7.アイビーは知ってしまう
僕の身体に別の魂が寄生していた。
だから時々『彼』に身体を乗っ取られていたんだ。
ミャーマは僕をじっと見つめる。
黒い瞳に僕が映る。
「ねえ、悪いんだけど、お水をもう一杯もらってもいいかしら」
「え……ああ、もちろんです」
ミャーマは水を一口飲むと、そのまま器を僕に差し出した。
「ビーちゃんも、少し飲んだ方がいいわ」
礼を言って水を受け取り、僕も少し口に含む。
ミャーマから聞いた話が頭の中をぐるぐると回る。
ゴクリと喉がなる。
なんだかそれ以上、水が喉を通る気がしなくて、僕はカップを両手で抱えた。
洞窟の中に沈黙が訪れる。
「……ねえ、あたしが寄生する前、この身体にはね、ヤドリ草が植え付けられていたの」
ミャーマが口を開いた。
「《悲願花》っていうヤドリ草だったらしいわ」
「《悲願花》……ですか」
「そうよ。でもね、あたしが羽化してから、そのヤドリ草、発動しないのよね」
「え?」
「あたしもなのよ」
ミャーマはこちらを見ずに言った。
「あたしも、ヤドリ術を使えないの。それもあって、学園では赤点ばかりだったわ。赤点ミャーマなんて呼ばれてて……今では『緋色の賢人』なんて呼ばれているのがおかしいわよね」
ミャーマの声が、頭を通り抜けていく。
(ミャーマも、ヤドリ術が使えない? 僕と同じで?)
「待ってください、ミャーマ様――」
「アイビー。逆なのよ」
ミャーマが、僕の名前を呼んだ。愛称でなく、本名で。
「そう、逆なのよ」
ミャーマの言葉に頭が熱くなる。
反対に、身体が急速に冷えていく。
(そんな……そんな……)
「あたしはね、宿主の身体に寄生したヤドリ魂。だからヤドリ術を使えないの」
(それじゃあ……)
「それじゃあ……僕も……です…か……?」
喉に張り付いたような、乾いた声だった。
「そうよ」
ミャーマは、真っ黒な目でこちらを見つめている。
仄暗い洞窟の中、ぼんやりと浮かぶミャーマのシルエットが僕には揺らいで見えた。
「あなたが寄生されているんじゃないの。あなたが寄生しているの」
(僕が――寄生している……?)
「あなたの身体に宿るもう一つの『彼』。『彼』こそが、バッチオーク伯爵の息子アイビー。あなたはね、五歳のアイビーの身体に植え付けられ、《繭》から羽化した、ヤドリ魂なの」
♢ ♢ ♢
カップの水に映る自分を僕はじっと見つめた。
湖のほとりにあった屋敷を思い出す。
鏡の中から抜け出した偽物が、本物に取って代わる物語――。
(僕の方が……偽物だったんだ……)
本物のアイビーは、きっと父さんと同じ金色の髪に金色の眼だったに違いない。
僕が中途半端に寄生したことで、瞳だけが黒色に染まったのだ。
ミャーマが若者の身体に宿った事で、髪と眼の色が黒く変化したのと同じように。
僕の瞳の色は、僕が偽物である証なんだ。
ミャーマが小さく腕を振る。
腕輪についていた赤い石がシャランと音を鳴らす。
「この石はね、あたしが羽化した繭の欠片なのよ」
「え?」
「こんなにカチカチに固まるの。ちょっと面白いわよね」
ミャーマの耳元で、首、足、腕、あらゆる場所に飾られている大小の赤い石。
それは全部、繭の欠片だったのだ。
「あなたのその石もそうよ」
ミャーマはそう言って僕の胸元を指す。
僕の胸元には、いままで姉さん達から受け取った《証》――金色の石を紐に結んだものが首から下がっていた。
「……これ……僕が羽化した時の、繭の欠片だったんですか?」
どうして父さんは、こんなものを、姉さん達に渡したんだ。
自分の子供の証として――。
ミャーマの目を見つめる。
真っ黒な瞳に沈んでいくような気がする。
そう言えばいつだっただろうか。
《鏡草》の水鏡に映るミャーマを見て、まるで自分の顔を見ているような錯覚に陥ったのは。
「ミャーマ様……僕達は、寄生し続けるしかないの? 僕達はどうしたらいいの? そもそもなぜ、僕達は繭の中にいたの?」
「……さっきも言ったけど、逆なのよ……」
「……どういう意味ですか?」
ミャーマはため息をついて「まだ、ここから先はまだ話せないわ」と言った。
「本当に、むいむいよね」
そう言ってミャーマは、懐を探り、何かを取り出した。
「ほら、コレをあげるわ」
それは、金色の石の欠片だった。
姉さん達から譲り受けた、繭の欠片と同じものだった。
「これはね、知り合いの子から預かってくれって渡されたのよ。どうやらこの欠片、あの子は持て余しちゃったみたいなの。重すぎたのね」
僕は黄金の欠片をそっと受け取った。
「あたしは学園に居続ける事が出来なかった。あの子に知られたくなかった。あたしが、お兄さんの身体を奪ってしまったのだと。本物になりすましている偽物なんだと。それに――」
ミャーマはゆっくりと首を振った。
「まだ終わってないのよ」
「……終わってない?」
「そうよ。ジャルダン学園を襲った奴ら、そして、アイビーとへデラ先生を襲った奴ら……」
へデラ先生……僕の母親の事だ。
『反ヤドリ主義者』に襲われて、命を落としたと言う僕の母……。
「違うのよ。逆なのよ」
まただ。またミャーマは同じ言葉を繰り返す。
何がどう逆なのだろう。
「襲ったのは……暗殺者は『反ヤドリ主義者』じゃないのよ」
(……どういう事だ……ミャーマは何を言ってるんだ?)
僕は混乱の渦に飲み込まれている。そんな中、ミャーマの言葉が意識の表面を上滑りしていく。
「だって逆だもの。へデラ先生が『反ヤドリ主義者』に襲われたんじゃないの。逆なのよ。へデラ先生が『反ヤドリ主義者』だったのよ」
そう言われて、いよいよ僕の頭は、ミャーマの言葉を理解できなくなってしまった。
「……帰りたいわ。元の世界に。でも、もう帰れないの。知ってしまったのよ。あたしも、ヘデラ先生も」
ミャーマの声は、泣いているように聞こえた。
「むいむい共が、むいむいしやがって、むいむいの癖に、むいむいのせいで、むいむいになった! 全部全部、むいむいなのよ! あたしはむいむいを許さない! 許したくないの!」
ミャーマの言葉は、まるで受け止めてくれる人を探すかのように洞窟に反響した。
そして迷子がうずくまるかのように、静かに暗闇に溶けていった。




