10.アイビーは入れ代わる
「本当に、皆様を巻き込んでしまい申し訳ありませんでしたわ」
事件から一週間がたち、僕らはようやく屋敷を出る事を許された。
今やマリィのものとなった侯爵の部屋に呼ばれ、僕ら三人は改めて謝罪の言葉を伝えられた。
ふかふかの椅子にリリィが収まっているのを微笑ましく思いながら、僕らはマリィから今後の侯爵家について話を聞いた。
ライラの件は事故として届け出たとの事だ。
アイリスは、妹の死による心神耗弱のため当主を退き、夫のベンジャミンと領地内の別荘で療養する事が決まったそうだ。
そして。
マリィはカールリンネ侯爵として、当主の座につく事になった。
「フラン、これであなたも侯爵家の侍女頭ね」
マリィの言葉に、フラン姉さんは静かに頭を下げる。
姉さんもこれからは、この屋敷で生き残るために父さんの名声にすがる必要はないのだ。
父さんに寄生する事なく生きていける。
(これで安心して、旅を続けられるな)
そう思った時だった。
僕の身体に異変が起きた。
(……な……なんだ…これ……!?)
初めは、ゾクリとした寒気だった。
そのまま、全身が痺れるような感覚に襲われる。
「……? ビー様、どうされました?」
クローが僕を覗き込む。
(助けて、クロー。身体がおかしいんだ)
そう言おうとしたが、言葉にならない。その代わり、別の言葉が口から飛び出した。
『まったく』
「アイビー?」
ティオーラ姉さんが不審げにこちらを見ている。
けれど、僕は自分で身体を動かす事が出来ない。
何かに操られるようにして、僕の口から声が出てくる。
『滞在中は過分なお心遣いをいただき、誠にありがとうございます。今回の事件に関して私共は決して口外いたしません……ただ』
(なんだ? 何が起こっているんだ?)
『ここを去る前に、少し確認したい事がございます』
マリィは少し戸惑った様子でフランの方を向く。
「ねえ、フラン。確かアイビー様は十二歳だったわよね? なんだか今日はとても大人びているわね」
その言葉にフランが答える前に『マリィ様も』と僕の意思に反して口が動く。
『マリィ様も、初めてお会いした時と、かなり印象が違いますよね』
「あら、そうかしら」
『はい。初めてお会いした時は、驚いたんですよ』
僕の身体はゆっくり歩みを進め、マリィ達に近づいてくる。
『あなたはまるで幼い子どものように天真爛漫で、急に顔を近づけてきたり、かくれんぼに誘ったり。私達は戸惑うばかりでした』
マリィを守るかのように、フラン姉さんが一歩前に出る。
その姉さんに向かって、僕は笑顔を向ける。
『だって、マリィ様はとてもお綺麗ですが、二十歳を過ぎた大人の女性なのですから』
そうだ。
見た目とそぐわないマリィの幼い行動に、僕はどう接したら良いのか困惑していた。
僕だけじゃない。
無邪気なマリィの様子に、クローもティオーラ姉さんも戸惑っていた。
無理もない。
クローが肩をすくめて呟いた『子供って言ったって、ね』という台詞が頭をよぎる。
人形のように美しい女性が、幼子のようにかくれんぼに興じ、それにフラン姉さんが真面目に付き合っている姿は、閉ざされた城の中であっても異質だった。
フラン姉さんは「アイビー」と静かに言った。
「当主と成られたマリィ様はお忙しいのです。用件は手短に――」
『それですよ、まったく』
クローやティオーラ姉さんに助けを求めたくても、視線一つ思い通りに動かせない。
『マリィ様――おかしいですよね。屋敷中の人間が、あなたの事を「マリィ様」と呼んでいた。よっぽど仲の良い関係か、そうでなければとんでもなく無礼なのか。でないとおかしいんです。当主の妹君の事を使用人が愛称で呼ぶなんて』
パニックになりながらも、僕を操る何者かが、何をさせようとしているのか気になった。
(なんだ……何を言おうとしているんだ……?)
