四十一話 狂った妖精
崩れ、その支柱の間から滝のように黒い水が流れ出る神殿は、瓦礫の撤去どころか行方不明者の捜索もまだままならない状態だ。
今は兎に角、水を止めるための土嚢を積んだり、川に流れを合流させるための溝を掘る作業を急がしている。
王都の住民は勿論、魔術師団の魔術師まで動員し、作業を急がせていた。
「土魔術で掘削するから、一旦離れろ」
「土嚢が足りないぞ、土を早く嚢に詰めて持って来い」
指示が飛び交い、雨音に紛れて工事の音が響く。
全く都市計画にはない工事だ、進路上の家を取り壊し、道路を掘り起こす。周辺の建物は一階部分が浸水し、人々は避難しているため、この緊急的な処置を仕方が無く受け入れている。
ふわり……。
そんな作業を見下ろす、崩れた神殿の屋根上に、少女が現れる。
「にくい……にくい……これはわたしのいかり……」
キャディキャディは呟いた。
溢れる黒い水は、まさに彼女の心の汚濁、分け知らぬ者たちが対処する事が、対応しようとする事が屈辱だった。
未だマリーは見付からず。自分の気持ちは、こんなものでは無いのだと。
「まりーは、どこにいるのぉああぁ!」
何かが壊れる、耳障りな音が辺りに響いた。
従事していた人々は、事故が起きたのでは無いかと、周囲を見渡し音の発生源を発見出来ず顔を見合わせ、次の瞬間増した水量に足元を掬われ流されていく。
「うっわぁ!」
「あぁ」
そして、水から立ち上がると――
「はぁ……はぁ……ぁ……マリー?」
「げほっ……ま、マリー……どこにいる……」
「どこ……」
正気を失い、作業を止めてふらふらとマリーを探しに向かった。
ずっと、こんな事を少女は続けているが、目的の人物を見付ける事が出来ていない。もしかしたら、もうこの近くには、居ないのかもしれないと鈍る頭で考えていた。
「わたし、はなれられないのに……」
キャディキャディは川の妖精、無理をして肉体を得た今でも、その流れから離れる事は難しい。
「……なら、すべてみずにしずめる」
空に重く垂れ込む黒雲に、両掌をかざし更に神力を注いでいく。持てる力を振り絞る、もうどうなってもいいと、キャディキャディは思っていた。
生まれて初めて、自分を見付けてくれたお友達、たったひとりの福者。小さな頃からずっと側に居たのに、何も解っていなかった。
居なくなって変だとは思った、悲しみと不安で川は濁ってしまった。そして、捧げられたこの肉体を、神殿で受け取った事で人種の事をやっと少しだけ理解した。
鞭打つ手に、愛情など無い事を……。
『だめだよ』
『めっだよ、キャディキャディ』
『お母様に怒られちゃうよ』
小さな妖精たちが、キャディキャディの凶行を止めようと駆けつけ、話し掛ける。
母というのは大精霊神の事だ。彼女はまだ一度も会った事は無いけれど、感情のまま、神力を振るい暴れれば、きっとそれを許しはしないだろう。
それは彼女にも解っている。
ただ、それでも溢れる激流を、止める事は出来なかった。
「うるさい、わたしのばしょからでっていって!」
『キャディキャディ!』
『わぁーっ!』
水流を操り、小妖精達を自分の聖域から追い払う。
もう彼女は、誰の声も聞こうとはしない。
「みんな、すべてしずめ」
マリーを抱え飛んでいたザハエルは、途中で羽ばたきを変え、空中で静止する。彼が鋭い眼差しを向ける先に、マリーも視線を向けた。
「あれは……王都の方ですよね」
「ああ、まだ距離があるんだがな」
その方向から、暗い雲が空を覆い広がりつつある。時折走る閃光は、雷だろうか、その下は激しい雨が降り始めているのだろう。
そんな光景を目撃した直後、上空から銀色に輝く炎のようなものが飛来し、ザハエルの頭上に降りてきた。
「ザハエル様!」
異変にマリーは悲鳴を上げる。
だが、ザハエルはそれを瞼を閉じ静かに受け止めた。その身体は白銀に輝き、輝く光は頭上で輪となる。それは、絵画で見るような神霊の頭上で輝く、光輪だった。
マリーは驚き、しかし内心何て美しいのだろうと、声もなく見つめていた。
「まずいな」
目を開けると、開口一番ザハエルは言う。
「ど、どうされたのですか!?」
「神の目、銀の月からキャディキャディの制圧命令が下された」




