エピローグ
薄紅色の花びらが舞い散る王都の大通り。目の前に広がる光景は、夢のように美しかった。
六頭立ての白馬に引かれた馬車の窓から外を見やると、見渡す限りの人波だ。祝福の声と花束が降り注ぐ中、リリアの隣にはアレクシスが寄り添っている。
「大丈夫か? 少し緊張しているようだな」
低い声が耳元で優しく響く。リリアを見つめる瞳に、普段の鋭さはない。柔らかな慈しみだけがそこにあった。
「はい……でも夢みたいなんです。ついにこの日を迎えられるなんて」
答える声が少しだけ揺れた。
あの神殿での出来事から半年。リリアはようやく、婚姻してからずっと延び続けていた結婚式を挙げることになった。アレクシスが《老化症》を患っていたあの頃は、普通の花嫁のような日を迎えられるとは思っていなかった。神殿の構造改革で多忙な日々の中、アレクシスはリリアのために式の準備を進めてくれていた。
王都の複数の邸を転々としながら過ごした半年は、公爵領での静かな暮らしとは違って刺激に満ちていた。
王都の中央広場には真っ白なテントが幾重にも並び、貴族も町人も入り混じって祝宴の準備に忙しない。大通りの両脇には色とりどりの旗がはためき、街全体が祝福の色に染まっていた。
「あちらを見てごらん」
アレクシスが前方を示した。噴水広場の特設舞台では、王国軍楽隊が華やかな行進曲を奏でている。その中央に立つ国王レオニス陛下の姿は、あの憔悴した面影など微塵もなく、若々しく力強い。
「すべてリリアのおかげだ」
アレクシスがそう囁いた瞬間、群衆の中から細い声が上がった。
「聖女様ぁ! うちのばあちゃんを助けてぇ!」
路地の陰から飛び出してきた老人を支える若い娘が、必死に手を伸ばしてくる。背後には同じように縋る人々の列が見えた。
思わず窓から身を乗り出しかけたリリアを、アレクシスがそっと制した。
「焦らずとも、順番に治していくから安心しなさい」
凛とした声が広場に伸びていった。
「国王陛下のご意向で専用窓口が設置されている。リリアの疲労もあるため、一日の人数は決まっているのだ。割り込みをすれば誰もが不公平を覚える。今日はこの喜びを共に分かち合う日だろう」
穏やかに諭されて、人々の間に納得のため息が広がっていく。それから老人がふと顔を上げ、「ありがとう……おめでとうございます」と言った。笑い声がぽつぽつと広がった。
アレクシスの温かい視線がリリアへと戻った。
「いくら市民が可哀想だからといって、君が無理をして倒れたら意味がないからな」
「……そうですね」
胸が熱くなった。あの三日間の昏睡以来、アレクシスは黒色の文字盤の領域には二度と踏み込まないようにと、何度もリリアに言い聞かせていた。それほど心配してくれているのだと思うと、言葉もなかった。
大神殿前の石畳を馬車が通過すると、入口に立つセレスティナとレオンハルトが笑顔で迎えてくれた。かつての聖女だった彼女は神殿改革委員となり、【生命共鳴】のスキルを活かして王立診療所に勤めている。レオンハルトはすっかり王太子としての風格を備え、傍らの侍従たちを率いる姿が頼もしかった。
「リリア様! おめでとうございます!」
大聖堂の扉が開き、参列者たちの拍手が降り注いだ。王妃の優しい微笑み。大臣たちの祝辞。そして最前列には、公爵邸の使用人たちまでが正装で並んでいる。
(ミレイユも来てくれた……)
見覚えのある顔に目が潤む。あの頃は一定の距離を保ちながら接していたのに、今は真っ直ぐこちらを見て、ぼろぼろと泣いてくれている。あの使用人たちがここにいる。それだけで、すべてが報われる気がした。
祭壇の前に進み出ると、新たに任命された大司教の穏やかな声が厳かに響いた。
「汝らは互いに運命の糸を紡いできた。聖なる刻印とともに、新たなる幸福をこの大地に根付かせんことを」
誓いの言葉が交わされた。アレクシスの手が、リリアの手をそっと包み込む。
荘厳な音楽に包まれ、参列者全員が一斉に「祝福の光」を捧げる儀式が始まった。ステンドグラスから差し込む虹色の光がふたりを照らし、まるで天空から星屑が降り注ぐように輝く。
誓いのキスの瞬間、リリアの脳裏にあの日の言葉が蘇った。
『最期まで、ずっとあなたのおそばにいさせてください、アレクシス様』
暗い部屋で、骨ばった手を両手で包みながら、そう告げた日のこと。あの時は「最期まで」と思っていた。けれど今、ふたりは最期どころか、始まりの場所に立っている。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
聖歌隊の歌声が天井高くまで昇っていった。愛が時間の川を越えて永久に続くと謳われる旋律に、涙がこぼれた。
アレクシスの腕の中で、リリアは小さく囁いた。
「……アレク様と一緒なら、新しい時間を歩んでいけますよね」
彼の唇が、優しく耳元に触れた。
「共に未来を作ろう。過去はもう振り返らずに」
王都を巡る凱旋パレードが終わりに近づく頃、大聖堂の尖塔に夕陽が映えた。人々が手を振りながら散っていく。アレクシスは窓を開け放ち、茜色の空気を深く吸い込んだ。
「リリア。これから長い道のりだが、君と共にある日々こそが私の宝だ」
夕風がリリアたちの髪を揺らす。窓辺に立てた細い蝋燭に火が灯った。それを見つめるアレクシスの横顔は、少年のように純粋で、そして限りなく誇らしげだった。
明日からは、ゆっくりとこの世界を変えていく旅の始まりだ。神殿の誤ちを正し、聖女の力を正しく使う道標となり――そして何より、大切な人と共に歩む平和な日々を築いていく。
リリアの心の中には、もう恐れも焦りもなかった。ただ希望だけが、燃え続けている。
遠くで夕暮れを告げる教会の鐘が鳴り始めた。六頭の白馬がゆっくりと蹄を止める。歓声がひと際大きくなる中、リリアはアレクシスの温もりを確かめながら、ゆっくりと目を閉じた。
この瞬間が、永遠に続きますように。
その祈りは言葉にならず、ただ魂の中で、静かに溶け合った。
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