『そうですよね、マリィ様……いえ、ローズマリィ様』
「……ご存知でしたの?」
ローズマリィと呼ばれた彼女は、表情をなくした顔でこちらを見つめ返す。
(ローズマリィ? そうか……マリィというのは愛称だったのか)
『私も、自分の主人である伯爵の息子を愛称で呼ぶ、無礼な護衛の事を知っておりますので、初めは何とも思いませんでした。けれど、屋敷中の人間が、あなたの事を「マリィ様」と呼ぶ。その異常な状況に、あなた方の思惑を感じずにはいられませんでした』
フラン姉さんが神経質そうに耳をさすっている。
マリィは――いや、ローズマリィはその場で立ち尽くしている。
『あなたは……屋敷の人間から、取るに足らない存在だと思われるために、わざとご自分の事を「マリィ」と呼ばせていたのではないでしょうか? まるで幼い子供のように』
「さあ……どうでしょう」
『あなたは、ずっと隠れていた。身を潜め、機を狙っていたのです』
僕の乗っ取られた身体は、椅子の上でじっと動かないリリィの方へと歩み寄る。
「ちょっと、何を――」
『こちらのリリィもそうですよね』
僕は腰を屈めてリリィを覗き込む。
『自分とお揃いのドレスをヤドリ獣に着せて、まるで妹のように連れ歩いている。そんな様子を見て、誰があなたを危険視するでしょうか』
(確かに――)
僕は初めてリリィを紹介された時を思い出す。
ドレスを着せられた亀を『妹』だと紹介された時、僕らは大いに戸惑った。
「リリィはただの亀じゃないわ。《宝珠亀》と言って、美しい甲羅を持つ珍しいヤドリ獣なのよ。お母様が生前、わたくしに下さった卵を――」
『リリィを、まるで妹か、もしくはぬいぐるみのように抱きしめ連れ歩く姿。それを見て、屋敷の誰もがあなたをみくびっていた。それがあなたの、この屋敷での生存戦略だったのでしょう』
「……だから何だと言うのです」
ローズマリィの声は表情と同じようにこわばっていた。
僕の口から、続く言葉が発せられる。
『あなたはいつもリリィと一緒だった。だからあの日、ライラ様は湖のほとりでおっしゃったのです』
(……ライラ? なぜ突然ライラが出てくるんだ?)
『なんでこんな所に、と』
その言葉をきっかけに、僕の頭の中で全てが繋がっていく。
あの日湖のほとりで、ライラがアイリスに言った言葉――。
『なんでこんな所に、とライラ様が呟いたのを聞いて、アイリス様は逆上しました。自分達の思い出の場所を忘れてしまったのかと思ったのでしょう。けれど、そんなわけはないのです。私は応接間でライラ様から聞きました。昔は湖のほとりに吟遊詩人を呼んで、語られる物語を皆で楽しんだものだ、と』
そうだ。その通りだ。
ライラが、母親が生きていた頃の思い出の場所を忘れるわけがないのだ。
『あの夜、ライラ様は、湖のほとりで小さな亀を見つけたのです。それを見て思ったのでしょう。「なんでこんな所に、マリィの亀がいるのだろう」と。それが声に出たのです』
「妄想だわ」
ローズマリィはゆるゆると首を振った。
「なぜ湖のほとりにリリィがいたの? そんなわけないわ、だって私たちはいつも一緒なのだから」
『一緒だったんですよ』
フラン姉さんが、じっと無言のままこちらを見つめている。
『あの日、アイリス様がライラ様を湖のほとりに呼び出した時――ローズマリィ様。あなたもいたんです。いえ、あなただけではありません』
もう、かくれんぼはおしまいだ。
『フラン姉さん、あなたもいたはずです。あなたのヤドリ草を使って、あなたとローズマリィ様は、身を隠して事の成り行きを見守っていらしたのですから』




