4.アイビーは巻き込まれる
侯爵家当主の妹ライラの話に、僕は大いに混乱した。
(呪いの大鏡? 入れ代わった?)
「あの……偽物というのは一体……?」
「ああ、アイビー様のような幼い方に、我が侯爵家の醜聞を話してしまって良いのかしら」
恐る恐る聞き返した僕の声など届いていないかのように、ライラはわざとらしく嘆いて見せた。
(いやいや、自分から話しといて……)
「先代侯爵のお母様が事故で亡くなったのは今から十年前の事でしたわ」
ライラが話を続けるので、仕方なく拝聴する。
どうにも意図が読めなくてやりづらい。この人は何を考えているんだろう。
「長女の宿命を背負ったアイリスお姉様は、幼い頃から当主になるための教育を受け、ベンジャミン様との婚約も早くから決まっていたの。お母様が亡くなり、若くして当主の座を継いだけれど、アイリスお姉様はなんとかその役目を担おうと頑張っていらしたわ」
そこまで言うと、ライラは手入れの行き届いた美しい指先でティーカップを持ち上げた。
お茶を一口飲み「けれど」と呟いた。
「半年前から、急にアイリスお姉様の様子がおかしくなったのよ。部屋に閉じこもるようになり、誰も寄せ付けなくなった。ベンジャミン様ですら、もう長いこと顔を合わせていないんだとか」
「そうなんですか?」
僕の問いに、ベンジャミンは「ええ」と弱々しく答える。
「部屋に入る事すら許されず……扉越しに声をかけても怒鳴り散らされてしまって」
ベンジャミンの言葉に「本当お可哀想だこと」とライラがわざとらしく頷く。
(まあ、当主アイリスの様子がおかしいって事はわかったけど……)
「それで……なぜ偽者と入れ代わったなどと思われているのでしょうか」
突然ヒステリックになってしまう人なんて、どこにだっている。
それだけで『偽者だ』なんて、発想が突飛すぎる。
ライラは持っていた扇子をパチリと鳴らし「見た人間がおりますの」と言った。
「アイリスお姉様の部屋には、いつ運び込んだのか、大きな鏡がありましてね。それに向かってお姉様ったら、ブツブツとおっしゃっていたそうですわ」
そこでライラは思わせぶりに間をとってから、ささやくように言った。
「『もうここからは出られませんよ。私が取って代わったのだから』と」
何がおかしいのか、ライラはクスクスと笑い出した。
「偽者が、本物のアイリスお姉様を鏡に閉じ込めてしまったのだわ」
「お姉様」
横から口を挟んだのは、またもや妹のマリィだ。
「滅多なことをおっしゃるものではないわ。そんな他愛もない噂話など——」
「あら、アイリスお姉様の様子が変なのは確かでしょう? まるで人が変わってしまったようじゃない」
妹の苦言など意にも止めず、ライラはさらに言い募る。
「別人になってしまわれたように叫び、物を投げつけたかと思えば、今度は泣き出したり……むしろずっとお部屋に閉じこもって頂いた方がよろしくてよ。あのような姿、外の人間にはとても見せられませんもの」
そして横目で妹をチラリと見て言った。
「あなたもよ、マリィ。リリィやフランと遊んでばかりいないで、もう少しガーデニア家の一員としての振る舞いを身につけてほしいわ」
矛先が自分に向きマリィは身を縮ませた。
「入れ代わったことがばれないように、偽者のお姉様も必死なのだわ。だからお部屋に隠れていらっしゃるのよ」
そう言うと、ライラは窓の外に目をやった。
オレンジ色の西日が差し込み、窓枠の影が濃さを増している。
いつの間にか、夕暮れ刻を迎えていた。
「呪いの大鏡はね、映った者を鏡の中に引きずり込んでしまうのよ。鏡の中に閉じ込められて、外には出られない。それなのに、誰も助けてくれないの」
再び、ライラの視線がこちらに向けられる。
得体の知れない微笑みを浮かべた青い瞳。
どうにも落ち着かなくてどこかに隠れてしまいたくなる、そんな目つきだ。
「ねえ、皆様? 今夜は屋敷に泊まったらどうかしら。夜になったらわたくしがこっそり、お姉様の鏡を見せてさしあげるわ」
とんでもない事を言い出した。
「鏡に映った偽者に、取って代わられた侯爵の話だなんて、まるで吟遊詩人の語る物語のようですし。黄金の勇者のご令嬢でしたら、本物のお姉様を取り戻せるかも――」
「ライラお姉様!」
我慢ならないといった様子で、マリィが立ち上がった。
「そのような事をなさって何になるんです。もしもそんな噂が広まってしまったら……いたずらに家名が汚されるだけですわ」
「あら、今の侯爵が偽者だという事が世間にばれてしまえば、もしかしたら鏡が本物のお姉様を返してくれるかもしれませんわ」
「そんな心にもない事を……」
「わたくしはお姉様の身を案じているだけですわ」
ライラはそう言って目を細めた。
「家族って、そういうものでしょう?」
僕は視線をテーブルに落とす。
テーブルの上のティーカップには《朽無》の家紋が入っている。
「今日は皆様ご一緒に屋敷に泊まってらしてね。部屋を準備させるから」
「えっと……」
「わたくしはこれで失礼しますわ。大切な用事がございまして」
そう言うと、ライラは侍女達を呼び、すぐに退室してしまった。
こちらの都合などお構いなしに、話がどんどんと進んでいく。
ライラは何故、わざわざこんな話をしたのだろう。
僕らが元勇者の子どもだから?
自分の姉を助けてもらいたくて?
(僕はお家騒動なんかに関わりたくないんだけどな)
きらびやかな応接間のソファで、僕は深々とため息をついた。




