさないと真理を定めてしまったからです。そして同時にテス様は自らが神ならざる事も定めてしまいました。世界の終焉を宣告する裁きの女神の消滅により二度とこの世界が四女神によって浄化される事は無くなったのです。」
「残念ながらって、あまりそれは言わないようにな。聖教の奴らの耳にでも入ると目をつけられるぞ?」フォルセリアも面倒臭がる聖教とは、この万神ひしめく神創界フィニスで唯一神教を唱え他の神々の宗派に邪神認定をふっかけて回っている連中の事であった。
「しかしあの子が女の子だったとはなぁ・・・たしかにちょっと可愛い顔をしていたような気もするが。」
「いえそれ違う・・・って、本気で言っています?」
「あたしゃいつも本心しか言わないぞ? なんせ“真言のフォルセリア”だからな!」
「そんな訳あるわけないじゃないですか、どう見たって男です。」
「なんでそんな事になるんだよ。いったいその後、大天使様達はどうなったんだい?」
「大天使様達を産み落とした時、女神は彼女達に不滅の魂を与えました。ですから大天使様達は不死身ではありませんが不滅なのです。つまり死んでもいずれその魂は転生して蘇るのです。」
忘れ去られた大天使達の話にはまだ続きがあった。
この世界が滅びる事は無くなり、与えられし使命が果たされる事も永遠に無くなった。そして精霊の王としての力も手放しこの世界には無用の存在となった大天使達は人知れずひっそりと隠れ暮らしたという。
その最後は伝説にも語られていない。ただ、その魂がこの世界が続く限り不滅だという定めからだけは逃れる事は出来なかった。転生した魂は今もこの世界のどこかで世界の有様を見つめ続けているはずであった。
だがその中で大天使エナンだけは幾度かこの世界の不浄を焼き尽くす為に降臨した事があったとされている。たとえ世界を灰と化す使命は失ってもこの世が殺戮と不条理に覆われた時、大天使エナンは降臨すると伝えられていた。
だが、それも遥か昔を最後に途絶えた伝説であった。
「転生したら性別が変わる事もあるのかい?」
「興味あるのはそこですか・・・不滅なのは魂であってその御姿ではありません。性別が変わるどころか人の姿に生まれ変わる保証もないですよ。」
「じゃあ人の姿に会えただけ運が良かったのかな。話が出来るんだからねぇ。」
ティモは頷くと手を合わせ祈りながら言った。
「そのエナン様が降臨されるのを目の当たりにするなど、私は果報者ですわ。」
フォルセリアはそんなティモの笑顔を見て考え込んだ。
火の裁きをもたらすのであればそれは大天使としての本来の姿かもしれない。しかし彼女達は大天使である事を拒絶したからこそ静かに消えていったのではないのか。
この世の歪みに耐え切れず、眠っていた魂を無理矢理目覚めさせられる事が彼女達の幸せだとは思えなかった。たとえ救世主と崇められようともそれを自ら望むような者達ではなかったはずなのだから。
フォルセリアは訊ねずにはいられなかった。
「なあ、ティモ。大天使様はこの世に再臨したいと思っているんだろうか?」
それを聞いたティモの顔から笑顔が消えた。
「いいえ・・・嘆き悲しみ、魂が引き裂かれるほどに苦しまれるからこそお目覚めになるのです。誰がそれを望みましょうか。」
フォルセリアはにかっと笑うとティモの肩を叩いた。
「私もまったく同意見だよ。さすがティモ、わかってるじゃないか。」
もう陽も傾き始めていた。フォルセリアは立ち上がると土を払いながら言った。
「そろそろ帰ろうか。あんまり目を離すとミュリッタがまた何かやらかしそうだからねぇ。」
そうして二人は赤竜亭へと戻っていったのだった。
「なんで最後は私のネタで締められるのよ。」ティモの話を聞き終えたミュリッタの第一感想である。
「あら、今さっきも十分やらかしてくれたのをもう忘れたんですか? お仕置きが足りなかったみたいですね。」
「暴力反対~!!」どの口が言っているのか自覚のないちっこい魔女にティモはお茶を注ぎながら言った。もちろんマグにですよ? 頭の上なんてとんでもない。
「あまり驚かないのですね、エナン様の事。」
ミュリッタはその問いに憮然として答えた。
「あの出鱈目な魔力が人外の物な事くらいとっくに覚悟していたわよ。その魔力を完全に自分の内だけに封じるあの封印も人間技じゃないし。」
知らなかった方が幸せだったかもしれない。ふとそんな後悔が心をよぎった。
「それにしても不滅の魂か・・・それなら心配なさそうね。」
ミュリッタは今、安堵と自分だけが取り残されてしまった寂しさを感じていた。




