12.ミャーマは鏡の向こう側
『むーいむい』
《鏡草》の水面には、難しい顔をしたミャーマの姿が浮かんでいる。
『なんだか、とんでもない事になっちゃったのね』
鏡の向こうの賢人は、そう言って小さく唸った。
ガーデニア家を出て旅路についた僕らは、途中で宿屋に泊まった。
侯爵家の屋敷の客間と比べれば、雲泥の差と言っていい質素な部屋だったけれど、その窮屈な部屋は不思議と僕らに安らぎを与えてくれた。
クローとティオーラ姉さんは、階下の酒場で情報収集をしてくるとの事だった。
「ビー様は先に寝ていてくださいね」
「色々あって、疲れましたよねぇ?」
そう優しく声をかけてくれた二人だけど、本当は酒をあおり、賭け事に興じたいだけだと思う。
(二人共ウッキウキだったなぁ。屋敷に閉じ込められてかなりストレスがたまっていたんだろうな)
そんなわけで、一人、部屋に残された僕は《鏡草》に水を張り、緋色の賢人ミャーマを水面に呼び出した。
『あらぁ、ビーちゃん。お久しぶり』
「こんばんは、ミャーマ様。今はどこの街ですか?」
『ああ、今はね、ちょっと知り合いの村に向かっているところよ。スパイスの買い付けをしたくてね』
水鏡に浮かぶミャーマは、優しく微笑みながら
『クチナシ屋敷はどうだった?』と尋ねてきた。
明るい口調のミャーマに、屋敷であった事を伝えるのは辛かった。
ライラが亡くなり、アイリスが当主の座を退いた。
ローズマリィが侯爵となり、フラン姉さんは侍女頭となった。
そして、僕の身体を乗っ取った何者かの存在。
僕はカールリンネの屋敷で起きた事を全て彼に話した。
お家騒動の顛末を静かに聞いていたミャーマは、僕の身体に起きた異変について、強い反応示した。
『何かに乗っ取られた……?』
「そうなんです。急に身体の自由がきかなくなって、勝手に僕の口が喋り出して」
その時の恐怖を思い出して思わず身震いをした。
『むいむい……』
唸るようにミャーマは呟く。
『……しばらくすると戻ったのよね?』
「そうなんです。当主の部屋を出ようとした所で、急にガクンって……」
身体を縛り付けていた糸から急に解放されたような感覚だった。
自由になった瞬間は、思わずつんのめり、無様にも転んでしまいクローとティオーラ姉さんに助け起こされた。
ローズマリィやフラン姉さんは、随分とこちらを訝しんでいた。
無理もない。
ミャーマは口を閉ざし、考え込んでいる。
(『緋色の賢人』のミャーマにもわからないんだ)
黙り込んだミャーマを見つめながら僕はどんどんと不安になる。
階下から喧騒がドッと聞こえて来た。
賑やかな笑い声が僕の思考を孤独へと追い立てる。
(もしかして、僕のヤドリ草が発芽しない事と、何か関係があるのかな……)
僕の心をしめる不安――それは、『ヤドリの暴走』だ。
宿主の持つ魔力以上のヤドリを使役化しようとすると、発芽や孵化の時に暴走して、宿主を喰い殺してしまう――僕の身体に起こったのは、その『暴走』なのではないだろうか。
「自分のヤドリ草やヤドリ獣に喰い殺されてしまう――それを『アンデッド化』なんて言いますけどね」
そう話してくれたのはクローだ。
「ヤドリに身体を支配されてしまう『アンデッド化』――身体が腐ってもヤドリに操られ続けると言われていますが、ビー様の状態は、それとは違うように思いますがね」
クローやティオーラ姉さんにも、僕の身体に起こった異常事態については詳しく説明した。
二人は首をかしげながらも、そんなアンデッド化は聞いた事がないと言い切った。
一度アンデッド化した人間が、元に戻るなんて事はありえないそうだ。
それでも不安は断ち切れない。
(僕の身体を乗っ取ったモノの正体……あれは、もしかして、この左手に植えたヤドリ草だったんじゃないか……?)
もしそうだとすると、このまま僕は僕でなくなってしまうのだろうか。
沈黙に耐えきれなくなり、誤魔化そうとして「フラン姉さんの事も心配なんだ」とミャーマに告げた。
「フラン姉さんはローズマリィ様をこの先も支え続けるって言ってましたけど……大丈夫なのかな?」
『あら、それに関しては、心配することないわよ』
あっさりとミャーマにそう言われて、僕は拍子抜けした。
『もしやビーちゃんは、ローズマリィ様に自分のお姉様が利用されてるなんて思ってないかしら?』
「え? いや、利用されてるとまでは思ってないけど……でも……」
『隠れるのも立派な戦法よ』
ミャーマは『現に』と言葉を続ける。
『貴族の中ではかなりの力を持つカールリンネ侯爵。その屋敷に潜り込んで、とうとう侍女頭まで上り詰めた……それってすごいと思わない?』
僕は黙ってミャーマの話を聞く。
『無謀に正面から切り掛かる者が勇敢とは限らない。勝てない相手には身を隠しながら近づいていくのも、立派な作戦よ』
「……そう、だね」
『権力者につくのではなく、ついた人間を権力者にする。ビーちゃんのお姉様は随分と頭の回る方ね』
確かに、そんな姉さんを僕ごときが心配するなんて、おこがましいのかもしれない。
『それにしても、なぜライラ様は、あたし達吟遊詩人を屋敷に呼び寄せたのかしらね』
「……え? なぜ?」
ミャーマの言葉に僕は首をひねる。
『懐かしい思い出にひたりたくて、昔のように吟遊詩人を招いたのか。それとも、侯爵の悪評を各地に広めてもらいたくて、わざわざ旅の一座を呼んだのか』
なるほど。
僕らにアイリスの話をしたように、ミャーマ達にもアイリスの悪評を吹き込もうとしたのかもしれない。
(僕は……そうは思わないけど)
昔を懐かしむライラの顔を思い出す。
けれど、答えは出ない。
『むーいむい。今となってはわかるはずもないわね』
ミャーマはそう言って目を逸らした。
『良く言うじゃない?「死人に口無し」ってね』
そう言うミャーマの声は、随分と乾いていた。
彼の真っ黒な瞳を見つめながら、ふと僕は自分の顔が《鏡草》に映っているような錯覚に襲われたのだった。




